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ソクラテスのまわりに集った若者たちはどう生きたのか? ――『ソクラテスと若者たち』が描く哲学者の光と影・後編

記事:春秋社

アンゼルム・フォイエルバッハ「饗宴」(1869年)
アンゼルム・フォイエルバッハ「饗宴」(1869年)

ソクラテスとアルキビアデスの「関係」

 前編では『ソクラテスと若者たち』の第2章第3節まで紹介したので、後編では残りの第4節から第6節までと、次の第3章の内容を紹介することにします。

 先ず第2章の第4節では、権力と快楽を追求するアルキビアデスをプラトンの『ゴルギアス』に登場するカリクレスという青年政治家と比較することによって、哲学と政治の間で揺れるアルキビアデスの心境の独自性を浮き彫りにします。カリクレスが実在したかどうかは今もって定かでありませんが、カリクレスが同世代の青年たちの考え方を代弁していると見る点では多くの評家が一致しています。

 カリクレスは、ノモス、すなわち人間が定める道徳や法律などの行為規範と、ピュシス、すなわち自然本来の姿を対置し、我々は人為的なノモスにではなくピュシスに従うべきことを主張します。彼が説く「自然の正義」とは、強者が弱者を支配し搾取することに他なりません。この点に関しては、ひたすら権力を追求するアルキビアデスと通じるものが有ると見てよいでしょう。と同時にカリクレスは、ソクラテスが説く節制の徳を嘲笑し、あらゆる欲望を満足させることこそが人生の醍醐味だとします。この点でもアルキビアデスと共通していると言えるでしょう。しかし,両者の間には決定的な違いも有ります。それは哲学の評価に関する相違です。

 カリクレスによれば、人が若い時に哲学するのは歓迎すべきことなのですが、いい歳をしてまで哲学し続けるのは許されるべきことではなく、「そんな奴はもうぶん殴ってやる必要がある」のです。これに対してアルキビアデスは『饗宴』の中での告白を見る限り、現実政治の真っただ中に身を投じながらも、心の片隅では絶えずソクラテス的なもの、すなわち徳の探求としての哲学に後ろ髪を引かれる思いをしていたようです。

 さて、ここまでは主としてトゥキュディデスとプラトンの作品を史料としてアルキビアデスのロゴスとエルゴンを見てきたのですが、続く第5節では、プラトンと同世代のクセノポンのアルキビアデス観について検討しています。というのも、ソクラテスとアルキビアデス両者の関係についてのクセノポンの見方は、プラトンのそれと極めて対照的だからです。それではどこが違うのでしょう?

 中でも際立った違いは、プラトンが多くの作品の中でソクラテスとアルキビアデスが恋愛関係と言ってもよいぐらい極めて親密な関係にあったことを強調しているのに対して、クセノポンはその関係をできるだけ希薄なものにしようとしている点です。クセノポンによれば、アルキビアデスがソクラテスに近づいたのは、問答を通じて相手をやり込める論駁(エレンコス)のテクニックだけが目当てだったのであり、ソクラテスのように質素な生活をするぐらいなら死んだ方がましと思っていたに相違ないと断じます。そしてその証拠として、若きアルキビアデスが後見人の大政治家ペリクレス相手に問答をし、ペリクレスを論駁して恥をかかせた逸話を紹介しています。この事実は、ソクラテスが得意とする論駁法が若者でも模倣可能な一定のパターンを持っていたことと、クセノポンの意図とは裏腹に偶像破壊的な作用を秘めていたことを示唆するものですが、この点に関して興味深いのは、プラトンもまたソクラテスの真似をして論駁ゲームに熱中する若者たちの存在を認めていることです。

 それどころか、『国家』の中では、そのような若者たちが論駁し論駁されているうちに何も信じられなくなった結果、刹那的な快楽に溺れる生活に陥る危険性を指摘して、いわば論駁法の「成人指定」までしています。このことは、「若者たちを堕落させている」との罪状にある「堕落」の意味が、いわゆる自堕落な生活を送るといった通俗的な意味よりも、むしろ偶像破壊も含めた論駁ゲームに溺れた結果、何も信じられなくなる状態に若者が追い込まれる事態を指していることを示唆しているように思われます。つまり、ソクラテスの罪は、まさに若者たちをそのような状態に追い込んでいる点に有るということになりますが、哲人王養成プログラムの中で「成人指定」を導入している事実から見て、プラトン自身がそのことを暗に認めていると言ってもよいかも知れません。

 第2章の最後となる第6節では、アルキビアデスについての以上の検討を踏まえた上で、第1章で取り上げたクレイトポンとアルキビアデスの比較を行うとともに、はたして二人がソクラテスによって通俗的およびより深刻な意味で「堕落」させられたかどうかを問い、結論としては必ずしもそうとは言い切れないとの結論に至っています。そこで問題となるのが、第三の若者、アリスティッポスです。

さらばポリス――アリスティッポスと「第三の道」

 さて、いよいよソクラテスサークルの異端児アリスティッポスの登場です。この章に関しては、主人公の融通無碍な生き方にふさわしく、あまり叙述の順序にこだわらずにその人生哲学を紹介することにしたいと思います。

 先ず、主要史料の一つであるディオゲネス・ラエルティオスの伝える逸話の数々によれば、アリスティッポスのユニークさとして、差し当たって以下の点を挙げることができるように思われます。すなわち、①金銭欲、②快楽主義、③状況主義の三点です。

 どの点を取ってみても、師とされるソクラテスとは大違いなのですが、そうは言っても、アリスティッポスはお金にも御馳走や美女にも執着することは無かったようです。単に面倒くさかっただけかも知れませんが、「真夏に雪を求める」式の快楽主義とは無縁だったようです。また、その状況主義も、シュラクサイの独裁者ディオニュシオスが宴席で客に対して女装して踊れとの無体な要求をした時、プラトンは断ったのに対してアリスティッポスは気軽に応じたとの有名なエピソードが象徴するように、その場その場の「空気」をいち早く読んで、臨機応変に振る舞うことで丸く収めるという点では、自己利益再優先のアルキビアデスのそれとは異なるものと見てよさそうです。そして実はもう一点、アリスティッポス独自の発想として見逃せないのが、ポリスの枠に囚われない生き方、すなわち、コスモポリタニズムへの志向(④)です。

 この志向が遺憾なく発揮されているのは、もう一つの重要な史料であるクセノポンの『ソクラテスの思い出』の一節におけるソクラテスとのやり取りです。その中でソクラテスは、将来一国の支配者たらんとする者が受けるべき教育・鍛錬をアリスティッポスに説きますが、アリスティッポスはあっさり拒否、自分は支配することもされることもない「中間の道」を目指すが故に、ポリスの枠組みに縛られずに諸国を渡り歩いているのだと開き直ります。これに対してソクラテスは,ヘシオドスの教訓詩『仕事と日』や、ソフィストのプロディコスの説話『岐路に立つヘラクレス』まで動員して説得に努めますが、どうやら暖簾に腕押しに終った可能性が高いようです。

 ここに顕著なアリスティッポスの反ポリス・反政治の傾向は、これまでに見てきたクレイトポンとアルキビアデスの二人とは正反対のベクトルを持つものであり、それだけにその思想史的な意義は少なくないと考えられます。とは言うものの面白いことには、アリスティッポスは晩年には故郷のキュレネーに戻り、その思想を基に娘のアレテー――ということは結婚したことになりますが――と(同名の)孫のアリスティッポスが快楽主義で知られるキュレネー学派を築いたとされています。一代の風来坊アリスティッポスも最終的には故郷に根を下ろしたことになり、故郷喪失者とも言うべきアルキビアデスとはこの点でも好対照を成しています。

そしてプラトン――結びに代えて

 以上が本書の中核部分ですが、最後にもう一度、彼ら三人がソクラテスによって――浅い意味においてであれ、より深い意味においてであれ――堕落させられたと言えるかどうかを問うとともに、エレンコスに熱中した挙句、懐疑の深淵に沈んだ彼ら以外の若者たちへの影響も含め、ソクラテスの哲学活動の光と影を総括しています。そしてアメリカのヌスバウム女史によるソクラテス批判 ――それは主として論駁法の実践に関わるものですが――を参照しつつ、いわば「第四の若者」としてのプラトンが、ソクラテス流の「徳の勧め」に対してどのような修正を加えたのかを概観して、本書は終ります。

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