抗ウイルス薬開発の鍵はプロテイン 『生命の根源を見つめる』
記事:白水社
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デオキシリボ核酸(DNA)は遺伝情報を担っており、生物にとって重要な物質であることは広く知られている。しかしDNA自体が私たちの体を動かしているのではない。DNAは、いつ、どこで、どんなタンパク質を作ればよいのかを指示する設計図であり、実際にはタンパク質こそが生命現象の実働部隊である。
例えば、植物が光合成でデンプンを作る、動物が筋肉を動かしたり食べ物を消化したりする、免疫系が細菌やウイルスを認識して分解する等々の反応は、実はさまざまなタンパク質が行っていることである。ヒトには2万種類以上のタンパク質があり、しかも、各タンパク質がそれぞれ大量に存在している。そのため、合計で10²³個ものタンパク質分子がヒトの体内にあって、いま一斉に動いているのだ。それによって私たちは動き、話し、考えることができるのである。したがって、生物や生命について理解しようと思ったら、タンパク質のことを知らなければならない。高校までの生物学ではDNAの重要性が強調されるが、大学の生物学では、タンパク質が非常に多く登場することになる。
タンパク質には、大きく分けて2種類の機能がある。結合と触媒である。どのタンパク質も何かしらの物質と結合して働くため、結合はタンパク質の最も基本的な機能だ。
また、タンパク質によっては、結合した物質を別の物質へと変換する化学反応の触媒として働くものがある。このようなタンパク質を酵素と呼ぶ。生物による物質生産は、酵素の働きによる。一方、免疫などの働きは、主に結合タンパク質が担っている。
タンパク質は、アミノ酸という小さな物質が鎖のようにつながった1本のひもであり、ひとつのタンパク質は、平均して約200個のアミノ酸からできている。生物が使っているアミノ酸は20種類であるため、アミノ酸の並び方(アミノ酸配列)には20²ºº通りの可能性がある。このような多様性が、生物の多様性を生み出しているのだろう。ちなみに、ヒトは20種類のうちの約半分のアミノ酸しか体内で合成できない。それゆえ、別の生物のタンパク質を食べ、それを分解してアミノ酸を摂取することになる。
では、DNAに書かれた遺伝情報は、どのようにしてタンパク質へと受け継がれるのだろうか。それは単純な文字列置換によって行われる(図1)。DNAは4種類の塩基(A, T, G, Cで表す)が、例えばATG ATT AGC CTG CAT GCG GAT……のように並んでできている。4文字の言語と言えよう。次に、DNAの遺伝情報はリボ核酸(RNA)へと転写され、Tの代わりにUで表される塩基を用いて、例えばAUG AUU AGC CUG CAU GCG GAU……のように並んだRNAができる。これも4文字の言語だ。
一方、タンパク質は20種類のアミノ酸(A, C, D, E, F, G, H, I, K, L,M, N, P, Q, R, S, T, V, W, Yで表す)が並んでできており、20文字の言語である。4文字の言語から20文字の言語への翻訳は意外に単純だ。それは、3つの塩基(例えばAUG)がひとつのアミノ酸(この場合はM)に対応するという文字列置換によって行われる。この文字列置換の辞書(コドン表という)によると、上記の例では、MISLHAD…というアミノ酸配列を持ったタンパク質がつくられることになる。
こうして生体内でつくられたタンパク質は、最初はひも状に伸びた構造をしている。しかし、多くのタンパク質では伸びた形は不安定なため、アミノ酸の並び方に応じて、特定の丸まった構造へと自然に折りたたまっていく。自然がタンパク質をコンパクトに折りたたむ方法は、らせん状にするか(αヘリックス)、あるいは、ひだ状にするか(βシート)のどちらかだ(図2)。このふたつが基本構造となり、それらの多様な組み合わせによって、約1000種類のタンパク質構造がこの世界には存在している。ヒトが持つ2万種類以上のタンパク質も、大まかな形は1000通りだけであるが、アミノ酸配列の違いによって立体構造が微妙に異なるため、形は似ていても多様な機能を発揮できる。
折りたたまれたタンパク質は、そのあと石のように固まっているわけではない。タンパク質は柔らかく動くソフトマターであり、特定の構造を形成したあと、マイクロ秒(10⁻⁶秒)からミリ秒(1000分の1秒)のタイムスケールで高速に揺れ動くことによって初めて、ターゲットとなる物質と結合し、デンプンを分解したり、筋肉を動かしたりといった機能を発揮できるようになる。タンパク質が揺れ動く様子は、まるで生きているかのようで美しい。
このように、タンパク質の構造と動きを知ることが、タンパク質が働く仕組みを知るうえで重要である。これまでに、さまざまなタンパク質の構造と動きが解明され、数々のノーベル賞が授与されてきた。
ここまで来てようやく、DNAに書かれた遺伝情報、すなわち生命のプログラムが解読されたことになり、タンパク質が行う生命現象、すなわち生物らしさが垣間見えてくる。タンパク質分子は極めて小さく、水分子の数十倍程度の大きさでしかないのに、生体反応の基本単位となっている。その意味で、タンパク質は生命の素粒子と言えよう。
ただし、タンパク質は単にアミノ酸がつながっただけの分子であり、それだけでは生物とは言えない。しかし、単なる物質にすぎないはずのタンパク質が、まるで生きているかのように動き、多様な機能を発揮することで、地球上のすべての生物を生かしているのだ。この世界に存在する物質の中で、タンパク質ほど素晴らしい物質は存在しないのではないかと、タンパク質好きの私はいつも密かに思っている。
生体内で合成されたタンパク質は、すぐに特定のコンパクトな構造へと折りたたまり、その状態で揺れ動くことによって機能を発揮する(図1)。しかし、タンパク質のアミノ酸配列が与えられたとき、そのタンパク質がどのような立体構造を形成し、どんな機能を発揮するのかを理論的に予測することは、驚くべきことに、現状ではまだ困難である。この問題は「タンパク質の折りたたみ問題」と呼ばれ、50年来の難問中の難問となっている。生命のプログラム解読の最終段階は未解明なのだ。後述するように、タンパク質の折りたたみ問題の解決は、計算機(コンピュータ)を用いてタンパク質を自由自在にデザインできるようにするうえで必要不可欠である。
この問題は生物学だけでは解くことができない。物理学が必要となる。問題解決のための物理学的アプローチのひとつは、タンパク質を構成する数千~数万個の全原子についてのシミュレーションだ。原子間に働くクーロン力やファンデルワールス力などを考え、各原子についてニュートンの運動方程式を立てて、それらをスパコンで数値解析的に解いていけば、タンパク質の動きをシミュレーションできる。しかし、1フェムト秒(10⁻¹⁵秒)を1ステップとし、10¹²ステップ計算してやっと1ミリ秒間の動きのシミュレーションになる。小さなタンパク質の場合でも、世界最速のスパコンで1カ月はかかる計算だが、その折りたたみ反応過程と折りたたみ後の構造が実験結果と一致するという研究成果が複数報告されている。つまり、小さなタンパク質ならば、折りたたみ問題は解けつつある。とはいえ、アミノ酸200個からなる平均的なタンパク質では、その構造と機能の予測は未だに困難である。
タンパク質のアミノ酸配列は文字列として表せることから、暗号解読のように言語学的アプローチで折りたたみ問題を解決しようとする研究もある。実際、言語に見られるジップの法則はタンパク質においても観測されており、言語とのアナロジーがどこまで成立するのかは興味深い。
最近、物理学に加えて、人工知能(AI)の利用が、タンパク質の折りたたみ問題解決へのブレイクスルーになる可能性が出てきた。世界最強棋士に勝利した囲碁用のAI「アルファ碁」の開発者らが、深層学習を用いた「アルファフォールド」というソフトウェアを開発し、2018年に開催されたタンパク質の構造予測コンテストで、ずば抜けた成績で優勝したのだ。計算機と計算手法がますます発展すれば、タンパク質の折りたたみ問題を解決できるかもしれない。
生命科学はいま急速に発展しているが、このようにまだ解けていない問題も多い。この状況は、見方を変えると、いまを生きる人々に、やりがいのある課題をたくさん提供していると言える。今後、それらの課題を解決するためには、生物学のみでなく、物理学や情報学など他の分野についても学び、多様な観点からアプローチしていく必要があるだろう。特に計算機シミュレーションは、今後の生命科学において最も目覚ましい発展を遂げる可能性がある。生命科学も数十年後には、物理学と同様に、理論先行型の学問になるかもしれない。
生物が作り出した天然の(野生型の)タンパク質は、産業や医療などに既に広く使われている。ある生物が持つタンパク質を、その生物ごと利用する例は昔から存在した。それは発酵である。味噌、醤油、納豆、ヨーグルト、酒といった食品は、酵母などの微生物が持つ酵素を利用して加工されたものである。微生物の株を変えると加工食品の風味が変わるのは、それらの微生物が持つ酵素のアミノ酸配列がわずかに異なり、生産される物質が微妙に変化するためである。
最近では、生物が作ったタンパク質を抽出して、タンパク質そのものを産業利用する例も多い。その代表例は、酵素入り洗剤である。汚れの成分であるタンパク質・デンプン・脂質などを分解する酵素が入った洗濯用洗剤や食器用洗剤が販売されている。また、洗顔液やコンタクトレンズの洗浄液に、パイナップルやパパイヤ由来のタンパク質分解酵素が含まれている例もある。
酵素は、洗剤だけでなく食品加工にも使われている。例えば、肉を柔らかくしたり、植物成分を分解して食品をつくったり、牛乳からチーズを製造したりするときなど。また、紙パルプの漂白、動物用飼料や農業用肥料の加工、バイオエタノール等の物質生産などにも、酵素が利用されている。
医療に応用されているタンパク質も数多い。インスリンは膵臓から分泌されるタンパク質性のホルモンであり、糖尿病の治療に使われる。また、インターフェロンはウイルス増殖を抑制するタンパク質であり、ウイルス性肝炎の治療などに使われている。ほかに、殺菌作用を持つリゾチームが風邪薬として使われることもある。リゾチームは鶏卵の白身に存在するため、風邪には生卵が効くという話も納得がいく。この他にも、体内で働く酵素が少ないために起きる疾患では、足りない酵素そのものが投与される。病気の診断や検査、医薬品の製造などに用いられるタンパク質もある。
天然のタンパク質をそのまま用いるだけで十分に役立つならばよいが、それらの性能を改善できればより効果が大きくなるケースは多い。例えば、酵素の働きを効率化できれば少量の酵素使用で済むため、コストダウンにつながる。また、洗剤用酵素を高温・漂白剤存在下でも使えるようにしたい、タンパク質医薬品の働きを向上させて投与量を減らしたい、等々の要求もありうる。さらには、既存のタンパク質を改善するだけでなく、まったく新しい機能を持つ人工タンパク質を創り出し、これまで製造できなかった物質を作りたい、新種の細菌やウイルスに強く結合してそれらの働きを妨害する医薬品を開発したい、といった要望もあるだろう。
このようなときに行うのがタンパク質デザインである。では、どのようにして、目的の機能を持つタンパク質を作るのか。通常は、既存のいずれかのタンパク質(野生型)をテンプレートにし、そのアミノ酸配列を一部変えた非天然のタンパク質(変異体)を設計したのち、これを実際に作製して、目的の機能を持つことを検証する。現在では遺伝子組換え実験法が確立しており、既存の遺伝子の塩基配列を一部改変し、それを大腸菌などの細胞に導入すれば、変異体のタンパク質を大量に生産できる。
問題は、どのようにしてタンパク質の変異体を設計するかである。タンパク質デザイン法には大きく分けて2通りがある。経験的設計と合理的設計である。以下では、これらふたつの具体的な方法とその成功例を概説する。
「経験的設計」では、さまざまなアミノ酸配列を持つタンパク質変異体を何種類も実際に作製し、それらの中から目的の機能を持つものを探し出す。現在のタンパク質デザインにおける主流はこの方法である。
経験的設計法の典型は進化分子工学実験である(図3)。これは、進化の原理を用いて、高性能化したタンパク質をデザインする方法だ。進化においては、親から子に遺伝情報が受け渡される際に、突然変異などのランダムな変異が生じる。変異によってタンパク質の機能が低下すると、その変異を持つ個体は生き延びられないかもしれない。すなわち、進化における本質は、ランダム変異と選択である。これを人工的に高速に行わせるのが進化分子工学である。
具体的には、まず、遺伝子組換え実験により、興味あるタンパク質の遺伝子(DNA)にランダムに変異を導入する。その方法としては、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)で遺伝子を増幅する際に変異が入りやすくするエラープローンPCR法や、類似した複数の遺伝子を断片化し、それらをモザイク状につなぎ合わせるDNAシャフリング法などがある。これらによって、多様な(10² ‒ 10¹³ 種類もの)変異体のライブラリーができる。
次に、これらの変異体ライブラリーの中から、高性能化した変異体のみを選択する。実験系をうまく構築できれば、各変異体を大腸菌などの細胞に導入した際に、高性能化した変異体を含む細胞のみが蛍光を強く発するようにできる。よく光っている細胞を拾ってくれば、そこには高性能化したタンパク質とその遺伝子が含まれている。あるいは、ファージ(細菌に感染するウイルス)の表面に変異体のタンパク質が出てくるように遺伝子組換え実験を行い、ターゲットと強く結合するファージのみを拾ってくれば、ターゲットとの結合能が向上したタンパク質とその遺伝子を回収できる(ファージディスプレイ法)。
このようなランダム変異と選択という人工進化サイクルを何度も繰り返すことによって、タンパク質を飛躍的に高性能化することが可能だ。これまでに、高温・漂白剤存在下でも働く洗剤用酵素や、疾患に関わるタンパク質と強く結合できる抗体など、数多くの有用タンパク質が開発されている。大学や企業などで広く利用されるスタンダードな手法になったことから、進化分子工学実験の提唱者とファージディスプレイ法の開発者に、2018年のノーベル化学賞が授与された。
現在ではランダム変異導入と高性能化変異体の選択をさらに効率的に行える方法も次々と開発されており、進化分子工学実験の受託を行う創薬系バイオベンチャー企業もある。
経験的設計によって開発された最も代表的なタンパク質は、抗体医薬品である。抗体は免疫系における重要なタンパク質であり、特定のターゲットに強く結合できる。例えば、あるふたつのタンパク質が生体内で結合するとガンなどの疾患が引き起こされる場合、これらのタンパク質の一方と強く結合して、両者の結合を阻害する抗体を投与すれば、病気の発症を防ぐことができる。
抗体は、ヒトが両手をあげたようなY字型の構造をしており(図2)、両手に相当する部分(抗原認識部位)で、ターゲット(抗原)に結合する。ヒトには数百万から数億種類の抗体があり、それらの抗原認識部位のアミノ酸配列が異なるため、互いに異なる抗原を認識する。それゆえ進化分子工学実験を行い、疾患を引き起こす特定の抗原とだけ強く結合するように、抗原認識部位のアミノ酸配列をデザインできれば、その抗体は副作用の少ない医薬品として利用できる。最近では、医薬品売上のベスト10に複数の抗体医薬品がランキングされるほどだ。また、2018年のノーベル生理学・医学賞は、抗体医薬品を用いた画期的なガン治療法の開発に対して授与された。しかし、抗体は巨大なタンパク質であるため製造が難しく、薬価が高いなどの問題点も指摘されている。
(『知のフィールドガイド 生命の根源を見つめる』所収「タンパク質をデザインして産業や医療に応用する」より)