先人たちの「死」をめぐる思索と苦悩をたどる『「死」の哲学入門』
記事:日本実業出版社
記事:日本実業出版社
いまや空前の多死社会となっています。超高齢化社会の必然ではありますが、死は身近なようでいて、人生の最期を病院で迎えるケースも多く、身近な人の死もどこかよそよそしいものになりつつあります。人は肉親も含めた他者の病気や、さまざまな原因による死に接して、自分にも死がいつかやってくることを強く意識しますが、多くの人にとって、「死」というものが「観念」にとどまっている(当然ながら、「死」そのものは体験できないのです)こともあって、自分の死について思索する練習もできず、その土壌を持たないともいえます。
あらためて死について考え始めると、戸惑い、不安と恐怖を覚えることになります。ここで初めて死についての学びができていなかったことに気づきます。いま必要なのは「死」について「哲学」で考えることなのです。
なぜ哲学なのか? 哲学は根本原理、もしくは原理の近似値を描くことのできる唯一の学問ですが、日本では教育現場でもあまり取り上げられることはなく、せいぜい中学・高校の倫理社会の授業くらいではないでしょうか。あとは、大学の教養課程で講義に出るか、数少ない哲学科のある大学に進学するか、独学で哲学書を読むか……。
哲学的な思考の基礎がないまま、不安や苦しみの解消を他者に依存し、その欲求が満たされないと嘆いているのが、現代の日本の「死」に関する思想状況であると思います。さらには現代日本の異様な自殺率の高さ、特に世界的に見ても特異な若年層の自殺率の高さは、哲学教育の不在となんらかの関係があるとも思います。
偶然なのか、私は最近、若くして自死した方の遺族に立て続けに出会いました。彼らの多くは混乱のまま人生を送っていました。著者なりに、なにかできることがないだろうかと考えました。そこで、若年層を含め多くの人たちに哲学という手法を知ってもらうことで、このような事態が繰り返されることを、少しは減らすことができるのではないかと思ったのです。学校であれ家庭であれ、死についてどう考えればよいのかを教えてくれる機会は、これまでほとんどなかったのではないでしょうか。
著者は大学で哲学を、大学院では宗教学を専攻し、葬送文化を研究してきましたが、調べれば調べるほど宗教儀礼では解決できないある問題が気になり始めたということもありました。それは、人々がインターネットで大量に情報を得るようになってから、いっそう急速に膨らんだようにも思えました。その問題とは、死を宗教儀礼にあずけたままで、死についての思索を欠いた文化には、もはや限界がきているのではないかということです。簡単に言うと、人間の死について、わたしたちは考える「よすが」を失っているのではないかということです。それも、本書を執筆する大きなきっかけになっています。
ベストセラーとなった書籍『DEATH 「死」とは何か』(シェリー・ケーガン著、柴田祐之訳、文響社)は、心理学的・社会学的なアプローチをとりながら、著者自身の死生観を軸に死を考察したもので、啓発されるところの多い好著でした。同書も人々が死について考えるヒントを提供しようとするものだったと思います。
本書『誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門』では、可能な限り、哲学者たちの力を借り、また最新のサブカルチャーのイマジネーションも参照しながら、「死」を考え抜こうとした先人たちから学ぼうとしています。聖書や経典などからも手がかりを探し、一部、科学者の知見も援用しました。著者の死生観を披露しようとするものではなく、読者のみなさん一人ひとりが、それぞれの「死について」考えるときの「ヒント」になりそうな哲学者たちの言葉を収集し、整理しています。理解の手がかりになるようなイラストも自分で描き、ふんだんに盛り込みました。
もちろん、ときに著者独自の解釈が入るでしょうし、最終的には著者の体験に根差したものが「答え」として提示されていますが、どちらかといえば、それは副次的であって、先人たちの「死についての博物誌」を目指しました。
また、本書では、宗教や信仰を否定するのではなく、現代において哲学と信仰をいかにつなげるかというチャレンジがあります。信仰がない人にも、多様な考え方を知る機会と捉えていただければ幸いです。
目次をご覧になれば明らかですが、本書に登場する「哲学者」とは、一般的な哲学者とは違う先人たちも入っています。宗教者の釈迦やキリスト、科学者のセーガン、マンガ家の手塚治虫などがそうです。ここでの哲学者とは、「死」について考え抜いた哲学者、宗教者、科学者、表現者、アーティストたちを総称して「哲学者」(あるいは「哲人」「先哲」)としています。
その人選は、現代日本人にとって、重要かつ興味深い哲学者を取り上げたつもりです。実存主義の祖・キルケゴール、弁証法のヘーゲル、「永遠回帰」「神は死んだ」のニーチェ、人生に悲観的なショーペンハウアー、「哲学は死のレッスン」と言ったソクラテスとその弟子プラトン、現代の死生観を更新したハイデガー、現象学の創始者フッサール、哲学を終わらせた天才ヴィトゲンシュタイン、死に新たな光を当てた実存主義者サルトル、さらには、キリスト、釈迦、空海、源信などの宗教者、そして、新たな釈迦(ブッダ)像を描いた手塚治虫、現代科学者ペンローズ、古くて新しい驚嘆の中世哲学者ジョルダーノ・ブルーノ──。
読者のみなさんには、しっくりくる部分も、こない部分もあるかと思いますが、何かが「引っかかる」と思ってくだされば、《「死」についての哲学入門》の役割は果たせたことになると思っています。そして、望むらくは、本書が少しでも死の不安に立ち向かい、生きることについて考えるための力になりますことを。