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平安・小倉百人一首の雅な世界が現代によみがえる!? 『もしも紫式部が大企業のOLだったなら』

記事:創元社

『もしも紫式部が大企業のOLだったなら』
『もしも紫式部が大企業のOLだったなら』

古典文学はつまらなくて退屈?

 古文や和歌は中学・高校時代の私には難しく、同じ日本語と思えないほど理解できない遠い存在でした。「未然連用終止連体…」なんてよくわからないし、理解しようとする努力も怠っていました。難解で硬いイメージをもっていた分、古文の授業はとても退屈で眠たくて、船をこぐこともしばしば……。当時の先生には本当に申し訳なかったと今では思いますが、それほど古典文学のおもしろさがわからない学生だったのです。入試でもできるだけ古文を使わないようにしてなんとか大学に進学し、古文とは縁のない日々を送っていましたが、『もしも紫式部が大企業のOLだったなら』(以下『もしむら』)を読んで、高校時代の忘れ物を回収していくかのごとく、その魅力に気づいてしまったのです。(あの時読んでいたら……と心底思います)。そんな『もしむら』の凄さとは一体どんなものなのか、古文に強烈なアレルギーを持っていた私なりにご紹介します。

現代の大企業で働くOL、紫式部
現代の大企業で働くOL、紫式部

平安時代がグッと身近に。今も昔も同じな私たち

 小倉百人一首は、奈良時代から鎌倉初期までの有名歌人100人の和歌を、藤原定家が選んで作った和歌集です。それらの和歌が詠まれた時代の宮廷の様子を、現代の大企業に置き換えた『もしむら』では、そこで働くキャリアウーマン紫式部、要領がよくちゃっかりした性格の赤染衛門、紫式部の同僚でセクシーな美魔女和泉式部などなど……個性豊かなキャラクターたちの日常が生き生きと描かれています。

 思いを伝える手段として和歌を贈りあっていた当時ですが、送る相手を間違えて「やってもうた!!!」ということもあったようです。母親宛てのメッセージを気づかず先輩に送ってしまった、なんてウッカリは今でもあるあるですよね。静かに和歌をしたため風流に暮らすイメージだった紫式部はじめ、当時の人々も同じように冷や汗をかいていたと思うと、友達のように共感してしまいます。著者の井上ミノルさんも当時の女性たちに思いをはせ、次のように綴っています。

『紫式部日記』、『枕草子』『蜻蛉日記』に見る千年前の女性たちは、遠い昔を生きた女たちというより、学友や同僚、ママ友にいそうな誰かさんばかりです。そして百人一首の歌には、彼女たちやその周りの男たちのメールを覗き見しているような面白さを感じるのです。(「はじめに」より)
キャリアウーマンとなった自分と専業主婦時代の友達との間の溝を思って悶々と悩む姿も『紫式部日記』には綴られており、千年前も今も、アラサー女性の抱く悩みや葛藤は同じなんだなと共感せずにはいられません。(本文17頁より)

 小倉百人一首に入選している100首の中の和歌のうち、約半数を恋の歌が占めており、そんな歌の数々が『もしむら』ではOLたちが恋人に送るメールや日常の会話として登場します。

和歌のやりとり風にメールを送り合う、清少納言と藤原行成
和歌のやりとり風にメールを送り合う、清少納言と藤原行成

 服装や生活様式こそ違えど、平安時代の女性も現代の私たちも、同じように悩んだり怒ったり笑ったりしていると感じ、いつの間にか「古典は難しくつまらない」という先入観も払拭されているので、古典であることを意識せず、抵抗なく百人一首の世界を楽しむことができます。

 中学・高校時代を思い返して、なぜ古典に興味が持てなかったのかと考えると、現代の私たちが親しむ小説や映画の物語とは遠くかけ離れた、全くの別物という認識があったからだと思います。しかし、『もしむら』を読んでいると、千年の年月なんて感じず、いつも小説を読むような感覚で楽しめるものだったことがわかりました。高校生の私がそれに気づいていたら、「未然連用終止連体…」なんていう複雑なアレももう少し頑張れていたのかもしれません。その頃には戻ることはできませんが、それでもあの時気づけなかった古典文学のおもしろさを知れて良かったと思います。そして、『もしむら』のように誰かに何かの面白さを伝え、その人の世界や興味を広げるような本は、素敵だなあと思うのです。

 そして現在、続編「大鏡編」を製作中。相変わらずパワフルに生き生きと働く紫式部たちに加えて、さらにユニークな面々が登場します。ぜひお楽しみに!

(創元社編集局 山下萌)

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