いつの間にか編集者もどっぷり……『こどもが探せる川原や海辺のきれいな石の図鑑』
記事:創元社
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気づけば手掛けた鉱物本・地学本も20冊近くになり、最近は石と聞けばすぐ食いつくので、周囲からは「生まれながらの石好き」と思われているが、石の本を作るようになるまで、鉱物にも岩石にもまったく興味はなかった。西洋風の“プリンセス”に憧れた時代はあって、ドレスを彩る豪華な装飾品のデザインや、たまに新聞折り込みに入るジュエリー展示販売のチラシを見るのは好きだった(90年代のこと、最近はとんと見ない)。『セーラームーン』などを通して多少の宝石名を覚えたり、創作のためのネタとして宝石言葉を調べたりもした。だが、実際に石が欲しいとか、アクセサリーを身に着けたいというような願望には結びつかなかった。
ただ、もともと市川春子さんの作品が好きで、『宝石の国』は連載開始ほどなくから読んでいた。だからその1年後に出版社に入社し、上司が企画した『ひとりで探せる~きれいな石の図鑑』の編集実務を担当することになったとき、いきなり「硬度」や「劈開」が出てきても、「ああ、はいはい、あれですね」と見当はついた。
とはいえ本書で扱うのは、“宝石”と聞いて思い浮かぶような、見事に研磨されキラキラと輝く大きな結晶とは大きく異なる。川原や海辺は、山の中よりは比較的安全に石探しができるが、水の流れで砕かれ削られながら流れ着くので、見つかるのは細かい結晶が多い。あるいは岩石の中に埋まっているのが少し見える程度である。
したがって、柴山先生から、川砂の中からすくい取ったほんの数ミリの薄っぺらい青い破片を見せられて「サファイアですよ」、安山岩の表面にポツポツと見える赤い斑点を「ガーネットですよ」と言われても、正直、最初は「これ“宝石”って言っていいんですか!?」という感じだった。
(※なお、ここでいう「宝石」は、“きれいな岩石や鉱物結晶の本”だと読者に直感的にわかってもらうための便宜的な表現で、ジュエリー市場などでいう「宝石」の定義とは異なる)
川原や海辺で見つかるままの状態の写真を載せているのも、本書の画期的な特長のひとつだが、ギラギラしたジュエリー広告チラシや、セーラームーンに登場する大粒の「幻の銀水晶」を見て育った私は、こんな地味な写真でいいのかしら、と心の底では思っていた。母岩の中に石英の高温結晶がちらりと見えている写真に「高温石英」とキャプションが入っていても「いや、どれがソレだよ!」と内心つっこんだりもしていた(そういう写真には、位置の説明だとか矢印だとかを入れてもらった)。
編集見習いとしても駆け出しだったので、本を作る作業じたいも四苦八苦だったが、『ひとりで探せる~きれいな石の本』は、おかげさまで多くの方に読んでいただける一冊となった。
当初は半信半疑だった「宝石」という表現や、一見地味な写真の本当の価値を、自分自身もはっきりと理解できたのは、『ひとりで探せる~』の第2巻(これも上司が企画、私が実務)の編集を終え、初めて自分の企画としてこども版を作るために、石探し取材に同行したときのことだった。
シリーズ著者の柴山先生、今回のマンガ・イラストパートを担当してもらう井上ミノルさん、自然観察が大好きな井上さんのお子さんとそのお友達、そして私の5人は、奈良県・室生口大野の宇陀川から室生川が分かれる川辺に下り立った。川原には一面、片手で持てるくらいの大小の石が敷き詰められていた。鉱物の集まりやすい川の分岐点へ移動しようと歩き出した矢先、私の目に見慣れたアレが飛び込んできた。
「あ、これガーネットですね」
私はふと目についた岩石の表面にボルドーカラーの斑点が散っているのを指さした。すると柴山先生が感心して、
「ああ、すごい、よくわかりましたね」
「編集の時、何度も写真を見ましたから」
「ふつう、それほどすぐ見つかるものじゃないんですよ」
岩石中のガーネットの写真はたくさん載せたので、よくあるものなのだと思っていたら、そうでもないらしい。石探し初挑戦(私もだが)の井上さん一行は、もはや研究者はだしだ、とえらく尊敬してくれた。持ち上げられて照れながら私は初めて、あの地味な写真の意義を実感した。「鉱物ってホントにあの本の通りに見つかるんだ!」
柴山先生には遠く及ばないものの、その日の取材は私にとって「わかる……わかるぞ!」「これ『きれいな石の図鑑』でやったやつ!」の連続だった。水辺でみられる鉱物は、一般的な図鑑に載っている標本のような立派な結晶であることはごくまれなので、大量の石の中から鉱物を見つけるには、どういうところにありそうか、どんな見た目で存在するかという知識や観察力が必要になる。そうした「石探しの目」は場数を踏んで養うしかないのだが、水辺での石探しに特化した『きれいな石の図鑑』を読み込んでいた私は、少しは基礎ができていたらしい。そして同時に、どんなに小さな破片であっても、何の変哲もない石ころであっても、自分自身で見つけ気に入った石は、お金を出しても買えない宝石なのだということも、身に染みてわかったのである。
小学生の子どもたちにとってもその感動は同じだったようで、早々に飽きるかと思いきや、晩冬の陽が傾き始めても「帰りたくない!」といってパンニング皿(川砂から鉱物を選り分ける皿)を離さなかった。夕暮れまで頑張って拾った宝物の中から、子どもたちは一つ、ガーネットの入った小石を私にくれた。
それ以来、石探しは本当に自分の趣味になってしまった。それだけを目的に出かけることはあまりないが、旅行などで遠出した時にはほぼ必ず、よさそうな川原や海辺を見つけては石を探してしまう。緑や青の石が好きなので、たいてい手元に残すのは緑色片岩が緑色凝灰岩だが、土地や採集スポットの環境によって、水辺の石の種類や形のバリエーションがさまざまなのがおもしろい。一旦探しだせば一心不乱、もくもくと作業できるのもいい。
かつてはガイドブックに載っている観光スポットを回るだけのような旅行ばかりしていたが、最近は地形だとか地質だとか、いい崖があるとか、おもしろい石が見つかるとか、そういう視点で未知の土地を捉えるようになった。そうした条件のもとで地元の街並みや特産品が生まれたと考えれば、街歩きやグルメもいっそう楽しくなる。拾った石のせいで帰りの荷物が異様に思いことだけがネックである。
ユニークな原石の鉱物結晶も、それらを美しく研磨したルースも魅力的だが、個人的には鉱物が集まってできている「岩石」が一番好きだ。単純なので、スケールの大きいものにときめいてしまう。地殻変動や地層の重なりをありありと感じられる崖や露頭を見ると大興奮するし、石拾いにしても、手頃なサイズのかわいらしいのものより、それひとつでオブジェになりそうな大きなものを選びがちだ(だから重い)。あくまで片手に載るサイズでおさえているが、世が世なら「石屋さん」が売り歩く高価な水石や庭石で破産していたかもしれない。
それでも、そろそろ自分の家に石を置くのは限界を感じ始めていたところ、もっと手っ取り早く大きな岩石を楽しめる方法を見つけた。建築用石材である。よく気をつけてみると、百貨店や駅、ビルディングの外壁や内装にも、なかなか見ごたえのある石材が使われているのである。拾って自分の宝石にすることはできないが、川原では見られない珍しい岩石をはるかに大きな面積で見られる。時同じくして、柴山先生もご自身のNPOの会員さんたちとともに、石材会社の工場見学に行ったという。これ幸い、「先生、今度は石材の本を作りましょう」。
そういうわけで、現在『こどもが探せる川原や海辺のきれいな石の図鑑』スピンオフとして、大人もこどもも楽しめる石材図鑑を制作中である。業界屈指の関ヶ原石材さんのご協力のもと、石材加工の現場や、全国各地の見学可能な石切り場、岩石の博物館の紹介など、柴山先生&井上ミノルさんのタッグでお送りする。街中の石巡り本とはひと味もふた味もちがう本になりそうで、来年春までにはお目見えしたいと思っている。
しかし、関ヶ原石材さんのアントリーニ・ギャラリーで信じられないほど美しい天然石材を見ていると、やっぱり石で破産する日も遠くない気もする。編集者が一文無しになって多摩川の川原で拾った石を売り始める前に、ぜひ『きれいな石の図鑑』シリーズを読んでおいてもらいたい。
(創元社編集部 小野紗也香)