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地学を学んで、物語のさらに深みへ 『宮沢賢治の地学読本』

記事:創元社

『宮沢賢治の地学読本』(創元社)
『宮沢賢治の地学読本』(創元社)

地学を学べば物語がわかる

 ごぞんじの方も多いだろう、これは宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』の冒頭部分である。ここではまさに、学校の授業で天の川銀河についての講義が繰り広げられている。その後の展開の中でも、天の川の星々や幾多の星座に加え、化石採集の描写や鉱物名など、サイエンティフィックな言葉が散りばめられている。

 これらの言葉や表現の多くは、いわゆる「地学」と呼ばれる分野に関連したものである。地学は地震や火山などの地球そのものの研究から、地球史、地質学、気象学、天文学まで、幅広い科学分野をまたいでいる。そのため、地学の内容を理解するには、物理学、化学、生物学などあらゆる科学的知識や思考が必要になってくる。自然科学のエッセンスがすべて詰まっているといっても過言ではない科目なのである。

 今でこそ詩人、文学者として有名な賢治だが、生前は花巻農学校で地学を教える教師だった。子どもの頃から石に親しみ、成層火山である岩手山に好んで登り、北上河岸を「イギリス海岸」と呼んで繰り返し訪れていた賢治は、当時の最新の地学知識を文学作品に織り込んでいたのである。賢治の幻想的、神秘的な独特の表現は、地学を学んでから読み返すと、「あれはそういうことだったのか!」と膝を打つことも少なくない、というか、打ちすぎて膝が真っ赤になるほど存在するのである。

『宮沢賢治の地学読本』本文より
『宮沢賢治の地学読本』本文より

“お勉強”じゃなければ勉強できる

 創元社で「賢治と地学」をテーマとするシリーズが始まったのは、『ひとりで探せる川原や海辺のきれいな石の図鑑』シリーズを執筆してくださっている柴山元彦先生と、校正の打ち合わせがてら雑談していた時のことである。

 どういう話の流れだったかは忘れたが、30年以上も高校で地学教員として務められ、現在も精力的に地学普及に邁進されている柴山先生が、尊敬する人として宮沢賢治を挙げられた。いわく、詩や物語に見事に地学的な要素を盛り込んだ文学的才能、当時はまだ解明されていなかった科学的事実さえもかなり正確に推測していたと感じさせる知性の高さ、そして生徒をしばしば巡検(野外実習)に連れていき、体験的学習をさせた教育者の態度としても、賢治は素晴らしいという。じっさい、現役教員時代にも賢治の作品を引用して試験問題を作ったことがあるそうだ。

 それを聞いて私は、「これだ!」と思った。宮沢賢治の作品はたいていの国語の教科書に収録されていて認知度も高く、ファンも非常に多い。賢治の作品を入り口に地学を学ぶ本ができれば、理科が苦手な子でも興味が湧くのではないかと考えたのである。

 私自身、学生時代は数学と理科がさっぱりで、勉強するのが本当に苦痛だった。しかし、高校2年のとき、サイン・コサイン・タンジェントを「裁判」にたとえて説明してくれた先生がいて、斜め上からの教え方に私は初めて数学をおもしろいと感じ、入学以来ずっと赤点だった数学のテストで80点以上をとったことがあった(その後、担当の先生が変わってしまうと成績はもとに戻った…)。

 勉強を勉強だと感じさせないような切り口があれば、やっていることは普段と同じであってもストレスが減り、理解力は上がる。理解できれば、もう少し勉強してみようという気にもなる。そういうタイプの人は私以外にも少なからずいるだろうと思ったのである。

全文読んでこそわかる魅力

 そうして、賢治作品の中から地学的な用語や表現が登場する部分を引用しながら、高校の「地学基礎」科目の内容をかみくだいて説明した『宮沢賢治の地学教室』を2017年に刊行した。これが好評を得て、賢治の巡検をオマージュした地学の体験学習の参考書『宮沢賢治の地学実習』が2019年に続いた。

「賢治と地学」シリーズ既刊『宮沢賢治の地学教室』と『地学実習』
「賢治と地学」シリーズ既刊『宮沢賢治の地学教室』と『地学実習』

 紙面の都合上、これらの本には作品のごく一部しか引用することができなかった。本シリーズのテーマはあくまで「“文系”のための地学参考書」で、賢治の作品は解説への導入という意味合いが強かったため、仕方のない面もあった。

 しかし2巻分の編集を通して賢治作品を読めば読むほど、賢治がいかに地学の知識からファンタジーをふくらませ、独創的な文学作品に仕立てているかを痛感した。また、こうした地学的な要素が作品全体にどのような役割を果たしているかも、全文を通して読まなければわからないことである。

 そこで、第3弾では特に地学的にすぐれた賢治作品を厳選し、解説とともに全文収録することに決めた。それが2020年7月に刊行された『宮沢賢治の地学読本』である。

 この本には、本稿冒頭の「銀河鉄道の夜」は残念ながら収録できなかったものの、登場する地学の分野や文量などのバランスをみて、「イギリス海岸」「楢ノ木大学士の野宿」「グスコーブドリの伝記」「風野又三郎」「土神ときつね」の5作品を収めている。それぞれ地質学や地球史、火山学、鉱物学、気象学、天文学、そして自然災害までを扱い、現代の最新の地学にも通じる内容が生き生きと描かれている。

『宮沢賢治の地学読本』本文より
『宮沢賢治の地学読本』本文より

サイエンスとファンタジーの融合

 今回収録した作品の中で、私が特に好きなのは「楢ノ木大学士の野宿」と「風野又三郎」である。

 「楢ノ木大学士の野宿」は、これまでの本ではもっぱら第二夜の花こう岩中の造岩鉱物たちの喧嘩シーンを引用し、鉱物学の解説に役立てていたが、個人的に好きなのは第一夜、火山岩頸の擬人化であるラクシャン四兄弟である。短いエピソードだが、プライドが高く血気盛んに噴火を促す第一子に対してあまりにもマイペースな下の兄弟たちとの対比や、堆積岩より火成岩の方が出自がよく、特に噴火してできたものが上等というような岩石ヒエラルキーも垣間見られておもしろい。

 「風野又三郎」は絵本や映画の原作にもなった「風の又三郎」ではなくそのプロトタイプの方で、こちらは又三郎が明らかに風の化身であり、山の楽校の子どもたちに風としての仕事や意義を語る。特に大気の大循環の旅を説明するシーンは、地球をめぐる大気の流れや前線のしくみなどが非常にうまく表現されている(現代は、大気の大循環はもう少し複雑であることがわかっているが、基本の構造は十分描かれている)。

 これらの賢治作品が本当に魅力的なのは、表現のすべてが地学で説明しきれるわけではないというところである。ちょっとした比喩にさえ地学用語が用いられることもあれば、いかにも科学的な裏付けのありそうな表現であっても、実際には賢治独自の空想であることも多い。サイエンスとファンタジーの融合が、賢治独特の世界観を創り上げているのだろう。

 『地学読本』は地学の知識も取り入れながら、宮沢賢治の文学の深みをさらに感じてもらえる一冊になったと思う。そして本書をきっかけに、さらに地学を知りたいと思ってくれた人はぜひ、既刊の2冊や、来年に予定している5巻セットの詳細版『宮沢賢治と学ぶ宇宙と地球の科学』を参照していただければ幸いである。

(創元社編集局 小野紗也香)

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