白熊についての最古の文献は『日本書紀』!? 8000年の歴史を遡る『ホッキョクグマ 北極の象徴の文化史』
記事:白水社
記事:白水社
白熊とも呼ばれるホッキョクグマを、私たちはどう見ているだろう。白くてもこもこしている。可愛い。子熊の愛くるしさ。動物園の人気者。北極圏の氷の上に住んでいる。二本足で立つと人間に似ている。大きくて立派。強い。獰猛。肉食獣。北極海の氷が減っていてかわいそう。生息数が減少しているらしい。環境問題のシンボル……。マイケル・エンゲルハードによるIce Bear: The Cultural History of an Arctic Icon(University of Washington Press, 2016)の全訳である本書は、私たちがホッキョクグマに抱くそうしたイメージや観念がどのように成り立ち、変遷してきたか、8000年にわたる壮大な歴史をさまざまな伝承や遺物、文献や芸術作品に基づいて分析し、論じたものである。
著者マイケル・エンゲルハードは、米国アラスカ大学で文化人類学の修士号を取得し、過去にはアリゾナ州のグランドキャニオンで自然ツアーガイドに従事していた経験があるようで、Where the Rain Children Sleep: A Sacred Geography of the Colorado Plateau(2010年)、American Wild: Explorations from the Grand Canyon to the Arctic Ocean(2016年)などの著書のほか、編者として他の書き手による北米を中心とした自然にまつわるエッセイ集を刊行してきた。現在はアラスカ州フェアバンクスに住み、野生観察ツアーのガイドを務めながら執筆活動を行なっている。本書でも、自然ガイドの仕事は人気が高く、狭き門を突破してこの職を得たことや、アラスカの絶景とともに野生のホッキョクグマを見られることがツアーの眼目であること、この動物と北極圏の環境保全の重要性について言及している。
とはいえ、そのことは本書を執筆した直接の動機ではなく、彼の関心は、もっぱらホッキョクグマと向き合う人間の態度、ホッキョクグマとの遭遇によって人間が生み出した文化とは何かを明らかにすることにある。著者は冒頭の章でこう明言している。「私がここで主たる目的とするのは、ホッキョクグマに対する態度、ホッキョクグマとの関わり、ホッキョクグマに関する考え方を、さまざまな文化や時代を通じて検証することだ。彼らを象徴的に描いた表象の歴史をたどるとともに、現実に彼らが私たちにとって、彼らにとって私たちがどんな存在かを考えていく」。また、このようにも述べている。「私たちが何万年もの間、狩り、崇拝し、観察してきた動物が、今の私たちを作ったのだ」。そう、まさに本書は、ホッキョクグマと私たちがどのように関わってきたかを問うことで、彼らがいかに私たちの文化を形づくってきたかを知り、ひいては私たちとは何者なのかを探ってみようと誘いかけてくる。
ホッキョクグマを生物学的な側面や環境問題などから論じたもの、北極圏の自然を主題とする本はこれまでも数多くあるが、ホッキョクグマに関する文化史に焦点を絞って考察し、ホッキョクグマを描き、象った遺物・遺跡、博物誌、文学、芸術作品から紋章や広告にまで目を配ったものは、おそらく本書以前にはないのではなかろうか。いずれの章にも驚くべきエピソードや図版が数多く収められているが、とりわけ、人間に変身したかと思えば元の姿に戻ったりする、あるいは見守り手助けしてくれるという、先住民の独特なホッキョクグマ観を紹介する章、ホッキョクグマ肉の味についての証言を集めた章、ホッキョクグマとその毛皮の意味を性の文脈から掘り下げた章などは、本書のユニークな魅力になっていると思う。読者の皆さんにも、どの章がお気に入りか伺ってみたい。
ところで、本書の第3章「初期の交易品としてのホッキョクグマ」の冒頭では、白い熊について記述された世界最古の記録として、意外にも『日本書紀』が紹介されている。著者もこの記述がホッキョクグマを意味するとは断定していないが、読者のなかには興味をそそられた方がおられるかもしれない。私もそのひとりだった。
そこで、『日本書紀』英訳としては唯一の、英国のウィリアム・G・アストン訳Nihongi(1896年)をインターネットのデータベースで見てみた。その257ページ、斉明天皇時代の658年の項に、“He presented to the Emperor two live white bears.” [彼(阿倍比羅夫【あべのひらふ】)は天皇に2頭の生きた白い熊を献上した]とあり、はっきり「白い熊」と書かれている。『日本書紀』(『日本古典文学大系68』岩波書店、1965年)の該当部分を見ると、「生羆【しくま】二つ」とはあるが、白いとはひとことも書いていない。漢字字典によれば、「羆」は「ヒグマ・シクマ」と訓読みし、ヒグマを意味する漢字である。ではなぜ、この英訳者はwhite bearと書くに至ったのだろうか?
この部分には、以下のような訳注が付されている。
「ここに使われている漢字は"羆"という字で、日本語ではシグマと読む。ヤマダの辞書と『三才図会【さんさいずえ】』によれば、羆はPolar Bearすなわちホッキョクグマを指すという。(中略)『ハンドブック・オブ・ジャパン』には、ホッキョクグマは北海道の海岸でときどき見つかるが、稀であると述べられている。」
さっそくアストンが参照したという『三才図会』を探す。『三才図会』というのは、江戸時代(18世紀)に書かれた絵入りの百科事典『和漢三才図会』のことだ。これをデータベースで見ると、「羆」の項には、確かに白い熊の絵があり、「志くま/和名 之久萬【シクマ】/白熊の略称也」と記されていた。念のため「熊」の項を見ると、黒い熊の絵。これだけ明快に図示されれば、white bearと訳さざるを得なかっただろう。しかし、アストンも100パーセントの確信をもって訳したわけではなかった。前述の訳注の続きには、こうある。
「後述で70枚の羆の皮に言及されているが、この枚数からして、この動物が結局ホッキョクグマではなく、蝦夷からカムチャツカ半島にかけての北方一帯に数多く生息するUrsus Arctosつまり大型のヒグマかもしれないという疑いが生ずる。ヒグマは、日本列島で見かけるはるかに小さい黒い熊とは全く異なる。しかしながら、この時代、蝦夷地方にホッキョクグマが今より多くいた可能性はある」。
アストンも、複数の文献を調べても断言できなかったのだ。19世紀末、ヴィクトリア朝の英国といえば、まさに本書にも言及されているとおり、サマーレイトン卿をはじめ多数の貴族ハンターが北極圏でホッキョクグマ狩りに興じ、仕留めた獲物を毛皮や剝製にして邸宅を飾っていた時代である。『日本書紀』訳者のアストンがホッキョクグマの毛皮が古代の日本に到来したかどうかを考えるとき、そんな時代背景が影響してはいなかっただろうか?
いずれにせよ、日本語を理解する欧米人も数少なく、翻訳された日本の文献も乏しかっただろう19世紀という時代に、18世紀前半の日本で書かれた百科事典を参照しながら、8世紀に成立した『日本書紀』を訳した先達の苦心に、訳者として敬意と共感を覚える。
さて、日本における人間とホッキョクグマとの関わりはどうだろう。北極が身近とは言えず、何世紀も前の北極遠征やホッキョクグマ狩りの歴史を経ていないこの国では、ホッキョクグマは環境問題からはひとまず距離を置いたところでユーモラスに描かれているようだ。
たとえば、近現代の美術作品では、明治生まれの山口蓬春【ほうしゅん】による日本画《望郷》(1953年)。日蝕が進行する空の下、灰白色の氷原に似た地面に腰掛けている白熊が中央に大きく描かれ、背景右奥にはフンボルトペンギンが2羽。熊もペンギンも同じほうを向き、どこか遠くを見ている。おそらく動物園から遠く離れた北極と南極だろうか。北極に生きるホッキョクグマと南極のペンギンの同居は、本書でも指摘されている根強い誤解の一例でもあるが、画家は本来の生息地からかけ離れた場所で飼育されている動物たちの境遇を思いやっている(https://www.youtube.com/watch?v=oX_Hc4Dv2oc)。
三沢厚彦の動物を象った木彫シリーズ「ANIMALS」には、直立、四つん這い、前屈み、仰向けなど、さまざまなポーズの白熊が何点も含まれている。実物のホッキョクグマは頭が小さく首が太く長いが、これらの彫像は首が短く、頭も眼も耳も大きい。茶色や黒の他種の熊とも似通った体型でユーモラスに様式化されており、写実的とは言えないのに、みなぎる力強さや生命力を感じさせる(三沢厚彦『ANIMALS+』(2007年)など)。
多和田葉子の小説『雪の練習生』(2011年)は、本書でも詳述されているベルリン動物園の人気者クヌート、その生みの母で、かつて東ドイツのサーカスで「死の接吻」を演じていたトスカ、さらにその母熊という三代のホッキョクグマが、いずれも「わたし」という一人称を用いて、半生を回顧して自伝を書いたり、身の回りの出来事を伝えたりする異色の物語である。3頭はいずれもなぜか字が読め、人間の言語を理解し、他の動物とも会話し、周囲の人間模様や社会状況を冷めた視線で観察している。たとえば、「元気に駆け回るクヌートの姿をテレビで放映すれば、地球温暖化ストップのいいキャンペーンになると思うよ」といった人間の発言もしっかり聞いているのだ。本書でも紹介されている「アッタ・トロル」のように辛辣だが、どこかユーモラスな語り口のなかに、サーカス熊の引退後や動物園生まれの熊の悲哀もにじませている。
いっぽう、現実のホッキョクグマに目を転じると、2019年、愛媛県のとべ動物園では、ここで生まれ人工哺育で育てられた雌のピースが20歳を迎えた。クヌートの4歳の死からも察しがつくが、この動物の人工哺育は難しく、20年は世界最長記録だという。今年にはNHKテレビで、20年間のピースの成長を記録したドキュメンタリー番組が二度にわたって放映された。生後まもないころ、毎晩および動物園の休園日に飼育担当者の自宅で家族と一緒に寝ていたピースの赤ん坊時代の映像は、愛くるしいことこのうえない。飼育担当者の高市敦広さんは、ピースの幸福が最も大事だと言い切る。ピースはエコ大使の役割を負わされることはない。期待されているのは、日々元気な姿を見せてくれることだけだ。
【マイケル・エンゲルハード『ホッキョクグマ 北極の象徴の文化史』(白水社)「訳者あとがき」より】