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「女は月経時に万引きをする」「女は生理中に罪を犯す」  なぜこんなトンデモ説が生まれてしまったのか

記事:平凡社

『月経と犯罪 “生理”はどう語られてきたか』(平凡社)は2006年に同タイトルで刊行されたものを一部改変・追加した。著者の田中さん曰く、この14年間で月経を取り巻く環境はずいぶん変わってきたという。
『月経と犯罪 “生理”はどう語られてきたか』(平凡社)は2006年に同タイトルで刊行されたものを一部改変・追加した。著者の田中さん曰く、この14年間で月経を取り巻く環境はずいぶん変わってきたという。

忘れられない祖母たちの言葉

 たしかあれは私(注:この記事を書いている担当編集者)が小学生の時だっただろうか。まだ「初潮(初めて月経を迎えること)」が来ていない頃であったが、今でも鮮明に覚えていることがある。それは「月経中の女は万引きしやすい」という言葉だ。たしか、祖母と伯母の会話の中で耳にしたと記憶している。彼女たちがどういう流れでそのようなことを口にしたのかすっかり忘れてしまっているのだが、この言葉だけが幼い私の脳に異様に刷り込まれ、ずっと頭から離れることはなかった。

 その後、毎月だいたい決まった時期に腹痛や頭痛に襲われ、イライラしたり、わけわからず悲しい気持ちになったり、憂鬱な気分に襲われてきた。そんなときにふとあの「月経中の女は万引きしやすい」という言葉を思い出すのだ。すると余計にイライラが募り、誰がこんな根も葉もないことを言い始めたのか、と怒りが込み上がってくるのである。その反面、いつもと違うスイッチが入っている感じがして、万引きしてもおかしくない人もいるだろうなあ、と思ってしまう自分がいた。かつて耳にした言葉について祖母に聞いたことがあったが、「(祖母の)ああ、あれは母から聞いたのよ」という返答だけで、なぜそのようなことが生まれたのかその根拠を知る術はなかった。

イライラしたり、身体がむくんだり、吐き気がしたり、月経前後、最中の体調の変化は人それぞれ。現在は婦人科や薬局で入手可能な薬で症状を和らげることができるようになった。
イライラしたり、身体がむくんだり、吐き気がしたり、月経前後、最中の体調の変化は人それぞれ。現在は婦人科や薬局で入手可能な薬で症状を和らげることができるようになった。

与謝野晶子や松井須磨子も悩んだPMS

 たしかに、月経中は女性ホルモンの影響で普通とは違う感情が瞬間的に込み上げてくる時がある。医学が発達した現在、そのような心身の不調はPMS(月経前症候群)やPMDD(月経前不快気分障害)と呼ばれ、婦人科に行けば薬を処方してくれるため、辛い症状はいくらか軽減する。しかし、こうした治療はここ十数年の間に普及したものであり、それ以前は周囲に理解されずに苦しんでいた女性は多かった。

 たとえば『月経と犯罪』によると、歴史上の有名人では与謝野晶子や松井須磨子もPMSに悩んでいたようだ。与謝野晶子は、嫁と姑の間で起きた殺人未遂事件を月経中だったからという理由で若い嫁を擁護しているうえ、与謝野自身も「ヒステリーを起こす」とまで自らの筆で書き残している。このことからわかるのは、与謝野は月経があるから女性は情緒不安定になると考えていたということだ。強い女性というイメージがある与謝野がPMSに苦しんでいたと思うと不思議と親近感を抱いてしまう。

 一方、松井須磨子はなにかと周囲と対立することが多かったようで、そのイライラの原因がPMSから生じるものであるとは彼女自身の言葉で明言していない。松井は恋人・島村抱月の死を悲観して後追い自殺したと言われているのだが、それが「月経だったからイライラして突発的に自殺した」という噂が死後に広まったという。これらのエピソードからわかることは、男女問わず、人びとの間で「女性=月経=ヒステリー」という考えがまかり通っていたということだ。

与謝野晶子(1878~1942)は、PMSに苦しめられていたとされ、自ら「往々はげしいヒステリーに襲われることがある」と述べている。
与謝野晶子(1878~1942)は、PMSに苦しめられていたとされ、自ら「往々はげしいヒステリーに襲われることがある」と述べている。

松井須磨子(1886~1919)は、恋人の島村抱月の死後、自殺した。当時の新聞は、遺体の近くに血が垂れていたと報じているが、真相はわからない。
松井須磨子(1886~1919)は、恋人の島村抱月の死後、自殺した。当時の新聞は、遺体の近くに血が垂れていたと報じているが、真相はわからない。

ダーウィニズムと猟奇犯罪時代

 そもそもなぜ女性による犯罪と月経とを結び付ける「月経要因説」が生じてしまったのだろうか。意外だったのは、その成立背景にチャールズ・ダーウィンの進化論が深く関わっていたということだ。進化論、つまり男性優位説をベースにした思想はその当時の研究者らの軸となっていたという。犯罪研究の領域も多分に漏れず、イタリアの犯罪人類学者チェーザレ・ロンブローゾなどをはじめとした学者たちもダーウィンの思想の影響を受け、その結果として「月経要因説」が生まれてしまったのである。もし、ダーウィンの進化論が存在していなかったら、もう少し別の見方があったのかもしれない。しかし現実は、ダーウィンの思想の影響下にあった彼らの著書が世界各地へと広まり、日本の犯罪学者の間でも「月経要因説」が次第に広まってしまったのであった。

 日本での「月経要因説」について考えるとき、「小酒井不木(ふぼく)」と「1920年代」という2つのキーワードは外せないだろう。小酒井は学者でありながら江戸川乱歩と並ぶ人気探偵小説家であった。彼が活躍した1920年代は歴史上名に残る猟奇的犯罪が多発し、市民の間で犯罪に対する興味が高まっていた時代だ。そのような状況の中で、探偵小説家の顔を持つ学者・小酒井が、エンターテイメント性を加えた独自の犯罪論を展開したのではと考えてしまうのは私だけだろう。そしてそれが好奇心に駆り立てられた市民の間に広がる噂のレベルであればよかったのだが、第二次大戦後の刑事・司法の場でも根強く生き続け、1974年に神戸市で起きた「甲山(かぶとやま)事件」のような冤罪事件の引き金になってしまったのは悲劇としかいいようがない。

チェーザレ・ロンブローゾ(1835~1909)。イタリアの精神科医で犯罪人類学の創始者。多くの犯罪論の著書を出しており、『女性犯罪者と売春婦と一般の女性』などの女性犯罪論も展開した。
チェーザレ・ロンブローゾ(1835~1909)。イタリアの精神科医で犯罪人類学の創始者。多くの犯罪論の著書を出しており、『女性犯罪者と売春婦と一般の女性』などの女性犯罪論も展開した。

昨今の「月経ムーブメント」のなかで

 ここ数年、女性誌やテレビで「月経」に関する特集や記事を多く見かけるようになり、ちょっとした「月経ムーブメント」が起きている。テクノロジーを利用して女性の心身の悩みを解決する「フェムテック」の市場も拡大し、人類が誕生してから常に女性たちを悩ませ続けてきた苦痛が数年の間で改善されているのである。ここで注目したいのは、その改善が、女性たち自らの努力と工夫を積み重ねて生まれた結果であるということだ。そこには男性の存在はほとんどなきに等しい。

 「血=穢れ=情緒不安定=罪を犯す」というイメージを勝手に作り上げてしまった男性たちは、月経そのものに向き合うことが無きに等しかった。それは現在でも続いている。もちろん、月経そのものやその辛さについて男性に無理やり知ってもらう必要はない。しかし、月経は長い間、女性たちだけの生理現象として放置され、放置され続けてきたが故に女性への偏見を生み出してしまった。月経ムーブメントが起きている今、女性の間でのブームに終わらせることなく、人として生きるわれわれがまずは月経について語ることから始めてみてはいかがだろうか。それがこれまで越えることができなかった男女の境界を超える一歩となるに違いない。

公の場で語ることがタブー視されてきた「月経」。ここ最近はそうした流れを変えようと、女性たちが自ら女性誌などで月経痛や生理用品について意見を述べる場が格段に増加した。
公の場で語ることがタブー視されてきた「月経」。ここ最近はそうした流れを変えようと、女性たちが自ら女性誌などで月経痛や生理用品について意見を述べる場が格段に増加した。

文/平井瑛子(平凡社編集部)

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