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3.11からを生きるすべての人へ 絵本作家32人による『あの日からの或る日の絵とことば』

記事:創元社

『あの日からの或る日の絵とことば』(創元社)
『あの日からの或る日の絵とことば』(創元社)

あの日からを生きる、すべての人へ

 東日本大震災から10年というこの時期に改めて読んでみようと本書を手に取った。しかし、読みながら感じたのは「あの日から10年」という言葉は何の意味も持たないということだった。10年が過ぎたからといってあの日の出来事が変わることはなく、あの日からを生きる私たちの生活は今も続いているということ。「節目」という言葉に寄りかかってしまうと、大自然の脅威にさらされた私たちが感じた恐怖、悲しみ、無力感、生命の尊さ…それらすべて何も無かったかのように感じてしまうような気がした。「節目」という言葉によってあの日の出来事に一区切りつけるのではなく、せわしない日常の中で忘れていた大切なことにもう一度思いを馳せるために、あの日からを生きるすべての人にこの一冊を読んでほしいと思った。

それぞれのあの日

 異なる場所、異なる状況の中であの日を経験し、それからを生きてきた作家たちによる「或る日」の物語は、彼らとはまた違う場所で震災を経験した私が見た光景とどこか重なる部分があった。そのいくつかを紹介する。

加藤休ミ「あんぱんと牛乳」
加藤休ミ「あんぱんと牛乳」

 著者の一人である加藤休ミ氏は、スーパーやコンビニエンスストアでの買い占めが起こる前、自宅に戻る途中、“あんぱんと牛乳”が無性に食べたくなったという。店の棚から商品が消えたり、電車が動かず帰宅困難者が溢れるといった混乱が起こるとは想像もしていなかった。

思いもよりませんでした。その日は単なる一日ではなく、一人に一つの物語が語れるほどの大変な歴史の一日の始まりだったのです。【40頁】

tupera tupera 亀山達矢「布団の海」
tupera tupera 亀山達矢「布団の海」

 tupera tupera亀山達矢氏は娘の通う認証保育園に裸足のまま走って向かった。園ではちょうどお昼寝の時間帯で布団が敷いてあり、子供たちはひょこひょこと布団の海から顔を出していて、水面から顔を出すアザラシの群れに見えたという。今でも“今ある大切な時”を感じるのは、子供を寝かしつける時だそうだ。

それでも時々、自分の気持ちが溢れ出る瞬間がある。(中略)布団が海に、ちらばった玩具が津波に流される様々なモノに見え、一瞬心がざわつく。そして、布団の海からひょっこりと顔を出し笑うアザラシを見て、今ある大切な時を感じる。 【69頁】

自分を重ねる瞬間がやってくるかも知れない

 「あの日」、私は小学生で、当時住んでいた千葉県佐倉市は震度5弱の揺れに見舞われた。大きな被害は無かったものの、しばらくは余震が続き、液状化や断水が起きた街には異様な雰囲気が漂っていた。激しく鳴り響く緊急地震速報に慣れることはなく、宝物はいつでも一緒に逃げられるようにまとめ、毎晩防災ずきんを枕元に置いて寝ていた。子どもなりに、もしもの時に生き延びる準備を、覚悟をもってしていた。震源地から離れていようと、それほど死を近くに感じた日々だった。

 10年という月日が流れて21歳になった私は、いつしか「あの日」の記憶を思い出さなくなっていた。当時はあれほど恐怖を感じていたのに、今では当たり前にお腹いっぱいごはんを食べ、風呂に浸かり、毎日を暮らしていた。

 しかし、32人の作家による「あの日」にまつわる絵とことばは、私の中で薄れかけていた「あの日」の情景を呼び起こし、記憶をみるみると蘇らせたのだ。編者の筒井大介氏は以下のように語っている。

読み進めるうちに、いつしか自分を重ねる瞬間がやってくるかも知れない。(中略)どこからでも、この本を開けば、誰かのそんな瞬間の物語に出会うことができる。そしてそれを、心強く思う日があるかも知れない。【4頁】

 ページをめくりながら「あの日」について考え、想いをめぐらせたその時間は、間違いなく、私にとっての「あの日からの或る日」になっていた。

(創元社 編集局 山下萌)

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