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オバマとバイデンのもとで米露関係を「リセット」 プーチンが恐れた政治学者の回想録

記事:白水社

ヒラリー・クリントンをはじめ米政界の重鎮たちが推薦する、NYタイムズ・ベストセラー! マイケル・マクフォール著『冷たい戦争から熱い平和へ プーチンとオバマ、トランプの米露外交』(白水社刊)は、「プーチンが恐れた駐露米大使」の回想録。「エピローグ」ではトランプ周辺とロシアの「怪しい関係」に章を割いている。
ヒラリー・クリントンをはじめ米政界の重鎮たちが推薦する、NYタイムズ・ベストセラー! マイケル・マクフォール著『冷たい戦争から熱い平和へ プーチンとオバマ、トランプの米露外交』(白水社刊)は、「プーチンが恐れた駐露米大使」の回想録。「エピローグ」ではトランプ周辺とロシアの「怪しい関係」に章を割いている。

 2010年4月の晴れた日、アメリカ大統領の専用機エアフォース・ワンがプラハへ向けて次第に高度を下げ始めた。オバマ大統領はゲイリー・サモアと私を、機内前方にある執務室へ呼んだ。その日はロシアのメドヴェージェフ大統領との会談が午後に予定されていたので、主要な論点を確認するためだった。オバマの気分は高揚していた。彼は1年前に同じプラハで演説し、核兵器のない世界を目指すと宣言していた。おそらくそれは、彼が在任中に行った外交演説の中で最も重要な演説だった。私達は彼が掲げた目標を「プラハの課題」と呼んでいた。メドヴェージェフとの会談は、その重要な一歩となる。両首脳は新たな戦略兵器削減条約(新START)に調印し、互いに保有核兵器の30パーセントを削減する約束をするはずだった。サモアは国家安全保障会議にあって、特に大量破壊兵器の削減問題で大統領を補佐し、この合意の達成に大いに貢献した人物である。私は二次的な役割を果たしたにすぎないが、2人にとって、この短いプラハ訪問は喜びに満ちた旅だった。

オバマ米大統領を乗せて到着した大統領専用機エアフォース・ワン(2016年5月、中部国際空港で、朝日新聞)
オバマ米大統領を乗せて到着した大統領専用機エアフォース・ワン(2016年5月、中部国際空港で、朝日新聞)

 大統領専用機が空港に着くと、私とゲイリーは〝けもの〞の異名をとる大統領専用車に同乗した。オバマの要請だった。車列は条約の署名会場であるプラハ城へ向かった。私達はイランへの制裁にメドヴェージェフの同意を取りつけたかった。車内で戦術を練りつつも、ヴィクトリー・ランの気分を味わっていた。オバマは曇りガラス越しに沿道の市民に手を振り、笑みを振りまいた。概して政府の仕事というものは、簡単に具体的な成果が上がりはしない。苦労を味わってきただけに、私達の気持ちは高揚していた。軍縮に限らず、もっと広い分野でロシアとの協力を深められるという期待も膨らんでいた。ソヴィエト連邦が崩壊してから紆余曲折をたどってきたロシアとの関係は、明らかに転機を迎えていた。これまで両国の指導者が立ち入ろうとしなかった真の戦略的関係を構築する時が来たのだ。

 ホワイト・ハウスにもクレムリンにも、若い世代の大統領が誕生した。冷戦は遠い過去のように思われた。何十年も実現しなかった本格的な軍縮条約に調印し、手を携えてイランの核開発を阻止しようとしている。アフガニスタンでは一緒にタリバンやアルカイダと戦っている。相互の貿易や投資も拡大している。NATO拡大やイラク戦争など、やっかいだった問題も過去の出来事と感じられた。アメリカとロシアは相互に利益をもたらす関係を深めようとしている。この年、両国の降下部隊は同じ飛行機に搭乗して、コロラドの空から飛び降りた。いずれも二年前には想像もできなかった変化である。メドヴェージェフは慎重に振る舞っていた。だが西側の価値観を理解できる新世代の政治家という印象を与えた。大統領専用車はプラハの砂利道を快適に疾走していた。オバマ外交の大看板であるロシアとの「リセット」が実現しようとしていた。

マイケル・マクフォール『冷たい戦争から熱い平和へ プーチンとオバマ、トランプの米露外交』上巻(白水社)目次
マイケル・マクフォール『冷たい戦争から熱い平和へ プーチンとオバマ、トランプの米露外交』上巻(白水社)目次

 その日の午後、メドヴェージェフとオバマは新START条約に署名、一緒にシャンパンの盃を傾けた。いっそうの協力について生き生きと語り合った。当時はアメリカでもロシアでも、多くの人々がその可能性を疑わなかった。アメリカではロシアに人気があったし、ロシアでもアメリカ人気が高かった。私は翌日、気分を高ぶらせたまま帰途に就いた。自分たちが歴史をつくっているのだと信じていた。

 それからわずか2年後の2012年1月、私はロシア連邦駐在大使としてモスクワに着任した。空気は冷たく空はどんよりと曇っていた。リセットを軌道に乗せるのが私の任務だった。ハイスクール時代の討論の時間に、ソヴィエト連邦との関係について話したのが、私とロシアのなれそめである。それからはソヴィエト、そしてロシアとの関係強化を目指して、思索と執筆、行動を続けてきた。私にとって大使の任務はこれまでの仕事の集大成となるはずだった。私が獲得した理念をさらに磨く好機と思われた。しかし、そうはならなかった。大使の仕事を始めた日から、政府が支配するロシアのメディアは、オバマがロシアで革命を起こすために私を派遣したと騒ぎ立てた。ロシアで人気が高い夜のテレビ解説番組「アドナーカ」〔ロシア語で「ところが」「しかし」の意味〕で、司会のミハイル・レオンチェフは私について、ロシアの専門家でもなければ職業外交官でもなく、ロシアで政権転覆を目論む勢力に資金を与え、反政府運動の組織化を進めるために送り込まれた手練の革命家である、と決めつけた。私が10年前に出した著書の題名を持ち出して、『ロシアの未完の革命』を完遂するためにやってきたのだと紹介した。私はロシア大使として務めを終えるまで、この濡れ衣から解放されなかった。

マイケル・マクフォール『冷たい戦争から熱い平和へ プーチンとオバマ、トランプの米露外交』下巻(白水社)目次
マイケル・マクフォール『冷たい戦争から熱い平和へ プーチンとオバマ、トランプの米露外交』下巻(白水社)目次

 数か月が経過した。2012年5月、ホワイト・ハウスの国家安全保障担当補佐官で私の以前の上司であったトム・ドニロンが、大統領に返り咲いたプーチンと会談した。私は大使としてドニロンに同行した。同年3月の大統領選挙で勝利してから、プーチンがオバマ政権の高官と会うのは初めてだった。プーチンはドニロンを郊外の邸宅ノヴォ・オガリョーヴォに迎えた。4年前にはオバマとプーチンが、朝食を取りながら3時間にわたり、腹を割って建設的な対話をした場所である。プーチンは当時、首相の地位にあった。トムは協力の継続が必要であると論じた。プーチンは静かに聴いていたが突然、トムに向けていた視線を私に転じた。冷たい青い瞳で私をにらみつつ険しい表情で、私が両国関係を故意に壊そうとしていると非難した。プーチンは本気で怒っているように見えた。私も本気で警戒した。世界で最大級の権力を持つ人物が私を面罵している。首の後ろの毛が逆立ち、汗が眉を伝わるのを感じた。

 プラハ首脳会談の当時、私はリセットの発案者であり、ロシアとの関係強化を牽引する先導者でもあった。ところがモスクワに来てみると、私は革命家であり、政権転覆を目論む陰謀家であり、プーチン個人の宿敵ということになっていた。

【マイケル・マクフォール『冷たい戦争から熱い平和へ プーチンとオバマ、トランプの米露外交』上・下(白水社)プロローグより】

目次

プロローグ

革命
第1章 最初の「リセット」
第2章 万国の民主主義者よ、団結せよ!
第3章 エリツィンの中途半端な革命
第4章 プーチンのテルミドール

リセット
第5章 「チェンジ」を信じて
第6章 「リセット」を仕掛けろ
第7章 普遍的価値
第8章 最初で最後のモスクワ首脳会談
第9章 新たなSTART
第10章 イランの核開発を阻止せよ
第11章 二つの難題「ロシアと旧ソヴィエ諸国」「ミサイル防衛」
第12章 ハンバーガーとスパイ
第13章 アラブの春、リビア、リセットの「終わりの始まり」
第14章 「大使」と呼ばれて

揺り戻し
第15章 敵を必要としたプーチン――アメリカ、オバマ、そして私
第16章 嫌がらせ
第17章 反撃
第18章 ツイッターとツーステップ
第19章 タンゴは一人で踊れない
第20章 シリア、誤算と悲劇
第21章 人権で対立
第22章 祖国へ
第23章 ウクライナ、侵略と戦争
第24章 リセットの終焉

エピローグ トランプとプーチン

【マイケル・マクフォール『冷たい戦争から熱い平和へ プーチンとオバマ、トランプの米露外交』上・下(白水社)目次より】


【著者マイケル・マクフォールによる講演動画(英語) 右下の歯車アイコンをクリックすると字幕翻訳できます。】←下キャプション

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