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アイルランド ジャガイモ飢饉が示す不平等 飢饉の本質とはなにか 『食で読み解くヨーロッパ』

記事:朝倉書店

1845年-1849年の間、アイルランドでは「ジャガイモ飢饉」と呼ばれる大きな飢饉が起こった
1845年-1849年の間、アイルランドでは「ジャガイモ飢饉」と呼ばれる大きな飢饉が起こった

アイルランドでは18世紀後半以降に導入され、栽培が盛んになったジャガイモ

 アイルランドでは、ジャガイモは18世紀後半以降に導入され、栽培が盛んになった。当時、イギリス領内にあったアイルランドでは、カトリック教徒が多くを占めるアイルランド人がプロテスタントのイギリス人の支配下に置かれ、豊かな農地が奪われ、農業ができないような耕作不適地に追われていた。

 アイルランド人の所有地は、17世紀初頭にはアイルランド島全体の59%を占めていたのが、18世紀初頭には14%にまで減少している。しかも彼らは小作人として農地の2/3にコムギを栽培し、それをイギリス人地主に納付し、残りの1/3にジャガイモを栽培して自らの食料としていた。

 ジャガイモは土地条件の悪い農地で栽培できたうえに、アイルランド各地で得られる泥炭(ピート)を燃料にして簡単に調理できることも、ジャガイモ普及にとって追い風だった。ジャガイモの威力はすばらしく、アイルランドの人口は約150万人(1760年)から約800万人(1841年)へと急増した。

アイルランド・アラン諸島の農村(2003年7月、塩崎左加未撮影)
アイルランド・アラン諸島の農村(2003年7月、塩崎左加未撮影)

農地に石垣が張り巡らされる独特の景観から、アイルランド人の苦悩を読み取れる

 アイルランド人がどれだけ貧しい土地での暮らしを強いられてきたのか。その象徴的な場所といえば、今やアイルランド観光の重要スポットになっているアラン諸島だろう。アイルランド島西部の大西洋に面するコノート地方は土地条件が特に悪く、イギリス支配から逃れるアイルランド人が17世紀以来、入植し、その沖合にあるアラン島にまで達した。そこは大西洋に浮かぶ岩だらけの島。土はやせ、石灰質の岩盤が作物の栽培を阻んでいる。大西洋からの西風が吹きつける厳しい環境である。彼らは石灰質の岩盤を掘り起こし、石を畑のまわりに積み上げて風よけにした。石を砕いてつくった土にジャガイモを植えつけて食料を確保した。それが現在、農地に石垣が張り巡らされる独特の景観となって知られ、多くの観光客が訪れている。しかし、この景観には、土地を追われたアイルランド人の苦悩だけでなく、のちに彼らが直面する飢饉の歴史も込められている。

ジャガイモの凶作によるアイルランドの飢饉

 アイルランド農民が飢饉に襲われたのは1845年に始まるジャガイモの凶作が原因である。ジャガイモの疫病フィトフトラが大流行して1845年のジャガイモの収穫量が激減すると、翌1846年の作付面積は前年の1/3にまで縮小する事態となった。凶作によって食料不足が深刻だったために、翌年に作付けするための種イモまで食べてしまったためである。

 さらに1847年には種イモ不足のため、通常の1/5の収穫しかなかった。そして1848年にはさらに途方もない凶作に見舞われる。作付けしたジャガイモのほとんどが実らなかったのである。

 その結果,食料は完全に底をつき、あちこちで餓死する人々が続出した。やがて、これ以上住めないとあきらめてアメリカ合衆国に渡る人々が港に殺到した。アイルランドの人口は大きく減少し、817万5124人(1841年)から655万2385人(1851年)となった。それ以前の人口増加率が続いたならば、1851年には約900万人になっていたと試算できることから、この飢饉では約250万人が失われたことになる。その内訳は、約150万人の病死者,約100万人の移民であった。

アイルランドでは小麦も生産していた
アイルランドでは小麦も生産していた

本当に食料はなくなってしまったのか?

 なぜこれほどの犠牲者が出たのか。本当に食料はなくなってしまったのか。じつは、この飢饉が続いていたアイルランドには大量の食料があったのである。それは、彼らが生産しイギリス人地主に納付した大量のコムギである。イギリス支配のアイルランドの市場にはコムギが流通していた。しかし、アイルランド農民の多くはきわめて貧困な暮らしをしていたために、食料を買うことができなかったのである。

 しかも驚くべきは、領主はもちろんイギリス政府など当時のイギリス社会が飢えるアイルランド人に救いの手を差し伸べなかったことである。イギリス人は飢饉に見舞われたアイルランド人たちにほとんど食料を提供しなかった。彼らは飢える人々を見殺しにして、自身の豊かな暮らしを続けていたのである。

アイルランド飢饉の本質は何か

 ここでまとめておこう。アイルランド飢饉の本質は何か。アイルランドは決して土地がやせているわけではない。アイルランドの人々はここでコムギやライムギを栽培して生活を営んできた。彼らが貧しい農地でジャガイモにすがる生活に追われた背景には、イギリスによるアイルランド支配があった。彼らは、豊かな土地を奪われ、厳しい環境のなかでジャガイモに依存する生活をせざるをえなくなった。そうした社会の格差があるまま、彼らはジャガイモの凶作によって一気に悲劇へと突き進んだ。食料を失っただけでなく、搾取する側のイギリス人からは見て見ぬふりをされた。農村における格差社会が最も厳しいかたちで現れた例といえよう。

首都ダブリンにある飢饉追悼碑
首都ダブリンにある飢饉追悼碑

実際には食料があるものの、それが配分されてこないというのが飢饉の本質

 凶作によって食料が得られず、その結果として人が飢えるという飢饉の構図は、誰もがわかったつもりでいる。しかし、実際には食料があるものの、それが配分されてこないというのが飢饉の本質である。今、アフリカで起こっている飢餓も同じである。凶作は自然災害といえても、飢餓は明らかに人災なのである。

 なお、アイルランド飢饉におけるイギリス政府の責任について、1997年の追悼集会において当時のブレア首相が謝罪文を読み上げている。また、アメリカ合衆国では近年、自分のルーツへの関心が高まっており、先祖の出身地を訪れる人が増えている。いわゆるルーツツーリズムとも呼ばれるもので、アイルランド移民の子孫がその過酷な歴史に触れるためにアイルランドを訪れ、歴史の継承を続けている。

出身地における対立構造は移民先にも持ち込まれている

 ちなみに、イギリス人のアイルランド人に対する態度は、長らく厳しいものだった。イギリスの支配層であるイングランド人は、プロテスタントのアングロサクソン人を名乗っており、ケルト人の血が混じるとされるカトリック教徒のアイルランド人は二級国民の扱いだった。それが、アイルランドにおけるイギリス人の支配を正当化した。イギリス人の支配から逃れて独立することはアイルランド人の悲願だった。アイルランドが自由国として国家を宣言するのが1924年。イギリスから完全独立して主権国家となるのは1949年のことになる。

 ついでながら、移住先のアメリカ合衆国でもイギリス系移民はアイルランド系移民に対して冷酷だった。同じアメリカ国民でありながら、彼らはアイルランド系を差別してきた。その不条理を見事に描き出したものに、映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)がある。1846年に飢饉でニューヨークに渡ったアイルランド系の若者が、イギリス系から暴力を受けたことを恨み続け、反撃の機会を待って、ついに仕返しに出る。決闘がなされるのは1863年7月13日。ちょうどアイルランド移民による反差別運動である「ニューヨーク徴兵暴動」が起こっていた、というストーリーである。これを観ると、両者の対決が単なる当事者だけの問題にとどまらず、移民の出身地における対立構造を反映したものであり、それがアメリカ社会に持ち込まれている事実に驚かされる。

バイエルンのジャガイモ料理クネーデル(2013年10月)
バイエルンのジャガイモ料理クネーデル(2013年10月)

貧しい人々の食からご馳走へと変化したジャガイモ

 ジャガイモはヨーロッパの多くの人々の暮らしを支え、近代化のための労働力を生み出した。その結果、明らかにヨーロッパは豊かになった。しかし、多くの人々を奈落の底に突き落とし、絶望をもたらした食料であったことも事実である。アイルランドの飢饉を振り返るにつけ、そこにはヨーロッパのあまりに厳しい社会階層間の壁があったことをあらためて思い知らされる。

 ところで、ジャガイモは今では貧しい人々のための食ではないし、そうしたイメージもない。それどころか、ごく日常的に食べられ、レストランでも出されている。北ドイツではゆでたり焼いたりしたジャガイモ、南ドイツではクネーデルKnödelと呼ばれる団子にしたジャガイモが肉料理に添えられている。マリネした肉を蒸し煮したザウアーブラーテンSauerbratenはドイツの国民食といわれるが、これにジャガイモの付け合わせは欠かせない。あるいは、ニシンやタラ、イカなどの魚介料理にはゆでたジャガイモを添えるのが定番である。

 貧しい人々のための食からご馳走への変化。ここには外食が果たした役割が大きい。19世紀半ば以降、レストランで富裕層が求めて食べるようになって以来、ジャガイモはドイツの典型的な料理の一部になっている。こうした食の変化の経緯については、第8章のトウモロコシの話題のところで解説する。

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