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ヒトと自然との調和を探る人類史の傑作『飼いならす』  生物学者・成田聡子氏 が解説

記事:明石書店

『飼いならす――世界を変えた10種の動植物』(アリス・ロバーツ著、斉藤隆央訳)
『飼いならす――世界を変えた10種の動植物』(アリス・ロバーツ著、斉藤隆央訳)

自分とは、ヒトとは何者なのか

「自分は何者なのか」。この問いは誰しも生涯で一度は発するものではないだろうか。

 この問いへの答えを見出すことが、心理学の分野では自己同一性(アイデンティティ)の概念の中核であるとされている。そして、その概念を広くしたとき、私たちヒト(ホモ・サピエンス)という1種の生物がいつ、どこで生まれて、どんな方法で繁栄してきたか、その起源と歴史がどうしても気になってくるだろう。

 ヒトの起源や歴史を紐解くためには、ヒトという種が絶滅せずに生き残ってきた理由を考えなければならない。生き残り続けるためには、その個体が死なずに生きることが第一条件ではあるが、種として残るためには子孫を残す必要もある。

 本書では、ヒトが、原始の時代から現代まで、地球上で生き続けるうえで、特に関わりが深い10種の生物の起源と歴史について、様々な研究成果を交えながら分析されている。

 著者は英国生まれのアリス・ロバーツ。私は解剖学者として知っていた。解剖学者がなぜ動植物とヒトの起源や歴史についての本を書いているのかとはじめ不思議に思ったが、彼女はもともと「古代の骨に見られる病気の痕跡」に関する研究で博士号を取得しており、近年は人類学や考古学の専門知識を生かして、ヒトとは一体何者なのかを探究する仕事にも注力している。

ヒトが促した他の種の急速な進化

 本書で紹介される10種は植物が5種(「コムギ」「トウモロコシ」「ジャガイモ」「イネ」「リンゴ」)、動物がヒトを含めて5種(「イヌ」「ウシ」「ニワトリ」「ウマ」「ヒト」)である。これらヒトと共に変遷してきた動植物の多くは数万年~数百年という進化的に非常に短い時間軸で変化した。これほど速い進化が可能になったのは、著者が言うように、ヒトという生物種が存在し、それらの種と関わり始めたことによってである。

 そもそも地上の植物は約4億年以上も前から存在しており、比較的新しい生物種である哺乳類や鳥類でも約1-2億年前から存在している。そして、私たちホモ・サピエンスは生物種の中では新参者で、約30万年前に出現した。

 生物の進化の時間軸を考えるとき、4億年前や30万年前というと、どちらもあまりに遠い過去すぎて想像しづらいが、両者の時間差を月給に置きかえてみると、いくらか分かりやすくなるかもしれない(私の場合はこうすると、とても分かりやすいのです)。

 私たちホモ・サピエンスの月給を30万円とすると、哺乳類は月給2億円。雲泥の差だ。つまり、ほんの最近になって新たに出現してきた私たち生物種が、はるかに昔から棲んでいた多種多様な生物の進化に急速に影響を与えてきたのである。

 本書では、ヒトに飼いならされ、ヒトの世界の一部となることで、10種の動植物がどのように変わったのか、その進化・変遷についてもじっくりと解説されている。

-50℃の中を行くイヌイットの犬橇のチーム、スミス海峡付近(撮影・写真提供:富澤享氏)。本書では、イヌは「人間の最初の協力者となった種」として説明されている。
-50℃の中を行くイヌイットの犬橇のチーム、スミス海峡付近(撮影・写真提供:富澤享氏)。本書では、イヌは「人間の最初の協力者となった種」として説明されている。

ヒトは自分たちに都合の良い動植物だけを選んできたのか

 著者は、これらの生物の飼いならしと進化には「自然選択」と「人為選択」の両方が含まれていると考察している。

 「自然選択」とは、簡単に言うと「自然」による選択である。

 私たちヒトを含むすべての生物には、ランダムな変異(突然変異)が日々起きている。そして、自然環境が変化すると、そのランダムにおこった変異が有利に働いたり不利に働いたりする。地球上で気温などの環境が大きく変化すると、特定の変異をもった個体が他の個体より生き残りやすく、子孫を残しやすくなる。結果として、生物種として変遷していくのが「自然選択」による進化である。この場合、ヒトの都合や好みはその選択に関わらない。

 もう一つの「人為選択」は、ヒトによる選択である。

 植物や動物の中でヒトにとって有用な形質をもつ個体だけをヒトが選抜して交配させ、その子孫を残させることを継続的におこなうことによって、生物が変化していくことである。

 ヒトは何百年、何千年もかけて根気強く、ヒトにとって有用な一部の変異体の生存や繁殖を促してきた。それとは逆に、ヒトにとって有用でない形質をもつ個体の繁栄を阻んでもきた。この両面を本書では「人為選択」であるとしているが、著者は、飼いならされた種ははじめからヒトに目を付けられて選ばれたわけではなく、意外にも(最初は)何の計画もない「自然選択」に近いものであったのではないかと推測している。

自らを飼いならしたヒト

 本書で興味深いのは、「飼いならされた」動植物の中に私たちヒトを含んでいることである。私たちは自らを飼いならしながら、狂暴で攻撃的だった野生の類人猿から文明化したヒトへ変化し、文明化したヒトが、ほかの生物種を飼いならしはじめたとしている。

 ヒト以外の類人猿では、自分と同じ種の見知らぬ個体に出会うと、恐怖やストレスが自然に引き起こされてしまうため、集団は大きくなると自壊しやすくなるという。

 例えば、東京都心での通勤電車のような密集状態にチンパンジーなどの霊長類を詰め込んだら、互いのスペースを主張し合い、体が触れただけで、相手に牙をむき、殺し合いになり、会社に着く前にその車両はあっという間に血の海になっていることだろう。

 また、棲む場所も、家族を基本とした群れ以外の他者と近くで暮らすことは他の霊長類ではありえない。

 しかし、ヒトは集合住宅などで上下左右に隣り合って見知らぬ他人が住んでいたとしても、自分の縄張りを主張して、むやみに攻撃したり、戦いを挑んだりはしない。そればかりか、ヒトは見知らぬ人と遭遇しても穏やかに接し、他人同士の組織などで共通の課題に対して協力することさえできる。

 著者は、この攻撃性の低さ、人懐っこさ、穏やかさ、協調性こそが、種として比類なき成功を収めた要因なのではないかと考察する。このことの裏付けとして、ヒトの頭蓋の形や犬歯の変遷、男女の骨格の差がなくなってきたことなどが、最近の研究を踏まえて解説されている。

 現代の日本社会では、より中性的な男性、いわゆる日本の少女漫画の登場人物に代表されるような、体毛が薄く、やさしい顔立ちの男性が好まれるようだ。これは、戦後の日本では欧米諸国よりも、人口過密状態で暮らすことを余儀なくされ、より穏やかであることを求められてきたため、数世代の間により強い配偶者選択[注・集団の中で特定の性質をもった個体のみが選ばれることで起こる進化のこと]を受けた結果なのかもしれない。

東京都心、ラッシュ時の駅ホーム。ヒトが自らを飼いならしていなければ、大惨事になっているかもしれない。
東京都心、ラッシュ時の駅ホーム。ヒトが自らを飼いならしていなければ、大惨事になっているかもしれない。

自然との調和の道を探る

 本書でも何度も言及されているが、ヒトは自然の一部であり、数ある動植物の中の1種の生物である。

 私たちは日々の生活の中でついそのことを忘れてしまいがちだが、『飼いならす』は、自分たち人間が自然の一部であることを強く思い出させてくれる良書だ。ヒト以外の他種を排除するのではなく、他の種とともに繁栄するための方策を見つけていかなければ、地球上でいまなお増え続けているヒトという生物集団はいつか崩壊してしまうだろう。

 その方策には、著者も言うように、遺伝子組み換え、ゲノム編集など最新テクノロジーを含め、人間はどこまで、そしてどのように自然に手を加えるかを決めていくことも欠かせない。

 地球は私たちヒトのためだけにあるのではない。

 本書から、ヒトが地球(自然・野生)とバランスを保っていくためのヒントをぜひ探り当ててみてほしい。

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