もうひとつの驚異の人類史 『大図鑑 コードの秘密』訳者の浜口稔さんに聞く
記事:明石書店
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――まずは、本書をまだご覧になっていない方のために、浜口先生がこの図鑑の原書に着目された理由を簡単に教えていただけますか?
少し話が遠回りしますが、以前大学の図書館で管理・運営にかかわる役職に就いたことがあります。それ以来、図書や図書館員のサービスや検索システムだけでなく、書物や書棚の配置や館内環境が気になるようになりました。そこから博物館にも気持ちが向いていって、日本各地の施設巡りをするようになり、その啓発的仕掛けとしての効果を考えるようになると、図鑑や図録、百科事典などにも興味が向かいました。本を繰るように館内をめぐって展示物を追っていくと、来館者を各ブースに導いていくフロアプラニングの案内表示は、百科事典や図鑑の目次と変わらないことがわかります。そんななか、書店やネットでいろいろ漁っているときに見つけたのが、この図鑑でした。
風変わりな博物館に迷い込んだようでしたね。記号やコードや情報をテーマにしていることにも感嘆しながら頁を繰っていくと、いつのまにか人類文化史的な展望が広がっていることに感動を覚えました。それをデザイン性豊かに、図版、フォントを贅沢にちりばめながら、読者を啓発していく編集上の仕掛けが見えてくると、来館者を包みながら五感身体を刺激し誘導していく啓発装置としての博物館との類似性にも注目するようになり、その観点で言語とメディアの研究を広げていけないか考えていたのです。
そんなとき、今は亡き小林洋幸さん(明石書店編集者)から図鑑の翻訳をしたいが推薦できる図書はないかと問われたわけですが、本書を推薦しないわけにはいかないですよね。グッドタイミングでした。ご本人がもういらっしゃらないのは残念ですが。
――記号や図絵などに始まって、抽象的な概念である法、習慣、規範までを含み、さらには化学式やコンピュータ言語まで広範な領域を扱っています。本書には含まれていないけれど、この項目も入っていたらおもしろいと思うものはありましたか?
コードのような抽象概念を題材にこれだけのメニューをこんなに上手に盛り付けられるなんて、ほんとうに感心します。よくもこれだけとは思いながら、もちろんこれで十分であるはずはないです。本格的な暗号研究が興隆していた16~17世紀に汎ヨーロッパ規模で追及されていた普遍言語についても取り上げてほしかったですね。普遍言語はロンドン王立協会草創期の協会あげてのプロジェクトでしたし、その中心にいたジョン・ウィルキンズは、フランシス・ベイコンの影響下、暗号史についての論考を刊行し、人工的普遍言語の金字塔と言われる『事物記号と哲学言語へ向けての試論』を著していますから。この図鑑の記事にしても遜色ないので、少しは言及してほしかったです。
舞踊や演技、舞台演出もいいですよね。これらにもコードが歴然とありますから。歌舞伎や能や映画。世阿弥、坂東玉三郎、黒澤明、ニジンスキー、チャップリン、マイケル・ジャクソンなど盛り込めば、さらに知識欲をそそる御馳走になっただろうなと思います。読者もそれぞれで頁を繰りながら連想を広げていけばいいのではないでしょうか。フォントや図版の選定、記事の置き方などのページレイアウトが分かりやすい作りになっているし、自分なりに項目やデザインを追加するように想像するのは、なんか楽しくありませんか。
――この図鑑は、日常が驚異に満ち溢れていることに改めて気づかせる力があると思います。私は、魔術、錬金術などが合理的とされる科学の起源にあること、その連続性を把握でき、新鮮な視野を与えられました。
森羅万象も人工世界も、一冊の書物の中で一望すると、神秘と合理の境界は、現在の文明の都合による恣意的境界であることを感じさせられます。魔術や錬金術にしても、かつては人心を誘導して現実的な力に変え、王国を動かしていたわけですし、それを無闇に否定したのでは、私たちの時代よりもはるかに長大な歴史をもつ古代文明を無意味であったと切って捨てるようなものです。現代の私たちの尺度では推し量れない別の現実が確固として成立しうることにも柔軟に向き合いたいものです。文化・文明を支える記号とコードや情報という概念は、科学と非科学で区別されるものではありません。人間を駆動して文化を創出する実質的な力に、科学も魔術もありません。
――領域横断的に、あらゆる書物の愛好家におもしろがってもらえる図鑑だと思いますが、記号学や言語学など、アカデミックな領域においてはどのような意義を本書は持ちうるでしょうか?
間口の広さはこの図鑑の魅力のひとつですね。人間の知性と感性に触れるあらゆる事柄についてコードをもとに考えることができることが示唆されています。人間の生来の好奇心が事物世界とある種の認知関係を培っていくときに何がどう用いられているかを考える手掛かりも与えているのではないでしょうか。
アカデミックな領域における意義としては、私が専攻した言語学は近代以降自然科学の方法論を取り込んで驚くほど豊かな成果を蓄積してきましたが、その方法論によって捨象されてきた言語現象は、本図鑑でも扱われている項目も含めて数多くあります。その反動もあって、言語の博物誌的側面や社会流通のありさまを人間主体の認識との関連で推し進める研究も盛んになっていますので、本図鑑もこれを含めた新たな展望を得るためのヒントを与えてくれるかもしれません。
――「訳者あとがき」で浜口先生はこの図鑑のなかで「楽譜は…格別な意味を帯びてきた」と記されています。時間の流れのなかで1回性のものとして演奏される音楽は、コード化された情報である「楽譜」とは異なるものであり、「コードで代替できないもの」の存在についての重要な指摘だと感じました。飛躍しますが、音楽には、生命体のもつ豊かさと重なる部分があると考えられますか?
おっしゃる通りですね。普遍的な遺伝コードがあり、4つの塩基の組み合わせで生起する生物個体は、1回性のヴァリエーションとして無数に生まれます。私たちが直接認知しているのは、塩基配列そのものではなく、遠藤さんや私、犬のポチ、猫のタマと、好物の行者ニンニク、お気に入りのボールペンとか、五感身体で感じ取られる具体物に他なりません。犬や猫や人間も抽象概念なのであって、直接の実感はありません。骨肉の存在が周辺に夥しくあり、それをリアルに感じ取られることが日常的な安心なのであり、世界の豊かさを実感させられる要因ともなるのであって、遺伝子というわけではありませんね。
音楽も同じではないですか。楽譜はある楽曲を記号や図形で図案化したものですが、それに演奏家のスキルと意図や思想が関与すると、いくつものバリエーションを生みます。音符や記号などの精密な表記上の規約が長い年月をかけて蓄積されてきた歴史とあわせて、それとは別に夥しく豊かなパフォーマンスが可能であることに深い感慨を抱かされます。コードがなかったら交響曲のような精密で巨大な音楽作品は生まれなかったでしょう。しかし作品鑑賞をしながら五線紙の音符や音楽記号をなぞることは、プロの音楽家以外はやらないでしょう。
言語もそうですよ。言語学者のノーム・チョムスキーは、全世界の幾千もある言語の普遍的コードの存在を唱えましたが、個人がそのコードを直接用いるとは言っていません。人間言語が遺伝的資質としてのコード(生物学的言語機能)に基づくとは言いながら、人間が日々享受しているコミュニケーションの相には敬意を払っています。日夜新造されるよもやま話、話し合いや言い争い、演説や講義、文字を介した詩や小説などの、私たちが直に享受している言語行動全般の豊かさは、人間の生命活動の象徴的現われとしてかけがえのないものでしょう。でも、それが実感できるのは、文法などのコードが常に背後に控えているからに他なりません。
――まだまだいくらでも続けられそうですが、この辺で。ありがとうございました。
後記
「コード」という広範な概念でまとめあげられているため、ひとりひとりの興味・関心に即してさまざまな楽しみ方ができる図鑑だと思います。米文学の旗手リチャード・パワーズやSF小説『三体』、直近ではカズオ・イシグロの『クララとお日さま』など、文学作品世界で描かれるコードとの関連を連想する方もいらっしゃるのではないでしょうか。それぞれの入り口から本書に触れ、領域を横断したコードのつらなりに導かれ、展開される豊穣な世界を堪能していただけたら嬉しく思います。
現代の視点からすると怪しいものと映る錬金術や魔術が、合理的とされる科学の起源であること、素朴な原理の延長線上に現代のハイテク機器が登場していること――、日々の暮らしが驚異に満ち溢れていることに気づかされ、周囲を見渡す新鮮な視点をもたらしてくれるかもしれません。
コードは高度化・複雑化の一途を辿り、現実と仮想現実の境界をも溶融させているかのようです。「訳者あとがき」で浜口先生は、「〔コードは〕代替的現実であり、つまり現物ではない」と指摘しました。「コードで代替できないもの」に対する哲学的考察を促す力も本書は秘めているように感じます。
本書で「本」を扱ったページには、「〔本は〕距離と時間の壁を超える最も持続力のある遠距離コミュニケーション装置である」という記載があります。ページを繰るだけでも楽しいこの書物が、長い年月にわたって多くの読者の目に触れ続けることを願っています。
聴き手:遠藤隆郎(明石書店編集部)