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『発達とレジリエンス』訳者による 書評とあれこれ

記事:明石書店

『発達とレジリエンス――暮らしに宿る魔法の力』(明石書店)
『発達とレジリエンス――暮らしに宿る魔法の力』(明石書店)

パンデミックも災害だった!

 東日本大震災の折、翻訳者2人が住む地域にも津波が襲来し、私たちも被災者と呼ばれることになった。被災地に多くの支援が寄せられたことには今でも感謝しているが、一方で、支援を受けるだけでなく、自分たちも復興の力になりたいと行動した人たちも大勢いた。私たちも座してみている訳にはいかず、それぞれの立場から支援に携わってきた。手探りで活動する中で、2013年に見つけ出したのがレジリエンス研究の第一人者、ミネソタ大学のアン・マステン教授の著書、Ordinary Magic だった。この本は、私たちにとって、被災したことを理解し支援を行うための羅針盤となった。

 この本を、様々な領域で支援に係わるすべての人たちに読んでもらいたい、そしてかならずやってくる次の自然震災への備えの一助になればと思い、2年の歳月をかけて翻訳に取り組んできた。

 ところが、翻訳がほぼ完了した今年の2月に、covid-19パンデミックが起こってしまった。今や、世界中が被災地になったような状況である。

 翻訳を行っていた時には、私たちはパンデミックの恐ろしさを災害として想像することはできなかった。しかし、マステン教授は確かに書いていた。パンデミックも災害であると。パンデミックも災害であるのなら、私たちはどのようにしてこの逆境を乗り越えることができるのだろうか。『発達とレジリエンス──日々の暮らしに宿る魔法の力』は、改めてこの問いに答えるヒントをもたらしてくれるはずである。

マストテン先生(右)と共に(左が上山)。京都にて。
マストテン先生(右)と共に(左が上山)。京都にて。

なぜ、Ordinary Magicなのか

 マステン教授の研究の出発点は、アメリカ合衆国に蔓延している子どもの貧困問題であった。ミネソタ州ミネアポリス市を中心にして、異領域の研究者や専門家が手を携え、逆境にある子どもたちやその家族への支援の問題に取り組んだのである。マステン教授は、このチームを率いるリーダーであり、現在進行中の神経生物学を取り入れた新たな研究のうねりを牽引している。

 この研究チームは、逆境の悲惨さにのみ注目することに終わらず、逆境を乗り越えた数多くの子どもたちのレジリエンスの物語を見出し、その中から支援のための手がかりを学ぼうとした。

 初期のレジリエンス研究者たちが注目したのは、

1. 誰が病気になり、誰がならないのか?
2. それはなぜなのか?
3. 発病率を抑えるために何ができるか?

 マステン教授らが注目したのは、

1. 誰が健康に育ち良好に回復するのか?
2. どのようにして?
3. 健康と適切な発達を支え守るために、何ができるか?

 この問いへの答えは、人々が営む日々の暮らしの中で保護要因として働く、ありふれたことの中にあった。支援するにあたり、生活の中で育まれるポジティブな面に着目したのである。

「レジリアントな個人に関する魅力的な物語には、レジリエンスとは稀なものであり、非常に特殊な能力や資源(神話やおとぎ話に登場するような魔法や助っ人など)があったからこそのおかげ、という誤解を招く傾向がありました。しかしながら、研究からのエビデンスは、レジリエンスとは決して特殊なものではなく、基本的保護要因の作用から起こることを示しています。もちろん、中には、才能、幸運、資源に特別に恵まれた子どもたちが、厳しい逆境を乗り越えるような事例もありますが、しかし多くの場合、成功を収めた 子どもたちは、日常の中にある人的資源と保護要因に助けられていただけだったのです。レジリエンスは、発達を育むありふれた日常の適応システムから派生します。適切に機能する健康な脳、大人として適切に関わってくれる人たちとの親密な関係、愛情ある家族、適正に機能している学校やコミュニティ、成功に至る可能性がある機会、外界との関わりの中で育まれた確かな自信、などがその例です。」(本書24頁)

支援を見据えたレジリエンスの定義

 レジリエンスの定義は一様ではない。本書の中で、マステン教授はレジリエンスを次のように定義した。

自らの機能、存続または発達を脅かすものに適応する、動的システムのキャパシティ(本書26頁)

 個人の能力や特質、家族、コミュニティ、社会そして国家などのシステムの中で、レジリエンスの現れ方は異なってくる。今回のパンデミックも同じだ。発症のリスクは他の災害と同様に、生物学的要因、慢性疾患の有無、生活習慣病への対応、年齢、性差などの個人内の要因とシステム、家庭(家族の機能)や働く環境(リモートワークできるか否かなど)などの外的要因とシステム、そして地域、社会、政治体制などのより大きなシステムの在り方によって大きく異なっている。リスクはシステムの機能の仕方で変わってくる。リスクは、システムをまたいで累積することで厳しさを増す。しかしながらに、それぞれのシステムにはかならずポジティブな可能性が秘められているはずである。逆境は固定されたものではなく、支援によって動的に変化する可能性が出てくるのだ。このように、システムとして定義することで、支援の道筋が見えてくるようになる。この本では、具体例をもってそのことを示している。

そして、これから

 パンデミックが始まってから、マステン教授と私たちはテレビ電話やメールで、それぞれの状況について話し合っている。他の災害と同じく、パンデミックが収束した後に、地球規模で社会構造の変化が生じるはずである。それに伴い、新たに生じたリスクに晒される人々も出てくるはずであろうし、そもそも高いリスクを抱えていた人々は、この流れの中でさらなる支援を必要とすることになるだろう。教授の目は、このパンデミックの後に派生してくるはずの新たな課題を見据えている。今回のパンデミックは地球規模での大きな被害をもたらすことになろうが、レジリエンスの芽は、かならず人々の暮らしの中に宿っているはずである。その芽を見つけ出し、この災害から学んだことを無駄にせず、持続可能な社会の構築を目指さねばならない。

「レジリエンス科学に取り組む研究者は、複雑なシステムが撹乱された時に現れる多様な反応を解明することによって世界中で目覚ましい成果をあげています。地球規模の大惨事は、テロや災害、地球温暖化、パンデミック、経済危機、 そして戦争など様々な形態での発生が増加傾向にあります。これに対して、命を守るために、地球規模でのウエルビーイングを高めるために、そして逆境に 晒されている人々のレジリエンスが発現する確率を少しでも高めるために、 様々なレベルでの政策の実施や支援的な介入が始まっています。」(本書12頁)

 このパンデミックの最中に、物理的につながるということが難しい状況の中で、ネットに登場している世界中の人々による支援のアイディアは、レジリエンスの証(あかし)である。パンデミックが終息した後にも、支援の仕事についているすべての人々は、それぞれの現場で人々のレジリエンスを高めるために力を発揮することが求められることになるだろう。あらゆる災害に立ち向かう人々にとって、この本が羅針盤となることを心から願っている。

 この本のカバーで咲いている白い花は、「浜菊」で、花言葉は「逆境に立ち向かう」である。2011年、被災した三陸沿岸の瓦礫の中で咲き始めたこの花の美しさを私たちは忘れることができない。その思いをカバーデザインとして実現してくださった版元とデザイナーに感謝したい。

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