国民に「特別扱い」を強い遂げた五輪は「成功」なのか? 東京2020パラリンピックが始まる前に改めて問う!
記事:作品社
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緊急事態宣言下で、国民の不安をよそに強行開催された東京五輪が閉幕した。「感染対策を施せば五輪は安心・安全に開催できるし、開催されれば盛り上がるだろう。そうすれば大会は成功だ」という腹で開催されたわけだが、その目論見通りに大会が成功したといえるか否かを評価するには、しばしの時間を要するだろう。
ここで指摘しておきたいのは、主催のIOCや組織委員会が、「大会の成功」という自己の利益の追求のために、開催国の国民の不安や不満を思い切りよく無視したという事実である。開催期間中に日本の感染者数が過去最高を更新しても、主催者は「(五輪関係者は)パラレルワールドの中で生活している」(IOC広報部長 マーク・アダムス)と意に介さなかった。首都・東京のど真ん中で開催しておいて、パラレルワールドも何もない。東京だ、そこは。
コロナ禍により、多くの人々が長期にわたり日常生活や事業活動に不便や不自由を強いられる中、IOCや組織委だけが、「大会の成功」に固執した勝手な意思決定や発言を繰り返すさまは、ひと言でいえば「何様なんだ」の連続だった。
もっとも、コロナ禍以前から、彼らは「大会の成功」のためには、開催国の社会秩序を乱し、法規制を歪め、国民の利益や自由を犠牲にすることを厭わない存在だった。
無給ボランティアの動員、国立競技場の建て替えに伴う近隣住民の退去、五輪選手へのゴルフ場利用税の免除、五輪関係者への入国後14日間隔離措置の免除……と、フェアプレー精神が聞いて呆れる、五輪に対するアンフェアな「特別扱い」は枚挙に暇がない。
その中でも、筆者が研究対象としてきたのは、スポンサーへの特別扱いの問題である。五輪事業の主要財源のひとつに、協賛企業からのスポンサー料がある。IOCや組織委は、協賛企業から多額のスポンサー料をもらい受けることと引き換えに、彼らが五輪に独占的に関与する特権を与えている。
今大会でも、「競技場にコカ・コーラ社以外のペットボトルを持ち込むならラベルを剥がせと言われた」「五輪関連施設の買い物ではVISAカードしか使えない」といった話が聞かれた。競技場で人の目に触れ、中継に映る飲料水はコカ・コーラだけ。記念品を買いたい人はVISAカードを申し込むしかない。そんな特殊な状況を、お金を下さるスポンサー様のために作っているというわけだ。
その割を食うのは観客だ。「どうして自分で持ち込んだペットボトルのラベルをわざわざ剥がさなきゃならんのか」「今どきVISAカードしか使えない通販サイトは不便すぎる」。シンプルに不満である。IOCらはスポンサーを特別扱いするあまり、観客に不便や不自由を強いているのだ。
しかも、こうもあからさまに観客の便宜よりもスポンサーの利益(ひいてはIOCや組織委自身の利益である)が優先されていることを突きつけられれば、その時点で興醒めである。これを「大人の事情なんだから我慢すべきだ」などと諦観するなら、その思考はすでにIOCに飼いならされている。
だが、このくらいなら、まだかわいいものだ。
IOCらは、スポンサーに五輪の商業利用を独占させたいがあまり、スポンサー以外の者が五輪に言及することを「アンブッシュマーケティング」(便乗商法) と称し、その規制を試みている。
これは要するに、スポンサー以外のあらゆる事業者に、「金メダル獲得記念セール」や「五輪で活躍する日本選手応援キャンペーン」といった、五輪にかこつけた販促・広報活動を一切させまいとする画策だ。そういうことはスポンサー様の特権だ、というわけだ。開催国の国民に対して、これまたとんでもない不自由と興醒めを強いてくるではないか。
問題は、このようなアンブッシュマーケティングを禁ずる法的根拠など、どこにもないということだ。そんなことは当の組織委も分かっており、以下の発言が残っている。
もちろん法的なところとか、そういうところも非常に重要なところではりますが、やはり一番は大会を成功させるということであって、やはり協力する気持ちというのがすごく大事だと思います。法律に抵触するのか、しないのかという観点よりは、やはりそれが大会の成功につながるのか、つながらないのか。成功しない方向に動くようなことはやめませんかというところに、意識を持っていっていただきたい(東京大会組織委員会ブランド管理部長 池松州一郎)「東京2020組織委員会インタビュー」『パテント』2018年1月号(日本弁理士会)p.25
アンブッシュマーケティング規制に法的根拠があるかどうかよりも、大会を成功させるために止めてもらうことが「一番重要」だとおっしゃるのだ。自分が主催する「大会の成功」のためには、法律を歪めることさえ厭わないという姿勢がよく表れている。守ってくれ、法律をと言うほかない。
IOCや組織委が、合法なアンブッシュマーケティングをいかなる手段を用いて牽制し、これに非スポンサー企業がどのように対峙してきたか。その攻防の歴史は、拙著『オリンピックVS便乗商法――まやかしの知的財産に忖度する社会への警鐘』に譲るが、今大会でも市井の事業者はたくましく、ステイホーム観戦や、選手への祝福に絡めたアンブッシュマーケティングが散見された。
その一方、「大会の成功」のために無理を通し、道理を引っ込め続け、国民の不興を買った東京五輪の主催者たちは、皮肉なことに、散々特別扱いしてきたはずの協賛企業からも敬遠されてしまったようだ。
象徴的なのは、最高位スポンサーのトヨタ自動車が、国内での五輪に関するCMの放映取り止めを表明したことだ。また、公言はせずとも、多くの協賛企業が、明らかに五輪関連の広告出稿や販促キャンペーンを減少させた。
コカ・コーラやアサヒビールのように、比較的多くの五輪広告を維持した協賛企業もいたが、彼らが今大会期間中に採用した「チームコカコーラはアスリートを応援しています」「選手にエールを」(図3)といったキャッチフレーズが表すように、多くの広告が、「大会」ではなく「選手」を応援する趣旨を明確にしている。「オリンピック」の語は前面に出ず、大会延期前にはお決まりだった「○○はTOKYO2020を応援しています」というフレーズは鳴りを潜めた。
つまり、「大会を支持しているわけではなく、選手を応援してるんです」というメッセージなのである。これは、多くの国民感情にも呼応するものと思われ、方針転換は正解だろう。
だが、五輪関連の商標を前面に出さずに選手の活躍を応援するのなら、アンブッシュマーケティングでもほぼ同じことができる。わざわざ巨額のコストをかけて五輪スポンサーになる必要はない。あるいは、選手個人のスポンサーになれば、直接的に選手を支援できるし、遥かに経済合理性がある。
既に米国では、そうした考え方が受け入れられており、フォード、ナイキ、アンダーアーマー、Uber、Netflixといった大企業を含む、多くの事業者が戦略的にアンブッシュマーケティングに取り組んでいる。
この7月末には、米議会の超党派組織が、中国政府によるウイグル民族弾圧を問題視し、2022年北京五輪に協賛する米国企業5社(コカ・コーラ、VISA、インテル、P&G、Airbnb)を糺すという出来事があった。その時も、彼らは「都市や大会を支援しているわけではなく、アスリートを支援している」旨の釈明をしている。
五輪公式スポンサーになることが企業に忌避されるとき、アンブッシュマーケティングこそがスポーツマーケティングの主流に取って代わるだろう。
そして人々が、IOCの「身勝手なルール」に忖度することなく、堂々と好きな清涼飲料を飲み、好きなクレジットカードを使い、誰もが自由に五輪に言及し、選手を応援し、活躍を祝える環境が整えば、それこそが開催国や選手を派遣する国の国民にとっての「大会の成功」である。IOCにとっては「失敗」かもしれないけどね。
(図版出典)
図1 ピザハット公式サイト https://www.pizzahut.jp/topic/event/sports
図2 筆者撮影
図3 アサヒビール Twitter 2021年7月30日
https://twitter.com/asahibeer_jp/status/1420889375584309248