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若者たちが仕事に誇りと夢 「居酒屋甲子園」の試み、他業界にも拡大

記事:筑摩書房

original image: angyim / stock.adobe.com
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他業界への波及

 「居酒屋甲子園をきっかけに始まった他業界の甲子園は、うちの会社が関係しているものでも10はある、その他を入れたら20くらいあるんじゃないでしょうか」

 居酒屋甲子園の決勝大会の運営を第1回から手がけているイベントプロデューサー、安藤慎平は言う。彼が代表を務めるコムネットは、もともと企業イベントの企画運営を請け負う会社だ。官公庁から外資系企業までクライアントの幅は広いが、居酒屋甲子園を手がけて以来、「うちの業界でもあれをやりたい」という相談が引きも切らず来るようになった。

 「介護甲子園、歯科甲子園に、温浴施設のおふろ甲子園。それから、会計事務所甲子園、理美容道甲子園、建設職人甲子園……エステグランプリにネイルグランプリといった必ずしも甲子園が入らないところもありますが、同じ趣旨のイベントです。うちではありませんが、ぱちんこ情熱リーグ、旅館甲子園、トラックドライバー甲子園もありますよ」

 いったい彼らは居酒屋甲子園のどこに惹かれているのだろう。

 「きっかけはさまざまですけど、居酒屋甲子園を見に来た彼らは『自分たちも同じだ』と感じるようです。居酒屋甲子園で、『親に反対されたけれども、自分はこの店で働いて、お客さんにおもてなしをして喜んでもらえるのがうれしかった、これはすばらしい仕事なんだとわかって、親にも店に来てもらった』というスピーチがありましたよね。そういうことを言う機会、言えるイベントってなかったんですよ。それを見て、ああ、そうだ、自分たちはいい仕事をしているんだと再認識して、もっとがんばろうと思う。これって居酒屋でなくても、どの仕事にも共通しますよね」

 自分の仕事が好きで、誇りを持って懸命に働いている。この仕事をしていてよかったな、と小さな喜びを覚えることは誰にもでもあるだろう。ただ、それを職場で分かち合うことも、誰かと共有する機会もふつうはあまりないのだ。

 安藤のもとに相談に来る人々に共通しているのは、もう一つある。

 「共に学び、共に成長し、共に勝つという居酒屋甲子園の理念、みんなで業界をよくしようという発想が響いていますね。どの業界も同業者は競争相手だったんです。でも業界のなかで争ってもしょうがない、みんなで手を組んで、いいところを学び合って業界全体でよくなっていこうなんて、誰にも言えなかった。それをやったのが居酒屋甲子園なんですよ。エステや理美容道がとくにそうでしたけど、うちの店舗だけよければいい、というのでは業界が衰退していくとみんな気づいたんでしょうね」

 彼らの想いを聞き取りながら、安藤はさまざまな甲子園の手伝いを続けてきた。もちろん、うまく続くところもあれば、伸び悩むところ、分裂とまではいかなくてもうまくまとまらないケースもある。

 「うまくいかない団体は、なかなか業界を巻きこみきれていないのと、協力してくれるパートナー企業が少ないことがあげられます。さらに言うなら、うまくいっている団体は、経営者目線ではなくて、スタッフ目線のものが多いような気がします。業界団体で業界活性化というと、出てくるのはだいたい経営者たちじゃないですか。でも甲子園イベントはスタッフ目線で、現場のスタッフがどう感じ、どう考えているのかにスポットを当てる。もうけるためにだけやってるわけではない、というところが重要なんだと思うんです」

 もちろん、それがスタッフの士気につながり、結果的に業績はよくなる。居酒屋甲子園でもたしかにそうだ。参加すれば店がよくなるとか、箔がついて営業に使えるなどと単純に考えるような店舗はたいてい翌年から参加しなくなる。

 その居酒屋甲子園の価値にいち早く気づき、動き出した業界の一つが介護だ。

介護甲子園の誕生

 2011年11月、第1回介護甲子園が日比谷公会堂で開催された。

 エントリーした事業所は135。理事長の左敬真を中心とした理事、実行委員のメンバーが全国を行脚して集めた事業所が初めて一堂に会した記念すべき日であった。これ以降、エントリーする事業所の数は急速に増えていき、2018年2月に行なわれた第7回大会にはなんと6472の事業所がエントリーしてきた。じつに48倍の規模だ。

 理事長の左は、この拡大に手応えは感じているが、全国に15万もの事業所があることを考えると、もっと拡がってもいいと感じている。

 左が介護の世界に入ったきっかけは、芝浦工業大学の大学院生だった時に、高齢者の住環境を調べるため老人ホームの視察に行ったことだった。一歩足を踏み入れると、尿の臭いが立ちこめ、おじいさんが茫然と座っている。「これが終の棲家なのか……」と愕然とした。

 将来自分が入りたいと思える施設をつくりたいと、2003年、24歳で訪問介護事業所「いきいきらいふケアサービス」を立ち上げた。翌年には居宅介護の事業所を2件、デイサービス1件を開設、障害者支援事業にも着手し、急速に事業を拡大していった。

 介護を必要とする人は急速に増えつづけており、多様なニーズに応えようと手を広げたが、忙しすぎてそれぞれの事業所にまで目が行き届かなくなった。気がつけば、離職率は7割を越えていた。どうしたら人が辞めない会社にできるのか、悩んでいた。

 そんな時、従業員がいつも元気に働いている居酒屋を見てみたら、というアドバイスを受けて、居酒屋「てっぺん渋谷店」を訪れた。ひやかし気分も半ばで、酒を飲みながらスタッフの仕事ぶりをじっと見ていた。彼ら、彼女らはじつにいきいきと仕事をしている。

 「ビールジョッキを運ぶことにどんな楽しみがあるの?」

 笑顔いっぱいにオーダーを取りに来たスタッフに、思わず不躾な質問を投げかけた。

 「私たちには夢があるんです。居酒屋甲子園というのがあって、そこで優勝するために一生懸命働いているんですよ」と答えが返ってきた。「だから、ビールジョッキを運ぶだけでも、いかにお客様に楽しんでもらえるか、喜んでもらえるか考えながらやってます。お客さんも応援してください!」

 左は、ビールジョッキをおむつに置き換えて聞いていた。

 「それが単なるルーティン仕事ではなく、その先に自分たちの夢がある。おむつを何年替えたから資格が取れるということではなくて、おむつ交換を通じて、どうなりたいかという夢につながっているのが大切なんだと気づいたんです」

 そのスタッフに、居酒屋甲子園というのは何なのか尋ねると、隣に事務所があるから案内してくれるという。事務所には当時事務局をやっていた村上博志がいた。

 「居酒屋甲子園があるのなら、介護甲子園をやってみたい」

 そう言うと、村上は運営や立ち上げのマニュアルをすっと取り出し、「がんばってね」と手渡してくれた。まだよくわからないながらも、やるしかないなと左は思った。

 居酒屋甲子園の第3回大会を観た左は、ステージ上のプレゼンに圧倒されてしまった。

 「あのプレゼンを観て、自分はコミュニケーション不足だったんだなとわかりました。これに尽きます。自分なりに想いを伝えているつもりでいましたけど、現場スタッフには何にも伝わっていなかった。だから一人一人に謝罪して、話を聞いていきました」

 全国初の入浴特化型デイサービス「いきいきらいふSPA」はそんな現場の声から生まれたものだ。業界の注目を集めたが、左は不満だった。現場の声をどう聴くか。これは自分の事業所だけのことではなく、業界全体の問題のはずだ。

 2009年6月、一般社団法人日本介護協会を立ち上げた。すでに介護業界の団体はいくつか存在したが、政治的なロビー活動を目的としていたり、介護の資格のためのものだった。どちらも必要なことだが、純粋に介護という職でつながる組織がほしかった。知り合いに声を掛け、賛同者を募って理事になってもらった。村上からもらったマニュアルを見ながら、どうすれば介護甲子園が開けるか話し合った。理事会に村上が顔を出し、意見してくれるのは有り難かった。

 翌年、第1回大会の会場を日比谷公会堂に決め、予約した。

 「自分の退路を立つためです。もうやるしかないと」

 役割分担を決め、スポンサー募集、エントリー事業所募集などに精力的に動き出した。左は自分の想いを伝えるため全国を走り回った。いま、介護の現場で働いている人に誇りを感じてもらうこと、これから働きたいと思っている人に介護職のすばらしさを伝えること、事業所ごとの優れた取り組みを共有することの重要性を訴えた。「何のメリットがあるのか」「優勝できなかったら職員の士気がかえってさがる」「介護と居酒屋はちがうよ」─居酒屋甲子園の創設時と同じような否定的な意見もたくさんあった。しかし、「共に学び、共に成長し、共に克つ」という理念はすでに借り物ではなく、左自身の想いになっていた。

人生のインフラをつくる

 ほかの業界とちがって介護甲子園がむずかしいのは、覆面調査が使えないことだ。やむなく1次予選は書類選考で行なうことにした。

 エントリーシートには「理念・想い」を記述するとともに、「利用者・家族とのかかわり」「職員とのかかわり」「社会貢献」についてそれぞれ600字で書いてもらう。左は集まってきたシートを読みながら、必要なのはこれだったんだと気づいた。

 「これまで幹部職員が辞めてしまうと、その人のノウハウが残されないでゼロになってしまったんです。もともと介護は人と人との身体的なふれあいのなかで技術や知識をつかみ取っていくものなので、マニュアル化しにくい。でもその人が体験から得た生の声をエントリーシートに残してもらうと、それが蓄積されて財産になるんです」

 また、シートにはそれぞれの項目ごとに事業所の強みを記入しなければならない。するとこのシートを前に、事業所の職員同士が、自分たちに何が出来ているか、課題は何か、強みは何かを話し合い、出来ていない点をどうすればいいのか議論が交わされるようになった。この職員間のコミュニケーションが増えた影響は大きい。壇上プレゼンでも、エントリーシートを通してお互いの考え方を知り、自分たちが共通して取り組むべき課題を見つけたことで、離職率が大幅に下がったと報告された。苦し紛れのエントリーシートの思わぬ効用だ。

 1次の書類選考で選ばれた30事業所(現在は、施設部門と在宅部門に分けた各15事業所)は、1分間の動画を作成し、自分たちの取り組みと想いを訴える。動画は介護甲子園のオフィシャルサイトで公開され、誰でも自由に見ることができる。それを見た視聴者の投票で、決勝大会壇上5店舗が選ばれる仕組みだ。毎回60万人が視聴し、7万票が投じられるという。

 私も動画を視聴してみた。それぞれ趣向をこらして、自分たちの特徴と取り組みを簡潔に伝えている。次々に映し出される介護現場の風景、スタッフと老人たちの姿を見ながら、私自身がいかにこうした現場を目にしてこなかったか、イメージに支配されてきたかを痛感した。想像以上に明るく楽しげなことにも驚いたし、存在すら知らなかったサービスもたくさんある。

 「仕方ない面もあります。介護はケアマネージャーさんが施設を決めて、そこに入るものなんです。当のおじいちゃんも家族もほかにどんなサービスや施設があるのか知らない。もちろん、希望や事情に応じてケアマネージャーさんが選んで下さるんですけど、利用者が選ぶことはない」

 だから介護甲子園を通して、いろんなサービスや施設のあり方を知ってもらえば、自分の家族を託す時に選ぶことができるようになる、と左は言う。

 「これだけではなくて、世間のイメージと実態とが乖離してしまっている側面はあるんですよ。よくメディアの取材でも大変なお仕事ですね、と言われるんですが、あまりそう言ってほしくない。実際、おむつ交換でもそのお年寄りと意思が通じ合ってくると苦労でもなんでもなくなるんです。それに、3K(キツイ、キタナイ、キケン)とか6K(給料が安い、休暇が少ない、カッコワルイ)とか言われますけど、居酒屋のような仕込みはないし、資格の優遇もある、補助金もある、キャリアアップもできる、9時5時のシフト勤務も守られている。他のサービス業とくらべて悪いわけではないんです」

 それでも24時間スタッフが常駐しなければならないため、一つの事業所で50から100名、辞めていく人も考慮すると120名くらいの職員が必要になる。事業所を経営する上で一番むずかしいのは、人のマネジメントと、それだけの数の職員と気持ちを一つにすることだ。

 「介護職はともするとサービス業という感覚を見失いがちなんです。先ほどもお話ししたように、利用者ご自身から、あっちのサービスがいいと選ばれることがないですし、居酒屋だとレジの前でお客さんが財布を開きますよね。けれども介護は介護報酬として支払われるので、目の前のおじいちゃんからお金をもらっている意識が薄れてしまう。だから自分の仕事の意味や価値を見つめつづける必要があるんです」

 日々の仕事に追われ、目の前のルーティンをこなすだけになると、視野が狭くなる。この瞬間にたくさんの事業所でたくさんの仲間が、同じ想いで仕事に取り組んでいるのだと思えたら、ふっと楽になる。介護甲子園という存在はまちがいなく、彼らの視野を広げている。

 「ある時、居酒屋甲子園の村上さんがこちらの理事会にいらして、『人生のインフラとして考えたときに、居酒屋は店が1軒なくなってもかまわないけど、介護は施設が1軒なくなったら困るよね』とぽつりと仰ったんです。ああ、こういう視点は必要だなと思いましたね。自分たちは人生のインフラをつくっているんだ、と」

 人生のインフラをつくる。いい言葉だ。

 「自分がどんな人に介護されたいか、親の介護をどんな人にまかせたいか。まさに人生のインフラの選択ですよ。だからわれわれの仕事は、お年寄りの人生のデザインをお手伝いする、クリエイティブな人生のインフラ業だ。最近は採用でもそう紹介していますし、介護甲子園にエントリーされる事業所さんの取り組みを聞いているとますますそう思えますね」

 介護甲子園もまた、かれらを支える重要なインフラとして機能しているのだ。

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