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世にも奇妙な植物進化の結晶 『世界のふしぎな木の実図鑑』

ドングリ集め断念から20年、図鑑の製作へ

「ドングリ!」
「部屋の中にドングリが落ちてたの」
「上から落ちてきたよ」
「リス、…でもいるのかな?」
「「リス!?」」
「それとも、ドングリ好きのネズミかな?」
「えーっ」「メイ、リスがいーい!」
宮崎駿監督『となりのトトロ』、スタジオジブリ、1988年より

 1987年生まれでアニメ好きの筆者にとって、ジブリ映画は物心ついた頃からずっと観続けているバイブルのようなものだ。同じ作品を一日に何度も巻き戻して見ては、作中に登場するさまざまなエピソードに憧れ、真似をした。ホウキで飛ぶ練習をし、毎朝目玉焼きののったトーストを所望し、嫌いなグリーンピースをチコの実と念じて食べていた就学前の私にとって、『となりのトトロ』由来のドングリ集めも当然の習慣だった。私の住んでいた近所にはドングリの生るような木があまりなかったが、たまに緑地公園などに連れて行ってもらうと嬉々として拾い、ポケットに突っ込んでは時々わざとこぼしたりして、小トトロがついてきてくれないだろうかと夢想したものである。

 もちろん拾ったドングリを庭に埋めて「まだ出ない、まだ出ない」ごっこもやりたかったのだが、あいにく実家には庭がなかった。大量のドングリは母の手で空きペットボトルに貯蔵され、私はそれが大いに不満だったが、やがてそれが正解だったことを知る。ある日、ペットボトルの底に、ドングリから出てきた虫が数匹うごめいているのを目撃したのである。ファンの名折れであるが、ここは憧れよりも虫への恐怖が勝った(ナウシカよりクシャナ派なのである…)。以来私はドングリ拾いをやめた。

 しかしそれから二十数年…。編集者になった私は、まったく思いがけないことに、ドングリはもちろんのこと世界の様々な木の実だけを集めた(おそらく世界初の)図鑑を編集することになったのである。

 企画のきっかけは、本書で写真とブックデザインを担当している山田英春さんに、「ジャムと木の実を売っているおもしろい店が軽井沢にある」と教えてもらったことだった。それが本書の著者のひとり、小林智洋さんが営む『ジャムこばやし』(木の実店としては『小林商会』)であった。それから間もなく、大阪市内で開催される熱帯植物の即売会イベントに小林商会が出展すると知り、さっそく訪ねていった。

 小林さんのブースには、ドングリ、豆、松ぼっくりはもちろんのこと、タケコプターのような羽根、凶悪そうなトゲトゲ、シャカシャカ鳴るでっかい鞘…。そのほか形容しがたいほど奇々怪々なフォルムの木の実が、ところ狭しと溢れかえっていたのだ。「こんな植物が実在するのか!」「何だってこんな形に!?」あまりの衝撃と興奮に夢中で手に取り、全方位から眺め、次から次へとカゴに入れた。そして気がつけば、ぜひ本を作りましょうという小林さんの言葉と、数千円分の木の実を抱えて帰ってきたのだった。

当時の売り場の様子(左)と戦利品(右)。フランスカイガンショウやシダーフラワー、いろいろな木の実のオーナメントなど。細長いホウオウボクは中に種子が残っており「マラカスに使える!」と思って買ったが、よく考えると筆者に音楽の趣味はなかった
当時の売り場の様子(左)と戦利品(右)。フランスカイガンショウやシダーフラワー、いろいろな木の実のオーナメントなど。細長いホウオウボクは中に種子が残っており「マラカスに使える!」と思って買ったが、よく考えると筆者に音楽の趣味はなかった

奥深すぎて一時は出られないかと思われた編集迷宮

 その後、タイ在住の在野の植物研究者で木の実にも詳しい山東智紀さんにも参加してもらい、他に類をみない世界の木の実図鑑の編集がスタートした。豊富な木の実標本、木の実が大好きで知識・人脈も十分な執筆者陣、心強いデザイナー。順風満帆に思えたが、史上初の世界の木の実図鑑の編集作業はそれほど甘いものではなかった。

 本企画唯一のネックは、写真がないことだった。つまり、全ての標本を撮り下ろさなければならない。しかもその写真は、本文レイアウトとも密接に関わり合っている。そこで、当初は掲載点数を100点までに絞ることを前提にしていたこともあり、山田さんに無理をいって撮影も引き受けてもらった。が、著者に作ってもらった掲載予定リストは、蓋を開ければ300点以上にのぼっていたのである。これはいかんと思って厳選するよう頼んだのだが、木の実を愛する者としてどれもかわいい木の実たち、これを入れてあれを入れないということはありえない。う〜ん、一理ある。しかし商業出版の編集者たるもの、心を鬼にせねばならないときもある。再三の縮小要請の結果、250強(今から思えば全然減ってない!)で進めることになった。

 同時に問題となったのは、本文の構成である。第一部を科別、第二部を繁殖方法別でまとめることは比較的早い段階で決まったのだが、どちらの部にも振り分けにくいものの削りたくない木の実たちが第三部に残った。しかし、他の部との整合性をとるためには、雑多な木の実をでたらめに掲載するのはあまりにも単調。何かしらのグルーピングが必要である。喧々諤々の結果、編集者が半ば強引に著者陣を説得し、「外見の特徴」および「見立て」にもとづいたグループ分けを推進した。本書の第三部が他の二部と比べても段違いにフリーダムなのはそういう事情がある。

 次なる関門は、本書の肝ともいうべき写真撮影である。両著者が持っている標本を山田さんのお宅に送ってもらい、怒涛の撮影が始まった。少しずつ順番に送ってもらえると思い込んでいたら全木の実が一度に山田さん宅に運び込まれてしまった私の調整ミスも重なり、山田さん宅は一時アリエッティもびっくりの木の実ハウスの様相を呈したに違いない。それらの整理だけでも相当大変だったはずだが、山田さんはひとつひとつの木の実が最もユニークに見える構図を探し出し、すべての点に焦点を合わせる「深度合成」という技術を用いた撮影を施し、掲載リストに沿って変化に富んだレイアウトを作ってくださった。そのレイアウト見本は、初めて小林商会の出張販売で木の実を選んだ時と同じワクワクに満ちていて、ひと目で「これは絶対に売れる!」と直感した。著者もレイアウト見本のすばらしさに触発されたのだろう、そこからの原稿執筆は圧倒的なスピードだった。

 ふつう木の実の同定は、それが見つかった周囲の環境や生っている木そのものを見て総合的に判断される。しかし本書は乾燥した木の実の標本だけでそれを特定しなければならなかったため、原稿ができた後も「これ●●と思ってたけどじつはXXだった」「よく見ると未成熟な個体で、図鑑の標本としては避けた方がいい」など修正と撮り直しが相次いだ。さらに、3年にも及ぶ編集の間に新たにおもしろい木の実が見つかり、絞ったはずのリストはまた増えていった。そして最新の分類に基づく基本データの見直し、ラテン名の読み、現地名の確認など、校了直前まで赤字が見つかり肝が冷えるような展開が続いた。何とか見出し語や学名が確定したあとの索引校正は、数日にわったって本当に夢の中でも付け合せをしていた。

 こうして世界各地の著者・写真家の木の実仲間にも助けられながら、世界初の(と、言い切ってしまおう!)木の実図鑑は完成したのである。

タビビトノキ(『世界のふしぎな木の実図鑑』142-143頁)
タビビトノキ(『世界のふしぎな木の実図鑑』142-143頁)

見た目だけじゃない、木の実の魅力

 木の実についても植物についてもほとんど無知だった筆者にとって、木の実の圧倒的なビジュアルのユニークさに加えて、各種の解説やコラムが揃ったときの、知的好奇心の興奮はとても言葉で言い表せられない。この世のものとは信じがたい独創的なフォルムを持つ木の実たちは、それぞれ空を飛んだり、回転したり、水に漂ったり、山火事の熱で弾けたりと、想像もつかないような方法で効率的・効果的に繁殖するために合理的な形と性質を持ち合わせている。著者もまえがきに書いているが、単なる自然淘汰の結果とは思えぬような、絶対神の意志を信じたくなるほどの巧妙さである。この植物進化の妙については第2部末、近年DNAによる分類が可能になるまでの分類学の変遷については第1部末のコラムにまとまっているので、ぜひあわせて読んでいただきたい。

 また、著者がSNSで不定期にアップしている、図鑑には載せきれなかった木の実話や拡散のようすをとらえた動画も必見である。

 

【羽根突きの羽根のような形状をもち、ヘリコプターのように回転しながら落下するショレア・シアメンシス(Shorea siamensis)の拡散のようす(山東智紀・撮影)】

 

 「ヴィジュアルブック」である本書に掲載している木の実は、基本的に見た目や性質がおもしろいものであって、別段“役には立たない”ものである。そこが、たいてい食べられる木の実を紹介している他のハンドブック類とは違うところである。とはいえ、ここまでバラエティ豊かな木の実を知れば、これを人類はどう受容したのか? という疑問が当然湧いてくる。そこで第3部末コラムには、世界各国でどのように木の実が利用されているかを書いてもらった。食用はもちろんのこと、薬として、装飾品や日用品、工芸品の素材として活用される木の実は、地域によっては日常生活に欠かせない存在といえる。特に人形や彫刻などの木の実工芸品は当地の特色が色濃く表れていて非常に味わい深い。木の実を通して、植物ひいては自然と人間とのかかわりを見つめ直すこともできるだろう。

 ちなみに、ドングリから虫が出ないようにする方法をはじめとする、木の実の保管方法も巻末コラムに書いてもらった。当たり前にゴハンを食べているだけの虫たちには本当に申し訳ないのだが、これで安心して甥っ子たちとトトロごっこができるというものである。

(創元社編集局 小野紗也香)

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