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明治維新が招いた日本人の「精神的奴隷化」、「政府ありて国民なし」  橋川文三『ナショナリズム』より

記事:筑摩書房

original image: youreyesonly / stock.adobe.com
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 維新後の民衆の大部分は、いぜんとして幕藩体制下の生活感覚を維持しながらわずかに「太政官」の方に顔を向けるときにだけ、新しい国民の身ぶりを示すという偽善性をあらわしていた。要するに、彼らの生活実感の内部では、維新の変革によって生ずべき新しい統合理念が意識されるということはなかった。

 廃藩置県に際し、「当時吾々同友は三五相会すれば則ち相祝し、新政府のこの盛事を見たる以上は死するも憾みなしと絶叫したるものなり」(『福翁百余話』)というほど、封建制の廃除に歓喜した福沢は、それ以後の日本が封建時代と少しもかわらぬ専制主義と、民衆の側のいぜんたる奴隷根性とによって成り立っていることを痛歎しなければならなかったわけである。もともと、ネーションの意志決定のための機関として国家=政府があるのが正常な姿なのに、ここでは逆に政府がその存立を専制的に立証する手段として「国民」があるという形になっている。福沢の生涯の目標の一つは、この民衆をして真のネーションたらしめんとすることにあった。もちろん、福沢のいう国民の理念は、きわめて深く国家の理念と結びついており、無条件にそれを近代的ネーションと同一視してよいか否かは、すこぶるむずかしい問題をはらんでいるのだが──。

 ともあれ、この当時の民衆は、全体としていえば「国は政府の私有にして人民は国の食客のごとし」という福沢の語にあるように、自ら独立の国民として意識することもなく、その意識によって自ら国家を支えるという気性をも欠いていた。しかもその傾向は、福沢によれば、旧幕時代よりもいっそう悪い意味をさえ含んでいたのである。

古の政府は力を用い、今の政府は力と智とを用う。古の政府は民を御するの術に乏しく、今の政府はこれに富めり。古の政府は民の力を挫き、今の政府はその心を奪う。古の政府は民の外を犯し、今の政府はその内を制す。古の民は政府を視ること鬼の如くし、今の民はこれを視ること神の如くす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む、云々

 この観察の鋭さは、一種予言的な性格をおびていると言えるかもしれない。近代的ナショナリズムの極限的な形態は、「一般意志」に対する宗教的な信従という形をさえとるものであった。福沢が封建体制下に見た民衆は、少なくとも力に対しては屈服しても、決してその心を奪われるほどではなかったのに、明治政府の下においては、精神的にもまた奴隷化されたというのである。いいかえれば、民衆がいまだネーションとしての意識をもつ以前に、すでに宗教的な畏敬の心をもって国家と政府を見るようになったということである。このあたりの福沢の観察は、その後凡そ三世代にわたる日本人の生き方を見とおしたものといえるかもしれない。

 しかしもし、福沢がくりかえしたように「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」(『文明論之概略』巻五)という判断が正しいとするならば、明治維新の成果はすべて、「ネーション」を抜きにして達成されたものというほかはない。国民の極小部分を占める武士層のうち、さらにその一部の有志者によって強行された政治・社会体制の大変革は、少なくとも「ネーション」の基盤なしに行われた特異な「革命」であったということになる。竹越三叉、徳富蘇峰らの見解はそれが大いなる「革命」であったことを実感にもとづいて断言しているが、福沢もまた封建制打倒に無限の意味を見出していることは同様である。しかし、すぐに気づかれるように、前者においては、そこに日本の「ネーション」の誕生が告知されたというのに対し、福沢はかえってその反対を論じている。前二者のオプティミズムに対し、福沢はよりリアルでペシミスティクであった。何よりもそのことは、『学問のすゝめ』『文明論之概略』あたりにおいて、しばしばえんりょなしに「愚民」という形容が用いられていることからもわかる。福沢は封建制の終焉に無限の歓喜をいだきながらも、その終焉の後にもたらされた事態を直視することにおいて、決してそこに「ネーション」の発生などは認めていないのである。彼は維新のもたらしたものが、民衆の「精神的奴隷(メンタル・スレーヴ)」化にすぎなかったことを、痛感していたはずである。

 いいかえるならば、明治維新によってもたらされた事態は、国家がその必要のためにようやく国民を求めるにいたったということで、その逆ではなかった。それはいわば、国家がその権利の対象として(福沢のことばでいえば「政府の玩具」として!)国民を要求したことにほかならなかった。この事情は、後年河上肇が、その「日本独特の国家主義」(明治四十四年)において、西洋の天賦人権に対し日本は天賦国権であるとし、証明の必要のない究極的価値の所在が全くことなることを指摘した場合とも関連してくるはずである。河上がそこで「彼ら〔=日本人〕は人格を所有せざるに反し、各々国格を代表す」と述べたことを言いかえるならば、自然人としての日本人は未だ決して人格の主体ではなく、ただ国家によって権利を付与されることによって、はじめて人格を認められるということである。真に実在するものは国家であり、人間はその実在の反映にすぎないという考え方である。この問題は、日本近代における「国家と個人」という思想史上のテーマに直ちに関わってくるが、それがまた日本のナショナリズムを考える場合にも、除外することのできない論点であることはいうまでもない。

※Web掲載にあたり一部割愛した箇所があります。

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