ソ連崩壊‐ロシア連邦誕生、30周年! 新たな歴史史料・当事者の回想から、20世紀最大の激動史の真相を描く
記事:作品社
記事:作品社
1991年末にソ連が崩壊してから、この12月でちょうど30年となる。ゴルバチョフ共産党書記長のもと、ペレストロイカという改革を始めてから6年、核を持った社会主義の超大国が世界地図からなくなるという衝撃的事件だった。
それにしても人口3億近い大国がその掲げた共産主義の理念とともに消え、代わりにエリツィン率いるロシア連邦が後継国家となるというようなことがなぜ起こったのか?
英国の歴史家アーチー・ブラウンがいう、20世紀最大の政治運動・体制でもあった共産主義を終わらせたエリツィンとは、誰だったのか?
日本では、崩壊後しばらくゴルバチョフ人気もあって、エリツィンの評判はあまり高くなかった。というか、まったく理解できなかった。他方、欧米では『歴史の終焉』を行なった民主化とリベラルの旗手という評価が、政策と現実への認識を曇らせた。ロシア本国では、崩壊直後の解放者という表象は、ほどなくして民営化の闇とオリガルフの台頭で人気は急落した。
それでも20世紀の冷戦とソ連を同時に終わらせた政治家としての功績は、その好敵手であったミハイル・ゴルバチョフとともに世界史に永遠に残る。
けれども、その世界観・政治観、とくに新生ロシアの台頭を導いた理念や背景は、彼が亡くなった後もその個性や政治理念を検討することも等閑視されてきた。せいぜいポピュリスト政治家扱いか、風変わりな政治家で済まされてきた。
21世紀になって、「後継者」となったプーチンの時代になると、エリツィンの伝記、彼とともに8月クーデターに抵抗し挫折させることでロシアの国家主権をまもった関係者の回想が、クーデター派の証言とともに出版されてきた。こうしてエリツィンのロシア観――特にロシアが300年前にウクライナと「ロシア帝国」を形成する以前の、いわば「聖なるロシア的」を信じて弾圧されたロシア正教古儀式派の末裔であったこと――が浮かび上がってきた。エリツィンとその幹部が共有したロシア観は、いわばこの「影のロシア国民国家」というべき潮流をソ連崩壊によって現実のロシア連邦に転換させた点で、単なるポピュリスト政治家ではなかったことが明らかとなった。
政治学者でソ連史研究者としての筆者からは、ソ連崩壊とロシア再生、共産党の改革派ゴルバチョフとその反対派エリツィンの対立の背景に、共産主義や全体主義と自由、イデオロギーとアイデンティティ、世界戦争と東西冷戦といった20世紀的なリアリティをめぐる対立が介在する。それを一挙に転換し、文字通り世界の次元を変えようとした、この矛盾の政治家を通じて、現在ロシアの政治の位相を捉え直す試み、それが本書『ソ連を崩壊させた男、エリツィン』(作品社、2021年12月刊)である。
ロシアはマトリョーシカという入れ子人形によく例えられるが、ソ連の崩壊過程を見ていくとこのロシアの深層に行き着く。筆者の考えは、この11月に生誕200年を迎えたドストエフスキーの小説『罪と罰』にヒントがあるという説だ。
この主人公は、ロシア帝国の首都で金貸の老婆殺しを行なったラスコリニコフという若者だが、じつはこの名前にロシア国家の分裂と再生という意味が込められていた。ラスコルとは分離とか分裂というロシア語だが、ソ連が分裂しロシア再生へいたる30年前の事件の秘密もまたラスコルに由来した。
彼らは、ウクライナとの合邦による、ちょうど同じ300年前の11月2日のピョートル大帝による帝国化の流れに抗し、モスクワこそ本当の聖都と、古い正教信仰を守ろうとした人々がいた。これがラスコリニキの原義、反乱を起こしたが1666年に弾圧されロシア正教会を追放された。分離派とか古儀式派ともいう。彼らの一部は密かに古信仰を守り生き延びた。帝国に抗するロシア民族主義の隠れた源流ということができる。ちなみにドストエフスキーの『罪と罰』(1866年)は、この帝国形成に先立つロシア正教会分裂200周年記念出版だった。『歴史の終焉』どころか、歴史の大ドラマの続きなのだ。
末裔というのは比喩ではない。伝記作家ボリス・ミナエフは、エリツィン一族が古儀式派であると書いた。しかも8月クーデターに抵抗した彼の最高指導部をよく見ると、報道の自由で民主化を支えたポルトラーニン副首相やクーデターに動員されたソ連派軍人を、見事にロシア側に寝返らせたコルジャコフ警護隊長らも同派の信徒だった。ロシアの宝であるガス産業で政府を支えたチェルノムイルジン首相もこの系譜であった。
本人たちが意識していたかは別として、3世紀前の宗教的分裂が世俗化し、現代ロシアとして甦ったともいえよう。
そのことを象徴するように、クーデター直後の8月24日、KGBビルのジェルジンスキー(ポーランドのカトリック出の革命家)像を引き倒して後に据えた記念碑は、3世紀前に古儀式派の僧が当局と戦ったソロフキ修道院から持ってきた。スターリン期は収容所だったが、今は世界遺産だ。
この前日、ウクライナは独立を宣言したが、これを同祖のロシア、とくにエリツィン指導部が許容した意味が、世界を再び核戦争の危機に招きかけないウクライナ危機の今日、今また現実の問題となっている。
もっともそのエリツィンは、肝心の経済改革には成功せず、「ロシアを大事に」とプーチンに後事を託した。そのプーチンは、政教分離のエリツィン憲法を加筆し、「神」を改正憲法に盛り込んだ。
もっともロシアは、兄弟国家ウクライナとの和解には成功しなかった。甦ったロシア・ナショナリズムは、今度はその対極にウクライナ民族主義との「分裂」を誘発するに至った。2014年、ウクライナ紛争が起きた2014年以降、ウクライナをNATOに引き入れる欧米とロシアの関係は、史上最悪に落ちこんでいる。
冷戦終焉どころか、キエフ・ルーシを同祖とするウクライナとロシアとの兄弟喧嘩は、NATOの東方拡大もあって、分裂は拡大し、いまや兄弟殺し寸前だ。それどころか民主主義のための安全保障をうたうバイデン政権は、ロシア・中国といった権威主義との新たな世界的分極を演出している。
グローバル市場経済のトップを走るのが、今や中国共産党であるという逆説的な21世紀、米ロ対立の展開を前提に、ソ連崩壊後、この30年間に現われた歴史史料や同時代人の回想を取り込みつつ、エリツィンとロシア再生の苦闘を、脱世俗化とアイデンティティ危機が世界の新たな脅威をも招いているという現実をも踏まえつつ、現代史を再読しよう。