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4000年前に作られた古代メソポタミアのお弁当パン 粘土書板に残されたレシピを再現

記事:大和書房

古代の持ち運び用お弁当パン「クサープ」
古代の持ち運び用お弁当パン「クサープ」
二〇ベール〔行って〕、彼らはパンを割いた。
三〇ベール〔行って〕、彼らは夕べの休息を取った。
『ギルガメシュ叙事詩』月本昭男訳(岩波書店)第4の書板第1欄1-2より

 『ギルガメシュ叙事詩』の様々な場面で描写されるのがパンです。引用したのは、第4の書板でフンババ討伐に向かうギルガメシュとエンキドゥが、約200キロ進んで休憩している描写です。二人が携帯してきたパンを二つに割き、食べて一休みしていることがわかります。「パンを割いた」は、アッカド語原文で、クサープ(kusāpu)と記されています。なお、パンはシュメール語でニンダ(NINDA)、アッカド語でアカル(akalu)と呼ばれていました。古代メソポタミアの都市ニップルで出土したシュメール語の語彙表『ハルラ=フブッル』には、80に上る種類のパンが収録されています。

 続いてパンに使われた材料を見ていきましょう。古代メソポタミアで栽培されていた最も一般的な穀物で、またパンの生産に最も多く使われたものは大麦です。シュメールの時代、ウル第三王朝期の製粉リストには、大麦556キロ、小麦粉469キロ、小麦14キロ、エンマー小麦6キロという記録があります。大麦は微粉砕され、穀粒は携帯用の臼で小麦粉に粉砕されました。挽くことで、様々なグレードの小麦粉が作られました。

 その他、ハンムラビ王と同時代の古バビロニア時代のマリの王様ヤスマハ・アッドゥ(在位:前1769—1776年)が催した宮中での夕食の献立には、様々なパンと粉が登場します。

「クム」パン900リットル、サンミダートゥム小麦粉製のパン60リットル、ブッルム穀物製の「酸味」のある「エムツム」パン2020リットル、ケーキ950リットル、大麦粉製の「酸味」のある「エムツム」パン2185リットル、・・・(中略)・・・、イスククム小麦粉11リットル、サスクム・セモリナ(小麦)粉6リットル、サンミダートゥム小麦3リットル
S.M.ダリー著『バビロニア都市民の生活』92ページより表記等一部改変

 これらの様々な粉を水と混ぜ合わせて、多様な種類のパンが作られました。紀元前一千年紀の古代アッシリアの都市アッシュールで使用された、実用的な語彙集のパンの項目にも14の語彙があります。最初に記載されたパンには「NINDA.MEŠ ku-sa-pu」とクサープが記されています。

 パンは大きく2つに区分されています。パン種を入れない無発酵パンと発酵パンです。無発酵パンは現代でも世界中で食べられており、フライパンなどの平鉄板で作られる中国の餅(ピン)類、中南米のトルティーヤ、フランスのクレープ、ノルウェーのフラット・ブロー、表面が軽く凹んでいる鉄板(凹面鉄板)で作られるチャパティ(インド、パキスタン、ネパール、アフガニスタン等)などを想像していただけるとわかりやすいと思います。

 さて、ギルガメシュとエンキドゥが持ち運んだ冒頭の携帯パンを、本書では無発酵パンとして作ります。大麦粉、エンマー粉、セモリナ粉、最後に薄力粉を少々加え、水と混ぜ合わせてこねます。生地を延ばしたら、型取りし、薄焼きパンとしてフライパンで焼き上げましょう。発酵パンには塩を加える記述もありますが、こちらは粉を混ぜ合わせるだけのシンプルなパンにします。割いたパンを二人で食べながら、フンババにどんどん近づいていったかと思うと、想像力も無限に広がっていきます。

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