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死に逝く人へ音楽を介した「やわらかなスピリチュアルケア」 ミュージック・サナトロジーの挑戦

記事:春秋社

ミュージック・サナトロジーの可能性

 もともと本書は、「スピリチュアルケア」という究極の人間的関わりがどのようなものかを究めようとするものである。そのために、エンドオブライフ・ケアの領域における方法論のひつとして、ミュージック・サナトロジーの手法(ベッドサイドでハープと歌声を使い、末期患者とその家族の、身体的・感情的・スピリチュアルなニーズに対し、いわゆる「プリスクリプティヴ・ミュージック」で応じる実践)に着目する。この発想は、斯界の開発者テレーズ・シュローダー=シーカー女史によって提唱され、ケアの臨床現場で展開されてきた方法にほかならない。

 ミュージック・サナトロジーの特質とはなにか。著者は、自ら応用実践した「ハープ訪問」を分析して、音・音楽のスピリチュアルな機能と意味を明らかにしてゆく。翻って、音楽が死生と関わるありかたのルーツが11世紀クリュニー修道院の看取りの慣わし・儀式の中にあることを突き止める。きめ細かな歴史的視点を導入することによって、ケアの本来性とスピリチュアリティのありようが浮き彫りにされていく。

 かくて、クリュニー修道院で試みられたケアの精神は、現代のミュージック・サナトロジーへの架け橋として、こう位置づけられる。

➀人間を身体と魂から成る統合的存在と捉える。②死に逝くとき・死に逝くことから距離を置くのではなく、人生の重要な一部分として捉え、死に逝くその「ひと」、そして死に逝くに伴う「痛み」と「共にある」。③傍に「居る」という存在の仕方を鍛錬し、ケアのやり方とする。④死に逝くその人と全人格的に関わり、また超越的存在とのつながりをとりなすために、「つなぐもの」としてという意図で、ひびき・音楽を応答的に用いる。⑤「死をどう捉え、受け止めていくか」についての信念・信条は「死は終わりではなくはじまりである、永遠のいのちの世界に入ることである」。(165~166頁)

死に逝く人のための音楽

 現代の私たちがクリュニーから学ぶべき最も根幹的な五つの視点が示唆するのは、まさしく「肉体と魂の二重のケア」が死に逝く人へのケアには必須であること、そして、死を新たな生・新たないのちの局面への転換点として捉えることにある、とされる。ケアの本来の姿、すなわち内面的にも世界全体的にも人間の調和状態を目指すことへの立ち返りにほかならない。

 著者は長年、癒しの概念と実践方法(儀式・祈り・黙想)について学び、「音楽経験とスピリチュアルケア」を主なテーマとして研鑽を積んできた。そして、死に逝く人のケアはどうあるべきか。ここに音楽経験を通したスピリチュアルケアのありようが見えてくる。著者は、シュローダー=シーカーの言葉を援用しながら次のように考える。

(彼女は)生きることそのものから解き放たれようとしているエンドオブライフ期の人々を助ける音楽ないし音楽経験を「死に逝く人のための音楽 music for the dying」として、「生きる人のための音楽 music for the living」から区別している。「生きる人のための音楽」とは、私たちを引き込み、参加させ、生きることに向かわせるような刺激を与えるもので、人生におけるあらゆる感情、すなわち苦しみから栄光の全範囲の経験の意味を反映し、表現する音楽である。一方「死に逝く人のための音楽」とは、人々が人間性や慈悲の深みを了知し、それを十分に味わい、さらにそれから解き放たれるのを助けることができる、としている。(250頁)

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