悪魔の契約 ―ドングリをめぐる森の騒乱
記事:朝倉書店
記事:朝倉書店
ブナ、コナラ、クヌギなどのブナ科の樹木は堅果(ドングリ)をつくる。ドングリの体積の大部分は炭水化物を主成分とする子葉(ふたば)が占めている。この炭水化物は、種子が発芽してから自活できるようになるまでの間、芽生えの生存を助けるために、親木が持たせたいわば「お弁当」である。人類や動物が、ドングリの(たいして堅くない)殻を食い破れば、この「お弁当」をたやすく略奪できてしまう。そのため、ドングリは人類にとっても、動物にとっても、重要な食物資源である。
秋に山から里に下りてくるカケスはドングリが好物で食糧不足に備えてドングリを地面に貯蔵することが知られている。より体が小さいヤマガラやシジュウカラもドングリを木や倒木の割れ目に貯蔵する。鳥にとって、冬期の餌不足をしのぐ上でドングリは重要な役割を果たすのだろう、アカネズミやヒメネズミなどの齧歯類もドングリを貯蔵する性質をもつ。鳥やネズミが貯蔵したドングリはすべてが消費されるわけではなく、忘れられて放置され、春に発芽するのも少なくない。動物によって運ばれた先で発芽して成長できれば、樹木は大いに分布を広げることになる。カケスなどは、ドングリを数百mも離れた場所に運んで貯蔵することもあるらしい(宮木1988)。最終氷期以降の温暖化によってブナやナラ類が分布を急速に拡大できたのも、鳥による種子の運搬によるのではないかとの説がある。確かに、移動が何千年も繰り返されれば、100km スケールでの分布拡大も可能だろう。
このドングリと動物の関係を、ブナ科樹木の立場で考えてみよう。親木は種子の「お弁当」を作る際に、大量の養分を母体から吸い取られている。それをみすみす動物に横取りされているとしたら、あまりも人の好い話である。しかし、この一見のんきそうな現象の背後には、じつはブナ科樹木の冷酷な戦略がある。一見お人好しっぽい人がじつは一番怖いのだ。有名な話だが、意外に知らない人も多いので説明しておこう。
ブナ科の多くの樹種は年ごとに激しくドングリの生産量を変動させるうえ、近隣地域の個体間で豊作・凶作が同調する "masting(成り年)"という現象を示す。このため変動の大きい樹種では、豊作年と凶作年のドングリ生産量は1000倍も違う。豊作シーズンの直後には、ドングリを食べて栄養状態のよくなった齧歯類の親から、たくさんの子が生まれる。ところが、翌シーズンのドングリはほぼ確実に凶作となるので、生まれたネズミの子たちはすべからく路頭に迷い、他の餌を得られなければ餓死する。そのため、ブナ科堅果とネズミの個体数の変動は、きっちり半年遅れの高い同調性を示す。
ブナ科樹木にとって、ドングリの捕食者が死ぬことは織り込みずみだ。植物の親には、散布した種子を守るために使える手段は限られている。その限られた手段の一つが「捕食者が少ない時に大量の種子を一度に作り、食べ残される確率を高める」というものだ(捕食者飽和)。成り年現象のおかげで、豊作翌年に増えた子ネズミは餌不足で死ぬ。こうして捕食者が減った後で次の豊作を迎えれば、種子が食べ残される確率は高まる。ブナ科はそうやって種子の捕食を回避しながら、何万年も栄えてきたと考えられている。親が身を削ってお弁当を作る価値は十分にある。それどころか、動物の方がブナ科との「悪魔の契約」に取り込まれてしまっているともいえる。
ドングリをめぐる自然界の騒乱は、多くの付帯する自然現象を引き起こす。クマのように世代時間の長い動物は、ドングリ凶作年には死ぬかわりに、行動範囲を拡大して別の餌を探そうとする。ここで「別の餌」となった植物の種子は、クマのお腹に入ってから長距離を移動し、これが新天地を探す絶好の機会となる。一方で、ドングリ凶作年にはクマが人の生活圏へも出てきやすく、しばしば人との摩擦の種となる。シカやイノシシ、サルなどの動物も、ドングリ凶作年に餌を求めて人里へ出没しやすい。また、ドングリをめぐるネズミの数の変動は、ネズミを餌とするヘビや中型動物に影響する一方、ネズミを吸血するマダニの数を変動させ、マダニが媒介するさまざまな病気の流行にも影響する。このように、ドングリは単なる森の恵みではなく、生態系や私たち人間の生活を、良くも悪くも騒がせる存在なのである。
鈴木 牧(東京大学)・宮下 直(東京大学)