「鳥獣戯画」から「鬼滅の刃」まで網羅する力作『日本マンガ全史』
記事:平凡社
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日本のマンガは戦後を中心に驚異的な発展を遂げた文化現象である。多様な表現者と膨大な作品があらわれており、分野も多岐にわたっている。その幅広さは文化・芸術ジャンルのなかで特段の存在といえよう。実作者の一人しりあがり寿(ことぶき)は、〈マンガの歴史はひとことで言えば、その表現の領域を、そしてその読者をひたすら拡大してきた歴史と言ってもいいでしょう〉と述べているが(『表現したい人のための マンガ入門』)、若者から大人、少年向けと少女向け、ファミリー相手からマニア対象等々、読者拡大の様相は大胆奔放だ。世代を問わない人気作が次々と生み出される一方で、マイナーな実験的取り組みは絶えることがない。
拡大は単なる数的現象にとどまらない。村上知彦は、マンガとは、読み手と描き手の距離が最も近いメディアであると述べ、〈マンガが新しい表現へと動き始めるとき、そこには必ず、社会構造の変化に伴う新しい意識を共有する読み手と描き手がいる〉と指摘している(『マンガ伝』)。マンガの変遷は、社会がどう移り変わり、どのような状況にあったのかを指し示す好材料となるわけで、とりわけ戦後史ではその役割は大きい。マンガの歩みを縦走的に把握していくことは、時代ごとの人びとの〈意識〉を捉えるためにもさまざまな示唆に富むのである。
さらにいえば、マンガは戦後に若者文化の主役となったことで、見逃せない社会的観点・論点を発信する存在となった。たとえば橋本治は、若さを〈稚(おさな)さであり、欠落である〉とし、ゆえに若者とは〈存在そのものが焦燥であるようなものなのだ〉と捉えたうえで、〈彼及び彼女等の要求──現状肯定を望みながらもそれを否定する、焦燥しながらもそのことには悩まされずに済むという奇妙な不安感を満たすものは〔マンガの〕他には、なかった〉と論じている(「いわゆる“若者文化”とマンガ」)。なお橋本は1979年、少女マンガの先駆的な評論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(同書は橋本の最初の評論集でもある)を世に送ったことで、マンガ文化史に記憶される論者である。
また高橋源一郎は、戦後小説で重要なスタイルとなったミニマリスム(自身や家族の小さな世界に起こる細かい問題を、切りつめたリアリズム手法で表現するかたち)と少女マンガの類似性を指摘しながら、前者に乏しく後者に豊かな要素として「なにものかへの批評性」を挙げている。そのうえで、家族関係の通念、あるいはそれを支えている言表(げんぴょう・言葉で言い表すこと)に対する「ずれ」「揺らぎ」「違和」「反駁」を、否定的でなく肯定的に表現した文芸作品(吉本ばなな『キッチン』)を俎上(そじょう)に載せ、その複雑にねじれて見える箇所に宿った批評のあり方に、文学へ及ぼした(少女)マンガの影響を解読している(『読むそばから忘れていっても』)。マンガは下位文化(サブカルチャー)といわれるが、人間や社会を観察・表現する力量の点で、上位文化(メインカルチャー)とされる文学を凌駕しだしたのだ。日本のマンガが戦後における拡大期を通じて、文化的な自立もまた成し遂げていった過程がここに垣間見える。
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マンガは日本文化のなかで最もポピュラーなものの一つであり、また、サブカルチャーの中心的存在として、研究成果には一定の厚みが出始めている。それもあって概説書の類(たぐい)は数多くあるように思われがちだ。が、実態は必ずしもそうではない。作品や作家に対して綿密な考察を加えた出版物はもちろん少なくない。とはいえ、全体を鳥瞰(ちょうかん)する本となると意外に少ないのが実状といえる。これは、精通を追い求めるマニア的関心を背景に、作品・作家をタテに深く把握しようとする動機が強いためで、文化・芸術ジャンルにはつきものの現象とはいえ、マンガはなかでもこの傾向が異様に強い。
一方で、自身の愛好作品・作家はあったとしても(筆者にもある)、そこから離れて、まず一度全体像を押さえておきたい、という読者も少なくないはずだ。本書はそうした方々に応えようと努めた。よってマンガ史の膨大な流れを整理し、基本事項を新書版一冊内に収めていく方向をたえず意識して制作されている。本書の使い方としては、たとえば、国際交流の場などで日本マンガを話題にする機会を持つさい、その前に大枠の史的展開を復習(さら)っておくための一冊、となるだろうか。
筆者はかつて安藤宏『日本近代小説史』(中公選書)に編集者として関わった。日本の近代小説は全体の歴史となると、たとえばドナルド・キーンの労作(『日本文学史 ──近代・現代篇』、全9巻)をあげるまでもなく、数巻に及ぶのが通常である。扱う対象が多岐にわたるからだが、そのなかで同書は、「コンパクト」を念頭にさまざまな工夫を加えることで、比較的手頃な一冊に収めることができた。この本は現在、多くの大学で授業用の教材として使用されている。本書『日本マンガ全史』は同書のあり方を念頭に置いている。
「コンパクト」を心得つつ(図版引用が大量におよび、ページ自体は多めとなってしまったが)、そのうえで本書は、登場する作品についてはなるべく内容を示し、加えて、作家の証言や印象的なエピソードの紹介に力を注いだ。これらの観点を織り込むことで、事項の平板な羅列とならないようにし、また、たえず具体的に、わかりやすく叙述するのを本書は心がけている。関連する図版を数多く収録し、「読んでわかり・見て面白い」本をめざした。
日本のマンガは戦後を中心に一大発達を遂げたが、もちろんこれは唐突に起きたわけではなく、過去の蓄積が前提となる。近世以前のあり方、明治のポンチ絵、大正の新聞4コマまんが、昭和に入ってまもなくの雑誌展開は、日本マンガ史に不可欠の要素となっている。これらをふまえて戦後に「大発展」がなされ、野放図なまでの活性化現象が起きたのだ。
その変転の様相を大きな歴史の流れとして描くのが本書の主たる役割となるが、他方で本書は、扱うテーマを比較的多岐にわたらせている。
マンガはすでに一つの文化遺産といってよい地位を築いた。と同時に、21世紀の現代でも生き生きと躍動している。歴史性とアクチュアリティを併せ持つ、こうしたマンガの生命力はどこから来るのか。それはマンガが、単なる芸術・文化現象を超え、産業として巨像化していったことと無関係ではない。
マンガは出版・新聞といったマスメディア業に担われ、アニメへの展開を併せれば、放送・映画といった映像系のメディアとも深い関わりを持ちながら発展を続けてきた。作品生成過程ではプロデュースする側が複雑に関与しており、マンガの歴史はメディア史、なかでも出版史の文脈から見ていく視点が不可欠である。本書は全体にこの点を強く意識している。常にプロデュース側へ関心を持ち、とりわけ出版人が作品の登場にどう関わったかに筆を費やしている。
加えて本書は、マンガ史と関連が深いアニメについて、叙述上の必要の範囲内で積極的に言及する方針で臨んだ。大正期からの日本アニメの歩みが、点描方式ながら綴られているのはこうした考えに基づく。そして第9章ではアニメを厚く取りあげている。
また、マンガを見ていくとき見逃せないのは、(その表現を映像へ展開した)アニメと同道しながら、短期間に世界化を果たした事実である。manga-anime はいくつかの紆余曲折(うよきょくせつ)を経つつ、とりわけ1990年代以降、地球規模で多くの読者・視聴者を得るようになり、まもなく五大陸の津々浦々、まさに路地裏まで広まった。人気作品のキャラクターは、少年少女から大人まで、たくさんの人たちに親近感をもって受け入れられている。国境を越えた尋常ならざる普及力と定着の早さ、そして受容層の厚みという点で、マンガは他の日本発文化ジャンルの追随を許さず、世界史的に考えても類似の存在はほとんど見出せない。このテーマに関しては第10章でその様相を追っている。
なお、ネット環境が行きわたりデジタル化が進む21世紀において、マンガは新たな創造姿勢を見せた。ネット・デジタル文化と先んじて親和し、先鋭的、あるいは尖兵的様相さえあらわしてきたわけで、本書は第12章を中心にこの点への言及も行っている。
これらを併せ、通史という基本姿勢のなかにテーマ性のある項もできるだけ織り込んだのは、本書を特色づけるはずだ。
(『日本マンガ全史 「鳥獣戯画」から「鬼滅の刃」まで』「まえがき」の一部を転載)
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【『日本マンガ全史』目次】
序章 前史──『鳥獣戯画』から北斎まで
庶民が育んだメディア/『鳥獣人物戯画』/コマ表現の登場―『北斎漫画』/日本は世界三大マンガ大国の一つ
第1章 明治・大正期──ポンチ絵とコマまんが
近代ジャーナリズムの登場/木版印刷から亜鉛凸版印刷へ/ワーグマンと『ジャパン・パンチ』/ビゴーと『トバエ』/諷刺雑誌の流行/『滑稽新聞』と『東京パック』/「マンガ」を意味する言葉の変遷/岡本一平/マンガ表現の確立/「正チャン」登場/「ノントウ」の魅力/紙面左上に定位置を得る/キャラクター・ビジネスの走り/国産アニメのはじまり
第2章 昭和戦前・戦中期──『少年俱楽部』と「のらくろ」シリーズ
講談社と『少年俱楽部』/のらくろシリーズ/消しゴムからハモニカまで/出版統制のもとで/「冒険ダン吉」と講談社系のマンガ家たち/個性的なナカムラマンガ・ライブラリー/『読売サンデー漫画』/「フクちゃん」/戦時のマンガ家/国産アニメの進展
第3章 戦後復興期 ──手塚治虫の登場
マンガ雑誌の復活/新人の登竜門『漫画少年』/『おもしろブック』と『冒険王』/手塚治虫/『新宝島』の影響/『鉄腕アトム』と『リボンの騎士』/すぐれたプロデューサー/街頭紙芝居と赤本/長谷川町子と「サザエさん」/藤子不二雄/赤塚不二夫/石ノ森章太郎/悪書追放運動の嵐
第4章 『サンデー』『マガジン』のライバル対決
ライフスタイルの変化/少年誌「週刊」の時代へ/小学館/破格の創刊事業/それぞれの4本柱/有力マンガ家の確保/タイアップという手法/プレゼント企画の威力/「伊賀の影丸」と「おそ松くん」/当初は人気が出なかった「オバケのQ太郎」/東映動画と虫プロダクション/第三の週刊誌『少年キング』
第5章 拡大と熱闘の時代
「鬼」の異名/カント学徒からの出発/異次元の取り組み/原作・作画分離方式/「大人の鑑賞にも堪えうる作品」を!/『巨人の星』/力石徹の「告別式」/「墓場の鬼太郎」から「ゲゲゲの鬼太郎」へ/150万部突破/五大誌時代の幕開け
第6章 劇画と青年コミック
貸本文化/『影』と『街』/劇画の特徴/白土三平と『忍者武芸帳』/『ガロ』創刊/伝説となった作品群/サブカルチャーの代表誌/大人向け娯楽誌/『週刊漫画TIMES』と『週刊漫画サンデー』/実験誌『COM』/マンガ文化と商業主義の問題/青年コミック/『漫画アクション』と『ヤングコミック』/青年コミックの基本線/サラリーマン向けマンガ
第7章 少女マンガ
前史―少女雑誌の登場/貸本少女マンガ/「リボンの騎士」/水野英子/学園マンガの登場/スポーツマンガの興隆/特異なギャグマンガ/虫プロ『ファニー』/りぼんコミックグループ/新ロマン派の登場/24年組/「ベルサイユのばら」/「ガラスの仮面」と「あさきゆめみし」/「読者」の拡大/少年誌のラブコメ路線/白泉社の作家たち
第8章 『少年ジャンプ』の時代
巨匠からコミケまで/『少年チャンピオン』/すべてをマンガページに/ビッグネームの不足/新人作戦の始動/「俗悪」の解放/友情・努力・勝利/1970年代のヒット作・異色作/アンケート至上主義/専属制度/少年誌全体の市場拡大/「ドラゴンボール」も最初は不人気だった/バトルロワイヤル型/空前の653万部/「ONE PIECE」登場/マンガのキャラクターが「世界が尊敬する日本人」に/『少年マガジン』との首位交替/『少年サンデー』の名作/「どんぐりの家」と「ヨコハマ買い出し紀行」/大友克洋が愛読者となった「蟲師」/「セーラームーン」と「アンパンマン」
第9章 メディアミックスとアニメ
起点としてのマンガ/テレビアニメの台頭/第一次アニメブーム/第二次、第三次ブーム/マンガから興った宮崎アニメ/ベストスリーの独占/TRPG起源の「ロードス島戦記」/「ちびまる子ちゃん」の多面展開/深夜枠と「新世紀エヴァンゲリオン」/「涼宮ハルヒ」/「セカイ系」の登場/4コマまんが発の「空気系」/「ポケモン」の普及/マンガ表現の拡張
第10章 海外へ進出する日本のマンガ
Magic Boy/子ども番組の9割が日本アニメ/AKIRAショック/冬の時代/Anime Convention 91/流通システムの問題/そして『SHONEN JUMP』の発行へ/「マンガスタイル」とアメコミ/ヨーロッパでの受容①フランス/ヨーロッパでの受容②スペインとイタリア/ヨーロッパでの受容③イギリス/アジアでの受容①中国/アジアでの受容②韓国/海外が認める「文化」としてのマンガ・アニメ
第11章 成熟のゼロ年代
団塊世代の成長とともに/マンガ市場の陰り/飽和のなかでの挑戦/「鋼の錬金術師」/「よつばと!」と浦沢作品/「のだめカンタービレ」と「エマ」、そして「NANA」/「フラワー・オブ・ライフ」と「海街diary」/24年組の再活躍/「DEATH NOTE」/累計1億冊突破/青年向けコミックスの最速記録/クチコミからヒットした「ちはやふる」/「BLEACH」「Jin-仁」、「イキガミ」「MAJOR」/「劇画漂流」と「夕凪の街 桜の国」
第12章 電子時代のなかで
「進撃の巨人」/『ONE PIECE』2億冊突破/アニメ深夜枠発のヒットマンガ/れっきとした少女マンガ「俺物語!!」/カゲロウプロジェクトと初音ミク/『陽のあたる家』と「フイチン再見!」/雑誌の部数を倍増させた「妖怪ウォッチ」/「聲の形」、そして思想誌掲載のマンガ/バラエティの影響と「キングダム」/無料マンガサイト初の大ヒット作/劇場用アニメの記録的作品/電子優位時代の到来/コミックエッセイのベストセラー/「鬼滅の刃」大旋風/新時代の行方
参考文献/和暦西暦対照表/マンガ・アニメ主要事項年表/一般史年表