「維新という革新の時代」と日本版デモクラシーの起源 『トクヴィルと明治思想史』
記事:白水社
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日本の19世紀、特に明治時代は魅力的な時代である。異質なものが混ざり既存のものが変化する、新しいものが誕生していく化学実験を見ることは興味深く面白い。ペリーの黒船が嘉永6(1853)年に浦賀に出現してから、日本と地球の反対側の新しい文明との積極的な交流が始まった。もちろん、日本列島の西、長崎の出島ではヨーロッパとの交易が200年以上行われていたが、日本は限られた地域を除き「鎖国」状態であった。江戸幕府の鎖国政策によって海外に通じる門は閉ざされていた。固く閉まっている門を強くたたいたのがアメリカ政府の派遣した艦隊であった。
嵐がまだ唸っているのに出航し、昼夜を問わず帆を全開して帆走する。雷で傷んだ船を航行中に修繕し、漸く航路の終わりに近づいても、すでに港を見つけたかのように、陸地に向けて突進を続ける。[アレクシ・ド・トクヴィル、松本礼二訳『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫、2005)第1巻(下)402頁]
ペリー来航の約20年前、あるフランス人がみたアメリカにおける商業の盛況は、このような「ある種の英雄精神」[同上、26頁]に支えられていた。この精神に鼓舞されて、太平洋側に航路を開拓したアメリカは、日本と条約を結ぶことが必須であった。軍艦を先立たせた強い圧迫、1840年のアヘン戦争の記憶は、翌年安政元(1854)年の日米和親条約締結に至り、開国の出発点をなす。
開国の道は淡々と進んでいたわけではない。尊王攘夷運動が盛んになって日本は分裂するが、結局慶応3年の大政奉還、王政復古を機に明治維新に向かう。『詩経』の「大雅・文王篇」の一節である「周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり(周雖旧邦、其命維新)」に名称が由来する明治維新は、政治・社会・経済・文化全般の革命だった。天命を受けた文王の登場が国を新たにしたように、既存の国を維持しながらもすべてのことを革新していくという意志が込められた名称の通り、明治維新は日本を新たにしていく本格的な革新の始まりになった。
西洋の制度、文物の精力的な受け入れが始まり、物質的な革新が始まるとともに、西洋由来の近代思想の流入も始まる。これらの受け入れは海外留学や派遣調査による部分も大きかったが、書物の翻訳の役割が何より大きかった。数多くの翻訳書が出版され、これまで接したことのない概念の翻訳語が誕生した。その中には政治・思想に関する書籍も多く、アレクシ・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville, 1805〜1859)の『アメリカのデモクラシー』(De la Démocratie en Amérique, 1835;1840)もその1つであった。しかし、フランス人のトクヴィルが若かりし頃にアメリカを訪問し、その社会、政治を観察して新しい「デモクラシー」(democracy)の概念を導き出したこの本と、トクヴィルの思想が明治期の思想や制度形成に及ぼした影響に関する研究は多くない。
[中略]
トクヴィルに言及している既存の先行研究は受け入れた側を軸としているため、あくまでも「日本思想史研究」、「福澤諭吉の研究」、「中村敬宇の研究」、「日本の地方自治思想の研究」と呼ぶべきものである。しかし、本書[『トクヴィルと明治思想史 〈デモクラシー〉の発見と忘却』]は「トクヴィル思想の受容を主題とした研究」を課題とする。このような意味では高橋真司の『ホッブズ哲学と近代日本』[未來社、一九九一]に類似する研究とも言える。高橋はその研究の中で、加藤弘之の思想形成にトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588~1679)が与えた影響、およびホッブズの代表作『リヴァイアサン』(Leviathan, 1651)の訳書である『主権論』の成立過程を研究している。またホッブズに言及している明治期の著作、例えば小野梓の『国憲汎論』や馬場辰猪の『天賦人権説』などを挙げて、ホッブズの哲学が政治権力に関する近代日本の認識形成にどのような影響を与えたのかを明らかにしている。
明治思想における西洋の思想家の影を発掘しその影響を研究している点では、高橋の研究と本書は形式面で似ている。特定の翻訳書の成立過程や、翻訳語を通じて明治期の特徴を探った点でも類似する。しかし、中央集権制や政治権力をめぐる議論への影響に限っている高橋の研究とは異なり、本書では明治期の自治論や宗教論、女子教育論、社会主義、革命などの政治学上の様々な主題を扱っている。そして、時代による変化と、背景になる政治・社会の変容との関連を総合的に解明しようとする。
本書には、戦後にいたるまでのトクヴィル思想の受容に関する変遷を研究するという独自の狙いがある。第一の目標は、近代日本におけるアメリカ観の変化と関連させることである。トクヴィルの代表作『アメリカのデモクラシー』は、日本においても西洋諸国においても、まずアメリカ論として読まれた。トクヴィル思想の受容の変遷をたどると同時に、日本人のアメリカ観という大問題に、思想史の新たな視点からとりくむことを目標とする。
第二に、思想受容における日本の特殊性と、トクヴィル思想を受容した他の地域とが共有する普遍性を明確にすることが目標である。松本礼二は訳書『アメリカのデモクラシー』の解説で次のように述べている。
しかし、自由民権の高揚が去り、明治国家の体制が固まるにつれ、トクヴィルの名前は急速に日本で忘れられて行った。19世紀末ごろからフランス本国を含めて世界中でトクヴィルが読まれなくなって行ったこともあるが、明治憲法体制の下で共和政や民主政治への関心が薄れ、政治や法律の用語と学問におけるドイツの影響が圧倒的になって行ったことも影響したであろう。アメリカ研究の専門家は別として、『アメリカのデモクラシー』が一般の読者の関心を引くことは第二次大戦の後までなかった。[アレクシ・ド・トクヴィル、松本礼二訳『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫、2005)第2巻(下)325頁]
アメリカとヨーロッパで、ある時期トクヴィルとその思想が忘却されていたという「トクヴィルの忘却」。そのトクヴィル研究の常識とも言える現象が日本においても起きていたことが指摘されている。しかし、その過程を詳しく説明してはいない。本書では、その忘却の過程を明らかにする。
ある社会の現在の姿は、歴史の流れの中で蓄積されてきたものの総計である。その社会に旧来のものもあり、外部から流れてきたものもある。自発的かつ積極的に受け入れたものもある。これらの要素が化学反応を起こして生まれたものもある。日本の近代、特に明治時代はこの化学反応が爆発的に起きた時代である。しかし、今日我々が接する総体物は、その性質を正しく理解され、適切に構成されたものだけで完成されたのであろうか。
日本の1人の思想家を軸にせず、トクヴィルを中心にする研究は、誤解された、誤認されたトクヴィル思想を必然的に含む。受容側の思想家を中心にすると、すでに行われている多くの研究のように、トクヴィルの思想を正しく理解し、消化し、自分の著作を完成した人に研究の範囲が絞られる。このため、例えばトクヴィルの研究はほとんど福澤諭吉の研究に吸収されてしまう。このような方法は、明治の思想受容における化学実験やその多様性を明らかにするには十分でないと考える。
どの時代においても、研究がとりわけ集中する思想家が存在する。思想史において彼らの比重が大きいことは間違いない。彼らに関する研究が繰り返し行われ、研究が彼らに集中することで、その比重はますます増大する。その反面、ある時代を生き、時代のあり方や将来を真剣に考えていたにもかかわらず、優れた才能の持ち主たちに遮られ、注目されなかった人物も数多く存在する。自分の思想を1冊の本にまとめなかった人たち、新聞や雑誌、あるいは演説を通じて議論を展開したが、その議論が注目を浴びることはなかった人たち。こうした人たちが西洋の思想をどう理解したかは多くの研究者の関心を引かなかった。間違って理解した思想を基礎に議論を展開するか、単純な輸入品の紹介にすぎなかったからであろう。しかし、これらの誤読を媒介とした思想の受容にも価値がある。なぜ、誤読せざるを得なかったのか、時代のどのような特徴が誤読の背景にあったのかを明らかにして行く作業は、受容側の環境の理解を深めると同時に、トクヴィルの思想が持つ多面性を把握することを助け、思想史研究をより豊饒にする。本書は「誤読」による思想の受容も積極的に対象に含め、より豊かな思想史を描くことを試みる。
トクヴィルの思想は、それ自体魅力的である。19世紀のアメリカにおいて「アメリカ以上のもの」を発見し、その発見を盛り込んだ『アメリカのデモクラシー』、アンシャン・レジームとフランス大革命を分析し革命の契機を明らかにした『旧体制と大革命』(L’Ancien Régime et la Révolution, 1856)などの著作自体も魅力的である。同時代にトクヴィルが得た名声と、現在においても人口に膾炙する彼の名前がその証拠である。明晰な分析、既存の概念に新しい意味を与える大胆さ、そしてそれが持つ説得力が、その背景にある。
思想の化学反応が活発であった明治という時代に、日本の思想はトクヴィルの思想を受け入れて変容する。本書ではその受容と変容の過程を示し、その結果も魅力的であったのかを明らかにする。
【柳愛林『トクヴィルと明治思想史 〈デモクラシー〉の発見と忘却』(白水社)「はしがき」より】