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コロナの時代の「距離という劇薬」 高石恭子「おかあさんのミカタ」から

記事:世界思想社

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず、政府はまず七都府県に、次に全国に緊急事態宣言を出し、社会的距離を取って家にいることが至上命令となっています。人から人へ伝染する目に見えない敵を制圧するためには、社会的な場(物理的に人が集まり交流する場)から撤退し、人との「距離」を取ること(social distancing)が最大の武器だというわけで、学校はもちろん、図書館も、動物園も、遊園地も閉鎖されています。せめて公園で遊ばせようと子どもを連れて行っても、遊具が使えないようにロープで縛られていたり、近隣の人の冷たい視線にさらされたりします。新緑のまぶしいこの季節に、自然とじかに触れる体験をわが子にさせてあげたいと思っても、今年は叶いません。

 母親にとっては、家の中にずっと子どもがいる傍らで在宅ワークに追われるのも、子どもを置いて仕事に出かけるのも、罪悪感や不安との戦いなしにはすまない事態です。専業で子育てしている母親であっても、生活用品を買いに外出することは避けられませんから、幼いわが子に気づかず感染させたらどうしよう、手洗いや玩具の消毒はちゃんとできているだろうか、自分が発症して隔離されたらこの子の世話は誰がみるのだろう……考え出すと不安は際限なくふくらみます。

(中略)

家族間の距離の喪失

 今回の感染症拡大防止対策でクローズアップされた「距離」の問題から子育てと家族を考えてみると、ほかにもさまざまな連鎖が見えてきます。

 政府の緊急事態宣言から10日後、4月17日に日本弁護士連合会は「新型コロナウイルス感染拡大に伴う家庭内被害―DV・虐待―の増加・悪化防止に関する会長声明」を出しました。感染が拡大している各国で、夫から妻への暴力、親から子への虐待が増えており、わが国でもその深刻化を防ぐため、電話やオンラインでの相談対応を開始することが公告されています。

 私は、25年前の阪神・淡路大震災後にも同様の現象が起きたことを思い出します。平常時には男女平等の意識や少数派への寛容さを維持していた社会が、ひとたび非常事態に陥ると、弱い立場の者を攻撃し、排除する社会に逆戻りしてしまうのです。当時、すでに男女共同参画の時代が到来していたにもかかわらず、避難所から職場へ通うことを期待されたのはもっぱら男性でした。震災直前までキャリアをもって働いていた女性たちの多くは、当然のようにそれを断念して避難所で家族の世話をすることを暗黙のうちに要請されたのです。やがて仮設住宅や復興住宅に家族単位で引っ越した後には、DVや虐待が深刻な問題の一つになりました。

 今回も、感染症対策の影響で、本意ではなく自宅待機を余儀なくされた夫が、その不満と怒りを妻に向ける事態が生じていることは容易に想像できます。また、母親は、夫からもわが子からも逃げ場のない状況で、持って行き場のない感情を子どもへの虐待という形で暴発させてしまう可能性があることも十分考えられるでしょう。これらは、社会的な距離を取るために生じた、家庭内での距離の縮まり(近すぎること)に由来する困難だと言えます。

母子に必要な「距離」

 母親と子どもの間には、ほどよい「距離」が必要です。成長の過程で振れ幅の大きな時期もありますが、月単位、年単位の大きなスパンでみれば、いつもわが子のそばにいて細やかにその欲求を汲み取り、十分に応えてあげようと万全を尽くす努力をするよりも、適度な距離があって、ときにはわが子の欲求を汲み取り損ない、幻滅させることのある母親でいた方が、健全な母子関係が育めるのです。

 イギリスの著名な小児科医で、治療場面での観察から親と子の関係の発達について多くの知見を残したウィニコットという人は、子どもの健やかな成長にとって必要なのは、「ほどよい母親(good-enough mother)」であると言っています。完璧な母親(もしそういう人がいるとすればですが)は、かえって子どもの成長を阻害する、一番良いのは、最初はわが子と一体になり子育てに没入するけれども、子どもの発達に応じて、少しずつ子どもの欲求を捉え損ね、応え損ねるようになっていく、ほどよい母親だというのです。母親も一人の主体性をもった個人ですから、別の主体性をもったわが子と衝突したり、食い違ったりするのは当たり前です。

 いずれ子どもは自立し、母親のもとから巣立っていく時期が訪れます。社会では、誰も母親のように自分の欲求を汲み取り、応えてくれることはありません。それならば、応えてくれない母親に幻滅し、少しずつ失望していくことを繰り返しながら、子どもは欲求を我慢したり、言葉で伝える努力をしたり、もっと広い世界に自らの欲求を満たせるよう働きかけていくプロセスを生きることが大切と言えるのではないでしょうか。そして、そのプロセスを可能にするのが母と子のほどよい「距離」なのです。

(中略)

距離を見失わないこと

 この非常事態下にあって、社会的距離を取ることの徹底と同時に多くの家の中で起きているのは、家族間の距離の喪失です。「距離」は取りようによって、世界中の人々の生命を脅かすウイルスを制圧する劇薬にもなるし、親と子の関係に決定的な影響を与える劇薬にもなります。一人ひとりのおかあさんたちにぜひ伝えたいのは、そのような今の状況に対して少しでも自覚的になり、「自分さえ努力すれば」と距離を見失ったまま頑張り続けないでほしいということです。

 目の前のわが子にカッとなって手を上げるくらいなら、自分が一人で公園のベンチに座って木々を眺めてみることです。思い切って、いつもの保育所に子どもを送り出してもよいでしょう。これは不要不急ではなく、必要至急の「距離」の取り方です。繰り返しになりますが、緊急事態下にある社会は、弱い立場の者やマイノリティに非難の目を向けやすいのです。子どもを連れた母親も、弱者でありマイノリティです。冷ややかな目を向けてくる人に対しては、あなたに問題があるのではなく、その人自身が自分の不安と戦っているのだと思ってみて下さい。

(後略)

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「第6回 距離という劇薬――ほどよい母親でいるために」全文はこちら からご覧になれます

連載「おかあさんのミカタ――変わる子育て、変わらないこころ」はこちら からご覧になれます

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