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小さな声で語りつがれる人びとの記憶 独立運動の精神をまもった親子二代の韓国版ファミリーヒストリー

記事:明石書店

 20歳にして上海臨時政府に亡命した鄭靖和(チョン・ジョンファ)(19001991)の『長江日記――ある女性独立運動家の回想録』と、臨時政府の揺籃に育ったその息子・金滋東(キム・ジャドン)(1928‐)の『永遠なる臨時政府の少年――解放後の混乱と民主化の闘い』。この二冊は、一市民として100年のあいだ独立運動家の精神をまもりぬいた親と子が語りついだ、いわば現代韓国のファミリーヒストリーであるが、歴史の中で果しえなかった現代韓国の人びとの独立と統一への願いがどのようなものなのかを身近に知ることもできるだろう。

 なにより、この『長江日記』『永遠なる臨時政府の少年』の二つの本を繋ぎ、貴重なものにしているのは、『長江日記』の著者である鄭靖和という一人の女性の姿であろう。彼女の生き方、考え方、人との接し方、すなわち、彼女の人柄、人格そのものが、息子へと引きつがれ、韓国現代史を貫くひそやかではあるが気高い精神を語りつぐ物語となっている。

 この点については、『長江日記』の訳者・姜信子さんが「訳者あとがき 小さな声で語りつがれる人びとの記憶」で、見事に描き出しているので、それを引用させていただき、本書の貴重な意義を伝えたい。

      ◇      ◇

「……日本の植民地支配に抗して、一九一九年に上海に設立された大韓民国臨時政府も、男性の独立運動家たちの手によるものであり、男性独立運動家によって動かされ、闘われてきた、ということになっているわけだが、独立運動家たちにも家族がいるのであり、妻があるのであり、子がある。独り身の独立運動家たちもまた、身の回りの世話をしてくれる女性を必要としていた。

 そのような女性たちのなかで、際立って男たちの独立運動に関わったのが、鄭靖和(チョン・ジョンファ)ということになるだろう。

 鄭靖和のこの貴重な回顧録『長江日記』は、男たちの独立運動を暮らしの面から支えた女性による、いわば生活の場からの独立運動史でもあり、亡命の旅を生きる者による、生き抜くことそれ自体も闘いであるような日々の暮しの記録でもあるのだ。

 彼女は財政難に喘ぐ臨時政府の資金を調達するために、二十歳の頃から何度となく危険もかえりみずに朝鮮国内に潜入し、資金を集めてきた。

 金九、李東寧といった主要人物たちの身の回りの世話をしたのも鄭靖和だった。

 臨時政府の上海から重慶までの険しくも厳しい逃避行は、単に政府が移転したということではなく、臨時政府の活動に関わるすべての人びととその家族の、苛酷な中国大陸放浪の旅だった。

 この回顧録において、一九二〇年に上海に渡ったばかりの頃、臨時政府がまだ政治的な勢いを持っていた時期の暮しの内情について、鄭靖和はこう語っている。

 「しかし、台所に立つ女の立場は少し違っていた。何よりも先に火をおこし、湯を沸かし、どうにか食卓にあげる食料がなければならなかった。……名前、名誉、自尊、矜持よりは、まず急を要するのが生活だった。…… 頭を下げて手足を差し出すまでして、ぼろ一着がさらに切実に必要だったのである。」(本書56頁)

(中略)

 ひとりの金九、ひとりの李東寧、ひとりの李始榮、ひとりの安昌浩、ひとりの李承晩の背後には、その活動を衣・食・住という日々の暮しをとおして支える人びとがいた。その志を分かち合った名もなき無数の民が、名を残すこともなく消えていった。消えた彼らの記憶は、最後に残ったひとりの大きな声の中にいかようにも溶かし込まれ、あるいは打ち捨てられ……。

 長い沈黙の時を経てその人生を語りだした鄭靖和は、共に同じ時代を生きて声をあげることなく消えていった人びとの姿をけっして忘れていない。そこに、この『長江日記』の魅力もある。

 そもそも鄭靖和は、朝鮮社会の厳しい儒教倫理の中に身を置きながらも、ただそれに縛られて耐えるだけの女性ではなかった。上海に亡命した義父に仕えるという名分の下、みずからも亡命する。義父と夫が参加した臨時政府の窮状を女性の領分である生活面からひしひしと感じとり、その領分から資金調達を申し出る。大切な人びとの暮らしを守るという女性としての役割を貫くことで、図らずも、当時の女性の領分からはみだすような経験を重ねることになる。「貴い生まれで美しい人がこのようなことをするとは」と市井の人・李世昌氏に言わしめたようなその経験は、彼女の人間存在に対する想像力を大きく広げ、深い洞察力を育みもしたのだろう。

 彼女の謙虚で繊細な目に映る独立運動家たち、その周辺の人びとの暮らしぶり、人物描写の鋭さ温かさ細やかさ。あの戦火の時代に中国大陸を行き交った者たちの物語もまことに興味深いものである。そこには、独立闘争のために朝鮮義勇軍や、中国軍、共産軍に身を投じた若者たちもいれば、日本軍から救い出された朝鮮人従軍慰安婦もいる、日本軍に徴兵されて中国戦線に投じられた後に脱走した朝鮮人学徒兵たちもいる。同じく中国を拠点に独立運動を展開したベトナム解放同盟(ベトミン)と臨時政府の心温まる交流のエピソードもある。後にアメリカの傘の下に成立した韓国が、アメリカの同盟国としてベトナム派兵をすることになったことを思えば、それは実に皮肉で不条理な歴史の一コマのようにも感じられる。

 日本兵をめぐるエピソードも印象深い。ついに解放された祖国に帰るために、重慶から上海へと向かう鄭靖和ら旅の一行が、その途上で、中国軍の捕虜となって道路工事の現場に投入されている日本兵たちを見ることになるのだが、そのとき鄭靖和はこんな思いを抱くのだ。

 「彼らはすでに皇軍ではなかった。彼らは人間に戻っていた。仕事をする本来の人間の姿へ。彼らはたとえ監視下で労働していても、正体もない帝国主義の理念や思想に背を押されて戦場に行き、殺戮を繰り広げている姿よりは、いっそう人間らしく見えた。」(同264-265頁)

 いかにも鄭靖和らしい言葉ではないか。そう、亡命政府と共に生きる生活者として母として妻として戦争の時代を旅した鄭靖和が見つめつづけたのは、つまりは「人間の営み」だったのだろう。本書で語られているのは、理念や思想や志だけではけっして形作られてはいないこの世界にあって、不条理や不道徳や欲望やどうしようもない大きな力に翻弄されながら闘いながら生きて、去っていったすべての者たちの忘れることのできない後ろ姿なのだろう。

 それは、大韓民国の法統として、独立運動の英雄たちの物語として、上海の大韓民国臨時政府旧址のような立派な史跡をとおして後世に伝えられるものとは異なる、小さな声で語りつがれてゆく人びとの記憶の物語なのだろう。

 (以上、「訳者あとがき」からの引用)

      ◇      ◇

 現代でも韓国については、政治や経済、あるいは歴史についても、大きな声で語られ、その誇張された大きな声ばかりが耳に入りがちである。そうした今こそ、この親子二代が「小さな声で」語りついだ「人びとの記憶の物語」に耳を傾けたい。

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