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「やまゆり園障害者殺傷事件」の背景にあるもの 渡辺一史『なぜ人と人は支え合うのか』より

記事:筑摩書房

original image: XtravaganT / stock.adobe.com
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「やまゆり園障害者殺傷事件」と私たち

 非常に気の重い話でもあるのですが、障害をテーマに何かを語ったり、考えたりする場合、やはりこの事件の話題に触れないわけにはいきません。

 「障害者なんていなくなればいい」―犯人がそんな趣旨の供述をしたとして、社会を震撼させた例の事件についてです。この問題を考えるにあたっては、事件を起こした植松聖という人物の考え方を高みから全否定するのではなく、その主張をわが身に照らして、じっくりと吟味してみる必要があると私は思っています。

 というのも、私自身、胸に手を当ててみれば、ある時期まで、障害についての問題を「人ごと」だと考えていましたから、植松被告と似たような意識を漠然と心の中に抱いていなかったかというと自信がありません。もちろん、「いなくなればいい」とか「死ねばいい」などとはっきり思っていたわけではありませんが、あの事件の報道に初めて接したときの、私自身の心のざわつきに正直にならないわけにはいかないのです。

 哲学者の最首悟さんも、「植松青年のような考え方、見方というのは、じつは多数派かもしれない」といっていますが、インターネットを開くと、植松被告と似たような書き込みは、事件が起きる以前から珍しくありませんでした。たとえば、誰でも自由に投稿できるQ&A形式の電子掲示板(FAQ)には、次のような内容の質問をたくさん目にすることができます。

 「障害者って、生きてる価値はあるんでしょうか?」

 「なんで税金を重くしてまで、障害者や老人を助けなくてはいけないのですか?」

 「どうして強い人間が、弱い人間を生かすために働かなきゃならないんですか?」

 「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間社会では、弱者を救おうとするのですか? すぐれた遺伝子が生き残るのが、自然の摂理ではないですか?」

 こうした、いわば身もフタもないような問いは、とりわけ、知力に自信があって血気さかんな中学・高校時代などには、誰しもがよく抱きがちなものではないでしょうか。

 まさに私自身そうだったのですが、口にするかは別にして、そうした問いを心に浮かべることで、あたかも世の中のウソや欺瞞を見抜いた気になっていたものでした。また、家庭や学校、一般社会やマスメディアなどでは表立って口にしづらい問いだけに、なおさら心の奥底にわだかまり、匿名性を確保できるネットの世界にあふれ出てしまう側面があるのでしょう。

 今日では、日本が抱えている「財政難」という要因も加わって、こうした問いになおさら力を与えてしまっている傾向があります。植松被告の主張も、こうした社会の風潮を如実に映し出している側面があるのですが、果たして、これらの問いは本当に正しいのかどうかをよく吟味して考える必要があると私は思っているのです。

 また、素朴で露骨で、一見モラルやデリカシーを欠いているかのようにも思えるこれらの問いは、じつは自らの存在意義に対する真摯な省察ともつながる大切な問いではないかと私自身は考えています。

「障害者なんていなくなればいい」

 まずはできるだけ客観的に、そして簡潔に、事件のポイントをまとめておきたいと思いますが、すでにご存じのかたは、飛ばして読んでいただいてもかまいません。

 事件は、2016年(平成28年)7月26日の午前2時頃に起こりました。

 神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」に刃物を持った一人の男が侵入し、施設に入所している就寝中の障害者を次々と殺傷。19名を殺害し、職員を含む27名に重軽傷を負わせるという事件が発生したのです。

 逮捕された植松聖被告は、やまゆり園に3年以上にわたって勤務していた、逮捕当時26歳の元職員でした。朝日新聞取材班がこの事件の報道を1冊にまとめた『妄信 相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞出版)という本によると、前述の「障害者なんていなくなればいいと思った」という趣旨の供述をしたほか、

 「障害者は不幸を生むだけ」

 「安楽死させる法制が必要なのに、国が認めてくれない」

 「日本のために事件を起こした。自分は救世主だ」

 などと供述したとも報じられています。あたかも、障害者の殺害を「社会正義」であるかのように主張していることは、記憶にとどめておく必要があります。

 さらに、植松被告は、入所者を殺傷する際に、職員を連れまわして、「この入所者は話せるのか」と障害の程度を聞き出そうとしており、できるだけ意思疎通が難しい重度の障害者を狙って犯行におよんだことがわかっています。

 この点については、植松被告が「ヒトラーの思想が降りてきた」と過去に語っていたことが報道されたため、ナチス・ドイツとの関連性や、人の命に優劣をつける「優生思想」の影響がしきりに論じられることになりました。

 ナチス・ドイツは、第二次大戦のさなか、重い障害のある人たちを「生きるに値しない命」とみなして、ガス室や薬物などで「安楽死」させていた過去があります。「T4作戦」と名づけられたこの殺害計画によって、じつに20万人以上の人たちが犠牲になったといわれています。また、のちにこのT4作戦が、ユダヤ人を大量虐殺した「ホロコースト」へとつながっていったとされています。

 しかし、その後の報道によると、植松被告にはナチスやヒトラーについての深い知識はなく、犯行を思い立ったのは、アメリカ大統領就任前のドナルド・トランプ氏の演説や、過激派組織「イスラム国(IS)」がきっかけだったなどと、その発言はコロコロと変化して一貫していません。

 また、植松被告は、事件前の同年2月に衆議院議長公邸を訪れて、犯行を予告する次のような内容の手紙を渡していたことも大きな注目を集めました。

私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。(略)
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

 この手紙の中には、何の脈絡もないかたちで、「カジノの建設」や「医療大麻の導入」「私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません」などといった支離滅裂なことが書かれています。しかし、その一方で、犯行後には安倍首相に宛てて、「5億円の金銭的支援」や「美容整形」「心神喪失による無罪」を要求するなど、きわめて確信犯的で用意周到な記述も見られます。

 植松被告は、この手紙を出したことにより、警察から「他人に危害を及ぼす恐れがある」と判断され、勤務するやまゆり園を辞職することになると同時に、相模原市内の精神科病院に緊急措置入院させられることになりました。その際、植松被告の尿からは大麻の陽性反応が出たほか、退院後の同年3月には、相模原市役所の生活保護の窓口を訪れ、「預貯金が底をついてしまった。働いていないので生活できない」と訴えて、生活保護を受給していたことも明らかにされました。

 もう一つ、この事件の特質を挙げると、警察が「遺族のプライバシー保護の必要性が極めて高い」などの理由から、殺害された被害者の実名を公表しなかった点です。

 被害者遺族もまた公表を望みませんでした。確かに、事件直後からインターネットなどで、「どうせ親は自分で面倒を見きれない子を施設に捨てたんだろう」とか、「被害者遺族の中には、この事件で肩の荷が下りた人もいたはず」「植松は税金を食いつぶすだけのやつらを殺処分した英雄」などのひどい書き込みが目につきましたし、過熱報道によってこうむるであろう被害者遺族の心労を考えると、いたたまれません。匿名報道は無理もないといえる面が多々あります。しかし、これらの事情を含めて、きわめて異例な対応が行われたという事実は記しておく必要があります。

 一方、裁判についてですが、一般市民から選ばれた裁判員が、裁判官と一緒に審理を行う「裁判員裁判」が予定されており、被害者の数が膨大であることなどから、裁判は長期化することが予想されています。

 最大の争点は、やはり植松被告の刑事責任能力の有無や、その程度についてです。日本の刑法第39条には、「心神喪失者の行為は、罰しない」「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」(第2項)という条文があるからです。

 逮捕後に行われた検察側の精神鑑定によると、植松被告は、「自己愛性パーソナリティ障害」などの複合的な人格障害があると診断されました。しかし、パーソナリティ障害は精神疾患とはいえないことなどから、刑事責任能力は十分に問えると判断されて、翌年2月に起訴されています。また、2018年(平成30年)に入って、弁護側が申請した二度目の精神鑑定が行われましたが、一度目と同様、複数のパーソナリティ障害があると指摘する鑑定結果が出たともいわれています。

 以上が、この事件のおおよそのあらましです。

(2020年3月、植松被告に対する死刑判決が確定した)

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