1. じんぶん堂TOP
  2. 自然・科学
  3. 「未知のもの」にどう対するか 新型コロナの100年前、スペイン風邪の記録 内務省衛生局編『流行性感冒』

「未知のもの」にどう対するか 新型コロナの100年前、スペイン風邪の記録 内務省衛生局編『流行性感冒』

記事:平凡社

 私たちは現在、インフルエンザの原因はウイルスであることを知っている。しかし、スペイン風邪がパンデミックを起こした1918年には、まだウイルスは見つかっていなかった。たいへんな数の死者を出している感染症の真の原因が不明だったのだ。

 一方で、この1918年という年は、第一次世界大戦の最中であり、医学が大きく変わっていこうとしていた時期にも重なっていた。その時期にこの『流行性感冒』が書かれたということが、この報告書に重要な意味を与えている。

19世紀末からの細菌学の発展と「濾過性病原体」

 感染症の原因について科学的に実証されたのが19世紀末。ルイ・パスツールが細菌病因説をとなえ、ロベルト・コッホが1876年に炭疽菌の培養に成功したのを嚆矢として、細菌学が一気に花開いた。コッホによる結核菌、コレラ菌の発見、スタンバーグによる肺炎球菌、クレプスによるジフテリア菌、北里柴三郎による破傷風菌の純粋培養など、枚挙にいとまがない。世界の人々を悩ませていたさまざまな感染症の病原菌が次々と解明されていった。19世紀末は、まさに細菌学の黄金時代の様相を呈し、パスツールの予想通り、細菌の研究によって、すべての感染症の原因が解明できるかもしれないと考えられていた。

 ところが、同じ19世紀末の1892年、ロシアの植物学者イワノフスキーは、不思議な現象を見つけていた。タバコの葉にモザイク状の斑点をつくるタバコ・モザイク病にかかった葉を絞ってその液を健康な葉に塗ると、モザイク状の斑点がでた。つまり、タバコ・モザイク病は感染症なのだ。とすると、パスツールの原則によれば、原因となる細菌がいるはずだ。ということで、イワノフスキーは、タバコ・モザイク病にかかった葉を絞った液体を濾過器で濾してみた。彼が使っていたシャンベラン型濾過器は、パスツールの元で働いていたシャンペランが純粋な水を得るために作り出したものだ。細菌の培養に使う水に、そもそも細菌が入り込んでいるのでは、実験そのものがなりたたないからだ。そのシャンベラン型濾過器は、小さなバクテリアも通さないほど細かな素焼きのフィルターで作られていたにもかかわらず、濾過された液体は、感染性を持っていた。この実験によって、イワノフスキーは、タバコ・モザイク病は、細菌そのものではなく、細菌が作った毒素によって起こると考えた。同じころの1898年、オランダのマルティヌス・ベイエリンクも同じ現象に気づき、感染の原因は未知の溶液状の物体であると考え、その未知の物質にContagium vivum fluidum(生命を持った感染性の液体)と名付けた。このころは、濾過性病原体(すなわちウイルス)は、まだ粒子ではなく、液体か水に溶ける物質だと考えられていたようだ。

 彼らが気づいた「濾過性の病原体」がウイルスであることが判明するのは、1933年まで待たねばならない。イギリスのウィルソン・スミス、クリストファー・アンドリュース、パトリック・レドローらによって、インフルエンザの感染はウイルスによるものだと結論付けられるのに、さらに15年かかったのだ。それに、アメリカのウェンデル・スタンレーがタバコ・モザイク・ウイルスの結晶化に成功し、ウイルスの実体を人類が目にしたのは1935年だ。電子顕微鏡も、ルスカによってその原型ができたのが1932年だ。

インフルエンザの原因についての対立

 しかし、細菌よりも小さな「濾過性病原体」が存在するらしいということは、スペイン風邪がパンデミックを起こした1918年当時の医学においても、分かっていた。ひょっとすると、インフルエンザの原因は、この「濾過性病原体」なのではないかという説もあった。

「インフルエンザ」の病原は未だ解決せられず。多数はプアイフェル氏菌の存在を認め、肺炎を合併せる時は肺炎双球菌及連鎖球菌を認む。但しプアイフェル氏菌を以て真性の病原体なりとなすことは未だ立証せられず。他に濾過性病原説を主張するものあり。(『流行性感冒』46頁)

 この引用には、少し解説が必要だろう。「プアイフェル氏菌」とは何か。1918年の20年程前にも、小規模のインフルエンザの流行があった。ドイツの細菌学者プアイフェル(Richard F. J. Pfeiffer、現在では「パイフェル」と表記される。北里と同じコッホ門下の研究者)は、調査をした結果、1892年にインフルエンザを起こす病原菌を見つけている。インフルエンザはウイルス病なので、もちろん、これは間違い。しかし、当時は、前述のごとく、感染病の原因菌がゴールドラッシュのごとく見つかっていた時期でもある。重症の患者の肺にたくさん見られる新しい菌がいたら、それが原因だと思うのも当然で、学会でも認められていたようだ。

1889-91年(明治22年-24年)の「パンデミー」に於て其の病原論の紛糾せることは今次の流行以上なりしが如く、就中肺炎双球菌の如きは最も重要視せられたり。プアイフェル氏が「インフルエンザ」桿菌を発見報告せしは「パンデミー」の末期1892年(明治25年)にして当時の学会は遂に之を「インフルエンザ」の病原として承認せる所を以て考ふるに、患者より本菌を検出すること極めて容易且つ豊富にして、直に本菌を以て病原視するに差支なかりしものなる可し。(『流行性感冒』252頁)

 なんとしてでも感染症の原因菌を見つけたい、また見つかるはずだ。それが時代の空気だった。プアイフェルも、感染症の解明を目指し、「インフルエンザの原因菌」を見つけたわけだ。しかし、インフルエンザのすべての患者で「プアイフェル氏菌」が見つかっているわけでもなかった。

11月20日には京都及大阪の両医学会に於て「インフルエンザ」病原研究の発表あり。...大阪に於ては佐多氏はプ氏菌を25.5%に培養せるも之を以て口腔常在性の非病原菌となし、「インフルエンザ」の病原は不明なるが肺炎双球菌の一変種なる可しと論ぜり。11月24日の東京の学会に於て伝染病研究所石原氏等はプ氏菌を検出すること68%なるも免疫反応陰性なるを以て病原と断ずる能わずと報告し、東大の山崎氏、川北氏等は病理解剖所見に基きプ氏菌及「グラム」陽性双球菌を見るも、双球菌は常に見らるる菌にして流行に特殊のものに非ず。プ氏菌に病原的意義があるが如きも未だ之を断定するを得ずとなせり。(『流行性感冒』254頁)

 これを読む限り、インフルエンザの原因が「プ氏菌」(この表記自体、少し皮肉っぽい)であると結論づけることには、当時でも、かなり議論があったようだ。

 このプ氏菌にこだわったのが、日本の誇る細菌学の泰斗、北里柴三郎だった。北里は、細菌学の父ロベルト・コッホの研究室にいたことがあり、破傷風菌の純粋培養をした学会の最高権威である。北里がベーリングとともに行った血清療法の研究は、第一回ノーベル賞に輝いている(残念ながら、北里は受賞対象にはならなかったが)。

 その北里が、インフルエンザの原因は、プ氏菌だと言っているわけだ。

 ところが、その権威である北里の見立てに反対する勢力があった。先の引用に伝染病研究所の石原氏の意見が引かれているが、この「伝染病研究所」は、北里にとって、いわくがある研究所だった。福澤諭吉の援助で1892年に「伝染病研究所」が創立され、94年には日本私立衛生会付属伝染病研究所が設立された。ここの初代所長が北里柴三郎だった。ところが、伝染病研究所は1914年に文部省に移管され、これに不満をもった北里は所員全員とともに研究所を退職、あらたに芝白金三光町に私立の北里研究所を作った。もとの伝染病研究所は、16年からは東京大学の付属となった。現在の東京大学医科学研究所の前身だ。

 1918年当時、インフルエンザの原因を巡って、この北里研究所と東大の伝染病研究所が真っ向から対立していたわけである。

……北里研究所にありてはプ氏菌病原説の論拠を固め大正9年12月19日に綜合的報告を行へり。其の所説を摘出せんに、適当なる技術と材料を以てすれば患者よりプ氏菌を検出する率極めて高きこと、患者屍体の肺其の他より検出せらるること、プ氏菌及其毒素を以てせる動物実験、患者の白血球減少症と実験的白血球減少との一致、各種免疫反応(凝集反応、補体結合反応、喰菌現象、菌の溶解現象)等によりてプ氏菌の病原的関係を信ずと云ふ。
 伝染病研究所は病原不明説を持して渝(かわ)らず。論拠はプ氏菌に病原たるの確証なく、其の他未だ信ずるに足るものなきも、従来上げられたる細菌以外に未知の病原体あるを想像しプ氏菌、肺炎双球菌を以て二次的侵入者としての意義最も大なるものと認定せり。 (『流行性感冒』255頁)

 両者、一歩も引かずというところだ。ただ、伝染病研究所が「未知の病原体を想像し」と言っても、当時としては、じゃあどうするんだ、というところだったというのは想像に難くない。なんらかの具体的な治療法なり予防法が求められていた。

成功体験が足を引っ張るとき

 先ほど、19世紀末は、細菌学の黄金期だと書いた。ひきつづき20世紀の初頭においても、まだこれは続いていた。1899年には、志賀潔が赤痢菌を発見。1901年に、血清療法の研究でベーリングがノーベル賞、続けて1905年に結核菌を発見したコッホがノーベル賞を受賞している。細菌学の隆盛は、まだまだ続いていた。

 しかし、一般に成功体験が足を引っ張ることがある。細菌学においても、同じことがおこりつつあった。

 脚気について、森林太郎(鷗外)が細菌説にこだわったことは有名である。それも、ちょうどこの頃のことだ。1905年には、陸軍軍医が脚気の「原因菌発見」を報告している。後に、栄養欠乏説(こっちが正解)へと大きく見解を変えて成果を出す都築甚之助も、同年12月には、脚気の「原因菌発見」を発表している。

 また、野口英世も、梅毒の原因であるスピロヘータを見つけ、その後なんどもノーベル賞候補になった細菌学の泰斗であった(『流行性感冒』の本文中に「野口氏培養法によりて」と何度かでてくるが、この「野口氏」は、おそらく野口英世)。その野口が、1913年にポリオと狂犬病の「原因菌発見」を発表(ともにウイルス病)、さらには、まさに1918年、黄熱病の原因菌を見つけたと発表している(じつは、これもウイルス病)。後に、野口本人は確証がなかったにもかかわらず、雇い主であるロックフェラー財団が功を焦ったともとれる資料が出てきているが、真相は不明。1926~27年に、野口の細菌説を真っ向から否定するウイルス説の論文をマックス・タイラーが書き、その反証のためにアフリカに向かった野口は、周知のように、自身が黄熱病にかかり死亡する。

 今から見れば、細菌が原因の主だった感染症はすでに原因菌が特定されており、残っていたのは、かなりの部分がウイルス病だった。1918年当時は、それでも、なんとしてでも感染症の原因菌を見つけたいという機運があった。これらの勇み足は、そこに無理があったのかもしれない。

未知の病気への対応

 新型コロナウイルスは、そのゲノムはすでに解読されているし、電子顕微鏡でその姿を見ることができる。しかし、当時の人びとが未知の感染症に立ち向かった状況は、現在私たちが直面している新型コロナウイルスの感染爆発によってもたらされている事態とほとんど同じといっていい。

 とくに、人間の身体に入り込んだあとのウイルスの振る舞いについては、まだまだ分からないことがたくさんある。軽症者と重症者を分けているものはなにか? なぜ、重症化するのは男性が多いのか? なぜ、重症化するとサイトカインストーム(免疫システムの暴走)が起こり命を落とすのか? 新型コロナウイルスについても、まだまだ科学が解明しなければならないことが山積みだ。

 テレビで新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真を見ない日はない。しかし、ウイルスの姿を毎日見ているからといって、私たちが新型コロナウイルスについて何を知っているのだろうか。「未知の」病原体であることは、何も変わりがない。その一方で、現在は、検査をどんどん増やせ、薬を早く承認しろ、ワクチン開発に資金を提供しろと、社会全体がいらだっている。

1918年当時に貼られていたポスター。
1918年当時に貼られていたポスター。

 『流行性感冒』に描かれたスペイン風邪の予防策は、以下のようなものだった。

感染の予防は目下の医学的知識にては密居を避くること、「マスク」の使用等を可とし、「ワクチン」は将来の研究を要す。口腔鼻咽腔の洗滌(「せんじょう」ではなく「せんでき」)は有効なる可し。(『流行性感冒』52頁)

 うがいと手洗いが入れ替わったくらいで、それ以外は、今の新型コロナウイルス感染の予防法とほぼ同じである。

 『流行性感冒』に、付録として、「内務省の質問に対する諸家の治療に関する回答」が掲載されている。専門家や医者たちに、実際にどのように治療をしているのかアンケートをした結果である。「免疫血清」や「混合血清」「パイフェルワクチン」(ここらへんは北里説信奉者だろう。ワクチンを多用している医者がけっこういる。)、「ヂフテリア」血清、「キニーネ」(マラリアの治療薬)、そして「安静」、「解熱剤禁止」など、実にさまざまな回答が寄せられている。その中でも光っているのが、アンケートの最後に掲載されている吉田正一という医師の回答だ。

59. 吉田正一 玉子酒、橙油(『流行性感冒』371頁)

 おそらく、当時としては、これに「安静」を加えたものが正解だったのだろう。

 振り返って、現在の私たちがおかれている状況はどうなのだろうか。スペイン風邪パンデミック当時より、私たちの医学、病理学、疫学、免疫学は格段に進歩した。しかし、新型コロナウイルスがもたらす感染症が「未知なる病気」であることは変わりはない。そももそ、私たちが病気の原因である微生物に気がついてから、まだたかだか150年強しか経っていないのだ。

 この『流行性感冒』は、100年前のスペイン風邪パンデミックを詳細に記録した生々しいドキュメントとして、私たちに、「未知のもの」への謙虚さを思い出すための重要なヒントを与えてくれる。

      ◇      ◇

[目次]
第一章 海外諸国に於ける既往の流行概況
第二章 我邦に於ける既往の流行概況
第三章 海外諸国に於ける今次の流行状況並予防措置
 第一節 流行状況
  第一項 流行の概況
  第二項 各国に於ける流行状況
 第二節 予防措置
  第一項 各国に於ける予防措置
第四章 我邦に於ける今次の流行状況
 第一節 流行の概況
  第一項 第一回流行状況
  第二項 第二回流行状況
  第三項 第三回流行状況
 第二節 統計的観察
  第一項 流行性感冒患死者統計
  第二項 一般死亡との比較
 附 朝鮮、台湾に於ける流行状況
  第一項 朝鮮に於ける流行
  第二項 台湾に於ける流行
第五章 我邦に於ける予防並救療施設
 第一節 一般概況
 第二節 本省に於ける施設
 第三節 道府県に於ける施設
  第一項 予防施設状況
  第二項 救療並各種公益団体活動の状況
第六章 流行性感冒の病原、病理、症候、治療、予防
 第一節 流行性感冒の病原
  第一項 緒言
  第二項 既往に於ける病原研究の趨勢
  第三項 各国に於ける研究成績
  附濾 過性病原体研究綜攬
 第二節 流行性感冒の病理解剖
  第一項 緒言
  第二項 諸臓器の変化
  第三項 文献
 第三節 流行性感冒の症候
  第一項 緒言
  第二項 一般経過
  第三項 熱の経過
  第四項 各臓器に於ける徴候及び合併症
 第四節 流行性感冒の治療
  第一項 緒言
  第二項 対症療法
  第三項 特殊療法
  第四項 看護上の注意
  附 内務省の質問に対する諸家の治療に関する回答
 第五節 流行性感冒の予防
  第一項 予防の概況
  第二項 流行性感冒「ワクチン」
  第三項 含嗽
  第四項 「マスク」
第七章 英吉利及北米合衆国に於ける流行状況並予防方法の概要(加藤防疫官復命書)[省略]
第八章 我邦に於ける流行性感冒に関する諸表
解説(西村秀一)

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ