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豪雨災害時代には「流域思考」による治水が必要だ

記事:筑摩書房

雨の水を川に変換する大地の構造のことを「流域」と呼ぶ。この「流域」を枠組みとした「流域思考」による治水が、いま注目を集めている
雨の水を川に変換する大地の構造のことを「流域」と呼ぶ。この「流域」を枠組みとした「流域思考」による治水が、いま注目を集めている

鶴見川はいち早く「流域思考」で新しい治水に取り組んだ

 大規模水害の多発する流域開発の状況を放置すれば、近い将来、鶴見川流域の水害の規模はさらに拡大してゆくと見通して、河川法・下水道法に頼りきりの整備計画では、もはや限界と判断し、流域の自治体に呼びかけて、1976年「鶴見川流域水防災計画委員会」という組織を立ち上げました。

 その委員会では、継続する激しい都市化による保水力・遊水力の減少によって、豪雨時に流域から集水される洪水の量がどのように増加してゆくか、理論的な検討もすすめ、河川法・下水道法による事業の促進に加え、関連する自治体の総合的な協力によって、流域の緑を守り、流域に多数の雨水調整施設を工夫する、流域思考の新しい治水方式の検討がすすめられたのでした。

 委員会の検討が本格化した直後の76年、さしたる豪雨でもなかった雨で、鶴見川中流域は大氾濫を起こし、3940戸が床上・床下浸水する事態となったのでした。その折の洪水の流量が予想をはるかに超える規模だったことが危機を決定的に証明したようです。

 これを契機に、「総合治水」という名称で、流域治水の検討が本格化しました。79年、国の河川審議会の審議を経て、河川対策、下水道対策に加え、緑、水田、開発に伴う雨水調整池の配置など、流域対策を体系的に組み合わせた総合治水対策が国の方針となり、事務次官通達として発進されることになりました。80年、その第一号の指定河川・流域となったのが、鶴見川水系だったのです。今年2021年、鶴見川は総合治水という名前の流域治水41周年を迎えています。

「流域思考」は応用が利く

 「流域」という枠組みは、下流低地の大氾濫を防ぎ、緩和するために機能しているだけではありません。本流の上流、中流域の低地群、水系を形成する大小の支流の下流低地域でも、全く同様に流域思考による総合治水・流域治水を進めることができます。

 さらに面積を絞って、斜面地の小さな谷や沢や窪地に相当する微小流域における豪雨時の水土砂災害の防止にも流域思考は役立ちます。局所的な線状降水帯が襲えば、数十ha規模、時には数ha規模の小流域が甚大な被害を引き起こすこともあります。この分野に、流域治水・流域思考の対応を工夫することは、鶴見川流域に限らず全国の丘陵・山地地域においてこれからの大きな課題となっています。

 さらに言えば、庭や畑をつくる場面でも、雨水をどのように排水するか、あるいは溜めて利用するか、というような課題にも流域思考は役立ちます。水循環に絡む諸課題は、規模の大小にかかわらず、そのすべてが「流域」という地形・生態系に関わっているのです。

日本の利用可能な土地はほぼ河川の流域に属しており、流域は行政区域に関係なく広がっている。イラスト:たむらかずみ
日本の利用可能な土地はほぼ河川の流域に属しており、流域は行政区域に関係なく広がっている。イラスト:たむらかずみ

 もちろん治水・水土砂災害の分野ばかりが流域思考の対象ではありません。流域が集水した雨水をダム、堰、導水路などを介して利用する「利水」の観点からは、工業用水、農業用水、水道用水、観光、環境に関わる利水、発電に関わる水利用の領域すべて、流域における地形・生態系の水循環機能に関連する課題です。

産業や自然環境保全の問題も「流域思考」で対応できる

 集水できる水の量や質は、流域の地形、生態系の状態に大きく左右されます。鶴見川の流域には、工業利水、水道利水はほとんどないのでダムもありません。本流・支流各所の水田に農業用水を引く農業堰がありましたが、これも今ではほとんど廃止されています。

 河川・水系の水質もまた流域の状態、管理状況に大きく左右されます。流域に大きな都市や工場群が広がっていても、下水処理施設が設備されてゆけば水質は改善されてゆきます。

 雨水を集める雨水管は、下水処理場につながる合流管と、川に直につながる分流管に区分されます。鶴見川の流域でも、豪雨時に、処理場の汚水が雨水と一緒に河川に流出するトラブルを避けるため、近年の雨水管は分流式が採用されています。この場合、路面や町のさまざまな汚染が側溝に集まり、下水処理を受けることなくそのまま川に流入するので、河川水の汚染に影響することになります。流域に広がる土地で使用される化学肥料なども、適切な使用基準が順守されていなければ、雨の水と共に川へ流入し、水質汚染を引き起こします。

 自然保護・生物多様性保全の分野も、流域思考で進めることが有効です。水系に沿って、源流から上流、中流、下流、海まで、連続した流域世界に、多彩・多様な生息地を分布させる流域は、それ自体が豊かな生物多様性を擁するまとまりのよい生態系=生物多様性世界です。1996〜2001年にかけて鶴見川流域で実践された生物多様性モデル地域計画(鶴見川流域)は、一級水系において、全国に先駆して実験された流域思考の総合的な生物多様性保全戦略でした。

 流域生態系は、そこにおける水循環の管理の工夫によって、暮らしの安全、産業の展開、自然の保全に大きな影響を及ぼします。最もわかりやすい事例が、暮らしの安全に関わる治水課題なのですが、それだけではなく、産業や自然環境保全の諸問題もまた、流域思考で対応していくべき内容を多く含んでいるのです。

 以上のような一般的な理解を土台として、国土交通省をはじめとする国の関連行政の分野では、流域管理の目標としてしばしば流域における水循環の健全化という表現が使用されます。治水、利水、環境、暮らし、産業、自然保全など、すべての分野にわたり、それぞれの流域の個性に沿って流域生態系の適切な利用・管理を進めること。そのように理解していただけるとよいでしょう。

 2020年7月に発進された流域治水は、流域における水循環健全という課題のうちの「治水」という分野に焦点を当てたビジョンです。

 なお初発の整備段階だった1982年には、200㎜超えの雨によって、私の実家のあった鶴見川下流左岸地域は再び3000件規模の大水没に襲われました。しかし、この水害を最後に、以後今日にいたるまで、300㎜近い豪雨があっても、鶴見川流域に大氾濫は起きていません。

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