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新型コロナウイルスと医学という学問(下) ウイルスと共存し耐えるのも人間の健康的な強さ

記事:春秋社

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のウイルス粒子の電子顕微鏡画像、NIAID、NIH Image Gallery、出典:Wikimedia Commons (public domain)
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のウイルス粒子の電子顕微鏡画像、NIAID、NIH Image Gallery、出典:Wikimedia Commons (public domain)

3 医学と医療制度・医療倫理

 令和2年4月16日、日本全国に緊急事態宣言が発令された。その目的の一つは、人々の接触を8割削減し感染者数を抑えることで入院患者を減らし、「医療崩壊」を食い止めることであった。医療崩壊の定義は必ずしもはっきりしないが、ここでは「治療を受けたくても受けられない状況」「医療を提供したくても病床やガウンさらに医療従事者の不足、さらに院内感染などで十分な医療を提供できない状況」と定義しておく。この状態では、すべての患者を治療することは困難となり、限られた医療資源をどの患者に提供するのかという倫理的問題が生じうる。このように、実学としての医学(医療)は、単なる基礎科学の応用ではなく、「医療制度」さらに人を対象とするがゆえに「医療倫理」によっても規定されているのである。

4 医学の全体像と人間の多元性

 新たな医学的発見や治療薬の開発は人々の目を引きやすいが、こうした点のみに医学の意義を見出すのではなく、人間に関わる医学とは、そもそもどのような学問であるのか、つまり医学という学問の全体像とその本質を常に反省しながら、今後のあるべき学の姿を探求していくことが大切ではなかろうか。このような課題を担うのが、医学哲学(philosophy of medicine)である。著者は医学の全体像を考える際に、少なくとも4つの観点が重要であると考える。それは、(1)医学の科学論、(2)人間観、(3)医療倫理・医療制度、(4)医学が追及する「価値」である。

 例えば人間観について、かつては生物学的観点から人間を理解しようとする生物医学が中心であり、そこでは人間の生物学的側面が重視されれていた。しかしその後、いわゆるH.セリエのストレス学説などにより、心理的・社会的ストレスも身体の疾患に関与することが明らかにされてきた。G.エンゲルは、生物医学モデルに代わり、「生物心理社会モデル」(biopsychosocial model)の重要性を主張し(Engel,1977)、現在このモデルは医学において広く受け入れられている。さらに、大きな変化として、緩和医療により「全人的苦痛」(total pain)という概念が医学に導入された点があげられる。全人的苦痛は、身体的・心理的・社会的苦痛のみではなく、スピリチュアルペインを含む概念であり、「全人的苦痛」という概念の背景には、人間を生物・心理・社会・スピリチュアルな存在として理解するという人間観が横たわっている点を見逃してはならないだろう。医学モデルで考えるならば、biopsychosocial modelからbiopsychosocial-spiritual modelへの展開である。この場合、医学でいうスピリチュアルとは、病気の意味、苦しみの意味を求めるという観点から理解されている。人間とは意味を求める存在なのである。

 こうした人間理解の重要性を支持する科学的研究はいくつもある。例えば人間は社会的存在であるが、この点に関しては他者との関わりが健康や病気に関与するという研究が、急激に増えてきている(Holt-Lustand, J. 2018, Cacioppo,J.T.2010)。特に孤独は寿命(孤独である人ではそうではない人に比べて死亡率が高い)、心血管疾患、うつ病や認知症など、心身の疾患に関わることが明らかにされてきている。

5 医学が実現する価値と苦悩の意味

 医学は目的・価値を追求する学問・実学である。しかし、その実現する価値はアプリオリに与えられているものではない。例えば、医学において「健康」は実現すべき価値の一つであるが、その「健康」は科学的にも文化的にも極めて多様な概念である。かつてI.イリッチは、「医原病」特に「文化的医原病」という概念を提示し、「過度の医療化」(overmedicalization)により、痛みや病気さらに死に対処する人間の能力が破壊される可能性を鋭く指摘した。そして彼は「健康」という概念を、苦悩や死から逃避するのではなく、それらに対して挑み、あるいは受容し、あるいは忍耐することを含む概念として理解したのである。

 現在の新型コロナウイルスに関しても、ウイルスと闘う(挑む)だけではなく、共存(受容)し、忍耐していかざるを得ない状況にあるようにも思われる。こうした態度も人間の健康的な強さといえないだろうか。V.フランクルが述べるように、われわれは人生からの問い/課題に対してどのような態度をとるかによって、われわれの人生を価値あるものとすることが出来るのである(態度価値)。

 医学はその科学的営みと同時に、医療制度や医療倫理、さらには人間観にも規定されながら、実現すべき価値をめざす学問なのである。現在のコロナウイルスの終息はいつになるか、いまだ明確な見通しは立たない。このような現状であるからこそ、われわれは改めて医学とは何か、病気とは何か、人間とは何かを再考し、心理的社会的連帯の重要性や苦しみの意味について見直すべきではなかろうか。

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参考文献:杉岡良彦『医学とはどのような学問か:医学概論・医学哲学講義』春秋社、2019年。 本稿の文献の詳細は拙著を参照にされたい。

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