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泡のように離合集散、「密」だった平成の現代美術 椹木野衣さんに聞く『平成美術』

記事:じんぶん堂企画室

「平成美術」についてインタビューにこたえる椹木野衣さん
「平成美術」についてインタビューにこたえる椹木野衣さん

災害、集合的活動に焦点を当てると、見えるものがあるのでは

――展覧会「平成美術」のコンセプトを教えてください。

 美術は西洋美術史が基盤なので、1980年代、1990年代というように、西暦を10年単位で区切って推移を見ることが慣習化しています。平成という別の尺度を当てると、別の見え方がするのではないかと考えたのがおおもとにあります。

 日本列島は四つのプレートが接する上にあり、大きな火山噴火や地震を繰り返し、台風が頻繁に襲い、不安定な気候で飢饉も起きる。そうした災害を昔から繰り返してきました。戦後は日本が災害列島であることが見えにくかったけれど、それがはっきりと分かるようになったのが平成の30年間でした。そこで平成美術を振り返る時、災害を中心に考えてみました。

展覧会「平成美術」で。手前はテレビモニターを連ねた「テクノクラート」の展示。奥の階段は「突然、目の前がひらけて」の展示(2021年2月、朝日新聞撮影)
展覧会「平成美術」で。手前はテレビモニターを連ねた「テクノクラート」の展示。奥の階段は「突然、目の前がひらけて」の展示(2021年2月、朝日新聞撮影)

 キーワードを二つあげました。ひとつは「うたかた」というはかなく消える基盤のないもの。もう一つは「瓦礫(デブリ)」。震災によって生まれる瓦礫であり、福島第一原発で発生した核燃料デブリでもありますが、瓦礫のような集積の中から、どんな美術活動が行われたかを考えようとしました。通常の展覧会であれば、才能豊かで活躍した個人の代表作を並べることが多いと思いますが、災害の観点をとることで、災害に翻弄されて個が保てず、バブルのように離合集散を重ね、デブリのように集積される集合的アーティストの活動に焦点を当てました。

 工房や匿名の作家による集合的活動はずっと前からあったものですが、災害を中心にして集合性を見直すと、平成の美術が見えてくるのではないかという問いかけにも近いものです。

『平成美術』(帯やカバーがついた状態)
『平成美術』(帯やカバーがついた状態)

記録であると同時に、読み物にも

――今回の書籍『平成美術』は、展覧会の図録であると同時に、単行本として書店販売もされています。その狙いは?

 最近の展覧会は書店売りを前提に図録を発行することが多いので、それ自体は珍しくはありません。違うところは、展覧会の記録であると同時に、読み物、読書の対象としての本の要素を入れられないかと考えたことです。読み物として読んでもらい、同時に記録としても残ってほしい、それを両立させたかった。そこでアートディレクターの松本弦人さんにお願いして、二つの要素を成り立たせる判型にしてもらいました。

――写真を切り取れるカバーがとてもユニークですね。

 買った方が自分でカバーから写真を一枚一枚切り取って該当箇所に貼り込んでもらい完成させる仕掛けです。図録は買って帰るとそのまま家で眠ってしまうことが多いと思いますが、もう一歩踏み込んだ鑑賞、参加、追体験をしてほしいと思い、こういう形にしました。

 また、特に現代美術の場合は単体の絵画や彫刻と違い、インスタレーションといって、どう展示するかが重要で、展示風景が記録されていない図録は不完全になってしまいます。ところが、作品の設置が終わってから写真を撮影すると、発行が会期の中盤以降になってしまう。松本さんに相談すると、「カバーにすれば、別刷りにして早められる」と。そこで、カバーが展示風景の記録を兼ねる、こういう形になりました。

カバー(左)を外した状態の『平成美術』。カバーに印刷された展示風景の写真は、ミシン目に沿って切り取り本体に貼る仕掛け
カバー(左)を外した状態の『平成美術』。カバーに印刷された展示風景の写真は、ミシン目に沿って切り取り本体に貼る仕掛け

カバーから切り離した写真を表紙に貼り込んだ『平成美術』
カバーから切り離した写真を表紙に貼り込んだ『平成美術』

個人の記憶の中で作品を見てほしい

――年表が目を引きますが、どういう意図があってのことでしょうか?

 展覧会では14組の作品と1組の資料を展示していますが、集合的活動なので、作家は少なくても2人、多い場合は何十人、何百人、何千人といる。平成の美術は非常に「密」だったんですね。これはコロナ禍になって気が付いたんですが、格安航空券が普及するなど、平成は密な集合性を可能にする社会的背景が整備された時代だったのではないか。

 密な時代の密なアートは、密に展示しないと伝わらない。14組の集合的活動の作品を並べると、大変密になり、通常の美術館での展示とはかけ離れたものになる。それが「うたかた」であり、「瓦礫(デブリ)」であって、全体で一つの集合体のように見せるという狙いがありました。

『平成美術』のカラフルな年表
『平成美術』のカラフルな年表

 ただし、そうすると、時系列で並んでいないし、どこからどこまでが誰の作品なのか判然としない。それだけでは平成美術の特性が見えてこないので、時系列的にものごとを整理した年表を作品群に負けないくらいの強さで対峙させる必要がありました。それで16メートルある年表「平成の壁」を立てたんです。まず個人的体験が浮かび上がるような年表を見て、その上で作品群を見てもらうと、個々の記憶の中でその人なりの見え方がするのではないかと考えました。

 図録の方は、年表を見やすいように項目ごとに色分けし、図版も豊富に入れて、展覧会を見ていない人も平成という時代を振り返ることができるように、本の中心に置きました。

より作家や作品が解体されていった時代

――本書では三つの年代に分けて平成の美術を分析されています。それぞれ特徴は何でしょう?

 1989年から2001年が第1期で、集合的活動が活性化した時代です。ポストモダンと言われる現代思想の状況が美術界にも及んで、コラボやユニットなどが盛んになった。バブル経済の余韻が1995年辺りまで続いていて、荒唐無稽、現実離れしたものが多かった。

 最たるものが「DIVINA COMMEDIA」。ダンテの「神曲」をモチーフに、巨大なプールに食用ゼリーを入れて、その中に防塵服を着た人が体を浮かべ、強烈なフラッシュと音を浴びるという作品です。相当なお金がかかる内容ですが、彼らは自分で資金を集めて実現しました。

《DIVINA COMMEDIA》 神戸ジーベックホール、1991年 Photo: Fukunaga Kazuo ©TOWATA+MATSUMOTO
《DIVINA COMMEDIA》 神戸ジーベックホール、1991年 Photo: Fukunaga Kazuo ©TOWATA+MATSUMOTO

 こうした「うたかた」、幻影のようなプロジェクトの傾向は、1995年を境に沈静化しました。地下鉄サリン事件が大きく影響し、集合的活動で匿名的、ゲリラ的な謎めいたプロジェクトに対して強い圧がかかり、沈静化したんですね。

 第2期は2001年から2011年。その直前からアートマーケットが世界的に活性化し、作品を商品として扱う傾向が強まっていました。村上隆さんは国際的アートマーケットの中で成功した作家ですが、その経験を活かし、世界にあるアートフェアとは違う形で、日本から発信できるオリジナルなアートフェア「GEISAI」を立ち上げました。美大生による芸祭(学園祭)と、コミケのようなホビーフェアをかけ合わせたものです。

 これに多くのアーティストが触発されました。それ以降に出てくるのが「Chim↑Pom」「contact Gonzo」「DOMMUNE」など。世界性から最も遠いともいえる東北地方から「東北画は可能か?」も生まれました。

「國府理 水中エンジン redux」(後期展)の展示風景 アートスペース虹(京都)、2017年 Photo: Tomas Svab
「國府理 水中エンジン redux」(後期展)の展示風景 アートスペース虹(京都)、2017年 Photo: Tomas Svab

 第3期は東日本大震災があった2011年から2019年。震災の影響が非常に大きく、美術の存在理由とか、何のための世界性なのかというような根源的な問いを突き詰めていく段階になります。この時期の集合的活動は従来の作品フォームにこだわらず、通常は作品とか作家とか呼ばれないような形態にまで抵抗なく活動を広げていく。

 例えば、原発事故に触発され、水中にエンジンを沈めて稼働させる「水中エンジン」の作者である國府理さんは不慮の事故で亡くなったのですが、この志半ばで中断した「水中エンジン」を再制作するプロジェクトが生まれた。また、AIの登場により従来の作品観を根本的に見直す必要がないかと問いかける研究会「AI美芸研」も現れました。作家や作品が遠心力をより増して解体されていった時代です。

『平成美術』を開き、時代を振り返る椹木野衣さん
『平成美術』を開き、時代を振り返る椹木野衣さん

元には戻らず、令和には別の新しい美術が生まれる可能性

――現在のコロナ禍は現代美術にも影響していますか?

 交流や集合を力の根源にすえた平成的な美術活動は困難になっています。国内の芸術祭も軒並み中止や延期になりました。人の移動、動員を基盤にすえたアートの活動は観光と対だったので、財政的にも難しく、大きな打撃を受けています。その場所特有の空気感とか季節の移ろいとか地元の言葉とか、平成美術の特徴として体感が重要だったので、大きな壁に突き当たっていると思います。

――コロナ禍が終息した後の現代美術はどんなものになるでしょうか?

 はっきりしたことは言えませんが、2月にも福島沖で大きな地震がありました。この時、みなが驚いたのは、東日本大震災の余震だったと発表されたことです。平成の地震の余震が令和になっても続いているんですね。年表を作る中で気付いたのですが、災害に限らず、平成に起きたことはエピデミック(地域的な感染症の流行)の連鎖なんですね。SARS、MERS、新型インフルエンザもありました。新型コロナ感染症もワクチンで一定の終息をみたとしても、何年かのうちに次のエピデミック、パンデミックの時代が来る可能性はある。

 そう考えると、元に戻ることはないんじゃないかと思います。新型コロナが終息しても、人が密になることへの恐れ、抵抗感が残る。それが人々のコミュニケーションを変える。

 逆にそれらを糧にして生まれるアートがあるとすれば、それが令和のアートだと思います。例えば、マスクをせずに会話できないということが、生まれた時から当たり前の子どもたちが育っていけば、そこから別のものが生まれるかも知れません。それ以前の密な時代を知っている人たちにとっては、喪失感の方が大きく残り続けるのではないかと思います。

展覧会「平成美術」を企画監修し、書籍『平成美術』を編集した椹木野衣さん
展覧会「平成美術」を企画監修し、書籍『平成美術』を編集した椹木野衣さん

地質的な特性が影響している

――過去の研究について教えていただけますか。

 評論家として活動を始めたのが平成になる直前くらいからです。最初の評論集が『シミュレーショニズム』(ちくま学芸文庫)です。当時ニューヨークで盛んだったポストモダンなアートの動向を紹介しつつ、日本でシミュレーショニズムに当たるようなアートがないか新たに解釈するという内容です。

 簡単にいうと、美術史は一定の蓄積を経て営みが終わり、新しさは存在しない。これからは歴史の中に眠っている膨大なアートの営み、記録をいろいろな形で編集し、新しい命を持たせるのが主流になっていくのではないか、という考え方です。創作、制作よりも、編集やリメイク、リモデルといった再制作に重点が移り、記号的操作が重要になる。音楽のDJのようなことがアートの世界にも起きている。アーカイブされた記録は世界共通なので地域性は意味を失い、あらゆる場所で操作可能になるというものです。

 それが大きな転回を迫られたのが、1995年の阪神淡路大震災です。記号的操作は地域性を前提にしていないが、操作をする主体はどこかに住んでいて、その場所は地質学的特徴を持つので、地震が多発する場所とほとんどない場所での操作は、まったく同質とは考えられない。そこで戦後の日本はどういう場所だったかを考えるようになりました。それが1998年に出した『日本・現代・美術』(新潮社)です。歴史が蓄積して発展していかないような繰り返しと、起きたことがすぐ忘却されていく「悪い場所」の美術批評として書きました。

 さらに『震美術論』(美術出版社)ですが、これは東日本大震災をきっかけに書いた本です。地震の問題をより前面に出して、日本列島の地質に大きな要因があり、破壊と忘却が繰り返され歴史の発展が妨げられる島国で生まれた表現は、はかないものになっていく。それが震美術論の考え方です。

(じんぶん堂企画室 山田裕紀)

*展覧会「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ) 1989―2019」は4月11日まで。詳しくはこちら

うたかたのように消えるブックカバー 『平成美術』(世界思想社)

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