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日常だって現場(フィールド)なのだ。ディープで楽しい、言語学の隠れ入門書

記事:創元社

『フィールド言語学者、巣ごもる。』創元社
『フィールド言語学者、巣ごもる。』創元社

 日常には言語が溢れている。言語が溢れていないところは、人間のいないところだけだ。

 言語学者は言語を食い物にしている。言葉を選ばなければ。だがしかし、その事実を改めて大っぴらにしてしまうと、「危機言語が消滅したら、言語多様性が失われたら、マズいよね!」などと言語学者が幾ら声高に、意識高そうに訴えたところで、「我々の餌がなくなりそうだから、皆も気を付けて!」に聞こえてしまって白々しく響きそうだから、言葉遣いには気を配らなければならない。開けっ広げにそんな言いかたをするのは止そう。ちなみにここでの「我々」は聞き手(あなた)を包括していない。聞き手(あなた)を除外した集合である。

 もとい、言語学者は言葉に意識を向けがちである。憖っか言語について考える思考基盤の知識を身に纏ってしまっているため、意図的にその意欲を封じ込めない限り、不図した瞬間、耳目に触れた言葉を、言語学的に矯めつ眇めつ愛で始めてしまったりするのが、言語学者の多数派である。僕はそう信じている。怠惰な生活態度に定評のありそうな僕ですらそうなんだもの、他の研究者たちはもっと熱心に物思いに耽っているに違いあるまい。

 言語学メガネを着用すると、日常の暮らしの中に、隠された一面が伏流のように存在しているのが、さもAR(拡張現実)かの如くに見えてくるのだ。

 本書は、フィールド言語学者である僕が、高尚さのかけらもなしに、そんなふうに言語学目線で漫ろに思った日々のアレコレを詰め込んだ一冊となっている。フィールド研究者を謳っていながら、世界規模の新型コロナウイルス感染症蔓延でフィールドに出られなくなり、テレワークも推奨されて、二〇二〇年の春以降は長らく「巣ごもり」をすることとなった。そしてそんな妙な事態になったものだから、時間の余裕ができるかもなどと勘違いして、筆のまにまに書き出したのである。

「日本語はこんなにも特殊だった」
「日本語はこんなにも特殊だった」

 言語学は誤解されることの多い学問である。

 小中高では学ぶ機会が与えられないし、大学に入ったからと言って全員が必須教養として学んだりはしない。けれども名前は素直に「言語についての学」なので、日々言語活動をしていて、言語に関して思うところのある市井の人々は、自分の持つ言語に対する様々な悩みや願いや一家言を、この学問こそが解決してくれるに相違あるまいと信じてしまいがちなのではないだろうか。
 学習している言語が巧く話せるようにならないんだけど、何とかして欲しい。
 コンビニや飲食店の店員が間違った言葉遣いをするのが許せない。
 日本語とタミル語とは元々同じだったのだ。(断言)
 「ひょんなことから」の「ひょん」の語源を、言語学者は教えてくれるだろう。
 日本語は世界一難しいんですってね。
 言語学者は何ヶ国語もべらべら喋る人種。
 この漢字の由来を知りたいんだけど。
 詩作をしているので、語彙力を伸ばす方法を知りたい。
 然々云々エトセトラエトセトラなどなど。

 言語学は、言語に関する現象なら何でも扱い得る。暴食にして雑食、悪食だって厭わないかも知れない。

 だが、それは言語学を総覧すればの話であって、個々の言語学者が八面六臂に言語周りの森羅万象をスーパーコンピュータ宛らに分析して結論付ける魔法使いだという意味ではない。広大な言語学畑のどこでどんな農作物が育っているかを、総攬できる者なんてのも存在しない。自分の専門界隈と、関心の届いた範囲しか知らないのは、言語学に限らず、どんな学術分野でも、非学術分野でも同じ話だ。言語学者だけが際立って高い知能を持っている生物だなんてことはないのだから、当然だろう。

 だけど、教科書や入門書といったものは、言っては何だが、堅苦しい。「言語学入門!」みたいな看板を掲げられてしまうと、今風に言う敷居が高い感じがして、尻込みしてしまうのではないか。一歩踏み込んだが最後、言語学徒にならなければならない圧力が待ち構えているかも知れない恐ろしさが、「入門書」にはある。怪しげな洋館に肝試しに入ったら、途端に入口の扉が固く閉ざされて帰れなくなってしまうかも、といった、ありきたりホラー展開を予期して忌避してしまうのも無理はない。

 そこで、だ。

 このようにことあらば脱線し、あれよあれよと無駄話をする、微熱に浮かされたようにだらっとした語り口のエッセイで、こっそり言語学についての話をする書籍があっても良いのではないかと思う。心への負担が少ない、魘されない「隠れ入門書」である。読者諸氏の心的負担軽減のための便宜として、各節を(客観性の乏しい)小難しさ度に準じて並べてある。「読みながら慣れていってね」という構成だ。

 いや、片鱗を見せるばかりで、体系的には教えてくれないから、門前までしか案内しないでいてくれているとも言える。おお、自画自讃だが、何て親切なんだろう。

「ざっくり言語学マップ」
「ざっくり言語学マップ」

 そんな本書を読んでいただくにあたって、少しばかり、申し開きをしておきたい。

 言語の話をする時に、例を提示しようと思うと、。どうしても多くを列記したくなる。これは衒学的な振る舞いなのではなく、可能な限りあらゆる言語を平等に扱いたいという願望の表れなのだ。そんな、ちょっと調べればすぐに見付かるような借り物の知識を光らかして愉悦に浸れるほど、人間性を手放してはいない。

 言語学では全ての自然言語を平等に扱う。それを実際に例示などの場面で適えようとすると大変なことになってしまうので、紙幅の制限を念頭に、自制心もフル稼働させて、だけど言語のグループとかを考慮しつつ、できるだけ色々な文字表記の言語なんかも混ぜ込んで、多様さを知らしめたいんだぞという念を込めつつ、羅列しているのである。許して欲しい。とは言え、馴染み深い言語を例示したほうが理解が早そうな箇所では、理想より平易さを優先して、日本語や英語などといった、読者もそこそこ知っていそうな言語を挙げていたりもする。こちらの偏りも許されたい。

 本書ではあちらこちらに、言語の音声を表記するための記号が、特段の注釈もなく用いられている。曲がりなりにも研究者なので、可及的精確さを追求したい欲が発露してしまった。

 だが、読者の皆様がその記号が実際にどういう発音であるかを考える必要性はない。凡そ、同じ記号なら同じ音を示している。それだけ理解していただければ、それで構わない。IPA(国際音声字母)を用いている部分に関しては、気になるかたは調べてみていただければ答え合わせができる。但し、IPA以外の記号を用いている箇所もあるので、漫然とフィーリングで読み進めていただければと思う。別に、読了後にテストを実施したりもしないので、安心して欲しい。

 できるだけ、肩の力を抜いてページを捲っていただけたら幸いである。

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