アッパー・クラスな「貴族」も楽じゃない? 『ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級』
記事:白水社
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【Christmas at Downton Abbey | Downton Abbey】
イギリスのドラマシリーズ『ダウントン・アビー』(2010〜15年放送、映画は2019年)の根強い人気からわかるように、イギリスの「アッパー・クラス」は大部分のイギリス人にとっては遠い存在でありながら、大きな興味の対象でもある。イギリスのアッパー・クラスがこの国の歴史を作り上げてきたことを考えると、それも無理のないことだろう。イギリスの歴史家ローレンス・ジェイムズはその著書『貴族たち──権力、優雅さとデカダンス』(2009年)の序文に次のように書いている。
彼らは憲法を作り、法律制度を作り、陸軍と海軍を統治した。自分たちの美意識に合うように、そして狐狩りへの情熱を満たすために風景を造りかえた。最近までは、彼らが国民の趣味を形づくり、彼らの礼儀作法が社会全体の行動の規範を作り上げていた。
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ジェイムズはここで「貴族」(aristocrats)という言葉を使っているが、イギリスの「アッパー・クラス」(upper class)、あるいはnobilityと言われる階級は、爵位のある貴族だけでなく、「ジェントリ」と呼ばれる地主をも含む(イギリスの階級について本文で触れる際は、あえて「上流階級」等の日本語表現を使わず、「アッパー・クラス」、「ミドル・クラス」等のカタカナ表記を用いる)。爵位は政治的な目的等から新たに君主が授与することができるほか、経済的に成功したものが実質的に爵位を「買う」ことも可能なため、爵位を持っているからといって、必ずしも古い家柄の出であるわけではないのだ。
『白衣の女』(1860年)や『月長石』(1868年)といった作品で知られている作家ウィルキー・コリンズ(1824〜89)は1852年に『バジル』という小説を書いているが、その主人公バジルの父親は爵位こそないが、家柄は「ノルマン人の征服[1066年にノルマンディー公ウィリアム率いるノルマン人の軍がイングランドを征服した]以前まで遡る」ものである。小説の語り手でもあるバジルは、父親について次のように述べている。
父にとって家系の伴わない、地位のみの貴族は、貴族ではなかった。[中略]父には爵位はなかったが、准男爵から公爵までの誰だろうと、自分の家ほど古い家系でなければ自分は勝るとも劣らないと思っていたのである。
(第1部)
父親はこの信念を行動にも反映させる。ある日、爵位を与えられて日の浅い、大金持ちの商人とその娘を客として家に迎えた。もうひとり、イタリアから亡命してきた聖職者で、今は一文無しに近く、イタリア語を教えることでやっと生計をたてている人物も招かれていた。体型も貧弱で、みすぼらしい人物だが、イタリアの古い家系の血をひいている。屋敷には家族とこの3人の客の他に、バジルの母親の元ガヴァネス(家庭教師)で今も屋敷においてもらっている女性がいる(ガヴァネスは使用人ではないので、その家の習慣によっては、家族や客と一緒にディナーをとることもある)。ディナーの準備ができたという知らせを聞くと、自分が客の中で最も地位が高いものと疑わない新興貴族はすぐさまバジルの母親に腕を差し伸べ、彼女を伴って先頭を切ってダイニング・ルームに入ろうとする。しかしそうはいかない。館の主人、バジルの父親にさえぎられるのである。
父の青白い顔は一瞬で紅潮した。父は堂々とした態度の商人貴族の腕に触れ、深くお辞儀をしながら、昔母のガヴァネスだった、老いた女性のほうに、意味深長な視線を向けた。
(第1部)
啞然としている「商人貴族」をよそに、語り手の父親は窓際にたたずんでいたイタリアの聖職者を自分の妻のもとに連れて行って2人を先にダイニング・ルームに入らせ、貴族とガヴァネスに、その後に続くよう合図したのである。
【『ダウントン・アビー』第1話スペシャルダイジェスト】
このエピソードについて、語り手は父親の行動を特に評価も批判もせずに淡々と語っているが、いかに主人公バジルの家が、爵位がなくても由緒正しい家柄であるかが、そしてこのように、爵位がなくてもじゅうぶんに「アッパー・クラス」である家がイギリスに存在していることが、読者に伝えられるのである(ただし、この父親の家柄に関するプライドがのちに、息子バジルの結婚をめぐる大きな悲劇をもたらすことを考えると、これは決して古い家柄を礼讃する物語でないことは明らかである)。著者のウィルキー・コリンズは風景画家の息子で、最初は法律を学んでいた。階級としてはいわゆる「アッパー・ミドル・クラス」に属すると言える。そもそもイギリスの小説も、演劇も、書いているのはおもに「ミドル・クラス」に属する人々である。「ミドル・クラス」といっても、チャールズ・ディケンズのように「ロウワー・ミドル・クラス」出身者から、ウィリアム・サッカリーのような、「アッパー・ミドル・クラス」までさまざまではあるが、いわゆる「アッパー・クラス」の文筆家は多くない。したがって、彼らが描くアッパー・クラスはあくまでもイメージやステレオタイプをもとにしたものが多くなるのだが、そうであるにしろ、アッパー・クラスの人物が必ずと言ってよいほど20世紀以前の小説や演劇に出てくるのは、彼らがイギリスの政治だけでなく、文化の形成にも大きな役割を占めているからである。さらに、本文でも取り上げるように、イギリスでは貴族や地主の爵位や土地、財産はそっくり長男が受け継ぐ制度がとられている。つまり、貴族の息子であっても、次男以下には爵位がなく、土地の相続ができずなんらかの職につかなければならないことから、いわゆる「ミドル・クラス」の仲間入りをすることになる。そうすると、同じ家族でも「アッパー・クラス」と「(アッパー・)ミドル・クラス」が混在することになり、社交の場においても、「ミドル・クラス」の上のほうの階層の人々が「アッパー・クラス」の貴族や地主と交流したり、結婚したりすることも多くなるのである。
たとえばジェイン・オースティンの『マンスフィールド・パーク』(1814年)の冒頭では、ウォード家の3姉妹がそれぞれ牧師、准男爵、そして海兵隊大尉と結婚する。准男爵とは14世紀からある爵位だが、第1章で説明するように、他の爵位と違って、その称号は「サー」であり(苗字ではなく、ファースト・ネームの前につけられる)、世襲性ではあるが「貴族」ではないので、貴族院のメンバーにもならない。それでも3人姉妹の嫁ぎ先としては最も地位が高いし、この准男爵はさらに大きな屋敷と土地を持っているうえ国外にも土地を所有しているため、かなり裕福である。彼には息子が2人おり、相続権のない次男は後に聖職者となる。一方で、最も地位の低い男性と結婚した三女(主人公ファニー・プライスの母親)は、使用人も2人だけしかおらず、しかもろくに訓練も受けていない若い娘たちであるため(使用人は男性のほうが高い報酬を得ており、男性の使用人を何人雇えるかがその家のステータスを示していた)、自ら家事をやり、子育てもして、心身ともに疲れ果てている。同じ家族でも親戚でも、このようにさまざまな階級に属し、異なった境遇に身をおくことがあるので、さまざまなドラマが展開していくのである。イギリスの小説や演劇の多くが、ミドル・クラスの作家によって書かれた、おもにミドル・クラスの人物を扱ったものであっても、なんらかのかたちでアッパー・クラスの人物が登場することが多いのはそのためなのだ。
現在のイギリス人にとっても、じっさいに会ったり交流したりする機会がほとんどないのに、演劇、小説、そして映画やドラマなどで、その存在に慣れ親しみ、イギリスの歴史と文化の重要な部分とみなされる「アッパー・クラス」は、そういう意味では執事、メイドなどの「使用人」と同じような存在なのかもしれない。今では実際に触れることはほとんどないが、ステレオタイプやイメージはしっかりと存在し、「イギリス的」なものとして親しみをこめて思い描かれるのである。
【The Geography of Downton: Upstairs | Behind The Scenes | Downton Abbey】
【The Geography of Downton: Upstairs | Behind The Scenes | Downton Abbey】
本書ではイギリスにおけるこの「アッパー・クラス」のイメージをいくつかとりあげ、その表象のされ方を見ていきたい。これはけっして貴族やジェントリの歴史をたどるものではないし、イギリスにおける彼らの歴史的、政治的役割を描くことを目的とするものでもない。さらには、イギリスの文学作品における貴族や地主の表象をたどって、考察するものでもない(それをしようとしたら、かなり野心的な試みになるだろう)。本書の目的は、イギリスの社会、文化の中でアッパー・クラスのどのような要素、どのようなイメージや実態が知られているのか、いくつかの例に目を向けて、その背景や内容を見ていくことである。
まずは国外はもちろんのこと、国内でもしばしば混乱を招き、特に20世紀以降の小説では間違って描かれることが多い、爵位と称号をとりあげ、その使われ方に注目する。そして第2章では、イギリスの相続制度が、貴族やジェントリの次男以下の息子たちを「ミドル・クラス」に送りこむことによって生じる、「アッパー・クラス」と「アッパー・ミドル・クラス」の関係について見ていきたい。第3章では、称号(貴族の場合)、屋敷、土地を相続する長男が、必ずしも幸運でも楽な生活をしているわけでもないことを、屋敷の運営や維持にともなう問題をとりあげながら考察する。そして第4章では、そのようなカントリー・ハウスの維持に貢献した、アメリカの富豪の娘たちとアッパー・クラスの男性との結婚に焦点をあてる。第5章では、カントリー・ハウスを相続した当主たちが、代々伝わる屋敷と土地を維持し、手放さないようにするためにしなければならなかった涙ぐましい努力を、今もイギリスで最も人気のある観光と言われている、「カントリー・ハウス観光」との関係でとりあげる。第6章と第7章ではアッパー・クラスの教育に目を向ける。第6章では、18世紀に盛んに行なわれた、ヨーロッパ大陸の「グランド・ツアー」、そして19世紀に今のかたちが確立した「パブリック・スクール」をとりあげる。第7章では、イギリスの最も古い2つの大学、オックスフォード大学とケンブリッジ大学のうちでもより古く、そしてより文学作品等に現れることが多いオックスフォード大学を、学生生活の一部としての社交を中心にとりあげたい。第8章では戦間期にマスコミの注目を浴びた破天荒な若者たち「ブライト・ヤング・ピープル」について、文学作品の表象や、実際の例をいくつか見ていく。そして最後に、20世紀以降のアッパー・クラスの「奇人」を何人かとりあげ、回顧録や小説、そしてマスコミに現れる姿に注目する。
本書ではこのように、アッパー・クラスのいくつかのイメージを取り上げて、見ていくことによって、彼らがどのようなかたちでイギリスの文化の一部をなしているのかを考えていきたい。ともすれば国外では誤解されがちなイギリスのアッパー・クラスについて、自国内での受けとめられ方の一部を紹介することによって、イギリスの文化の特徴や独自性を少しでも明らかにできればと思う。
【新井潤美『ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級』(白水社)所収「はじめに」より】