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ウラ側から見た“日本金融史” バブル、金融自由化、ITバブル、グローバル経済、そして30年間上がらない平均賃金……

記事:作品社

増田幸弘『失われた時、盗まれた国 ある金融マンを通して見た〈平成30年戦争〉』(作品社)
増田幸弘『失われた時、盗まれた国 ある金融マンを通して見た〈平成30年戦争〉』(作品社)

 本書は、FX会社(外為どっとコム)の創設メンバーであり、日本金融界の80年代半ば~21世紀の激動の時代に、最前線で活躍してきた笹子善充氏が、金融業界のオモテとウラを初めて語ったものである。バブル経済の狂乱と崩壊。金融自由化とITバブルによって、金融マンたちが人格崩壊と引き換えに弱肉強食を勝ち抜くことによって、天文学的な利益をあげていく姿。ホリエモンや村上ファンド、そしてマネーに群がり暗躍する自民党の政治家たち、暴力団のヤミ金融ルート……。そして経済大国は、いつのまにか貧困大国になっていた――

昭和という時代、高度経済成長によって、その風景は日々変わっていった。笹子氏の暮らした新所沢団地には、バックネットのある本格的な野球場が整備され、父と野球に熱中したという。
昭和という時代、高度経済成長によって、その風景は日々変わっていった。笹子氏の暮らした新所沢団地には、バックネットのある本格的な野球場が整備され、父と野球に熱中したという。

なんで日本は、こんなになってしまったのだろう?

 昭和が終わって平成がはじまったとき、『昭和 二万日の全記録』(講談社、1989~91年)の制作に携わった。全19巻という大部なもので、昭和に何があったのか、大勢の編集者らが参加して日録をまとめた。このうち昭和51年から54年を収めた第16巻「日本株式会社の素顔」が属したチームの担当で、私は東京の地下鉄路線図のできた背景などについて関係者らの証言を集め、文章にした。

 この本が出揃って間もないころ、取材をした房総のカジキ漁師宅に全巻が並んでいるのを見た。それは、私がフリーランスの立場でメディアや出版の仕事をこれまでつづけてきた、ひとつの原風景になっている。

 昭和をめぐり、ほかにも毎日新聞社が『昭和史全記録』(1989年)や『20世紀年表』(1997年)というぶ厚い一冊本のクロニクルをつくった。この2冊をいつも私は手元におき、記事を書くときの参考にしたり、漠然とページをめくったりしてきた。編集長をつとめた西井一夫さんは『カメラ毎日』の編集者として、日本の写真史と深い関わりがあることで知られるが、50代半ばで亡くなった。

 平成が令和に変わったとき、奇しくも西井さんが亡くなったのと同じ年齢になっていたのを多少意識しながら、同じようなクロニクルが出版されるのであれば、なんらかのかたちでまた携わりたいと思っていた。歴史問題が国を挙げて紛糾し、「歴史修正主義」と呼ばれる考え方が広まる今こそ、時代の流れを俯瞰できる本が必要とされているはずだった。とはいっても「出版不況」と呼ばれるなか、『昭和 二万日の全記録』のような大型企画が立ち上がるかは未知数だった。

 終戦の翌年、東京の下町に生まれた西井さんが『昭和史全記録』をまとめたとき、焼け野原だった町がバブル景気に沸くのを見て、「なんでこんなになってしまったのだろう?」と考えたにちがいない。高度経済成長期の東京で生まれ、平成のはじめに仕事に就き、結婚して二人の子どもを育ててきた私にとって、平成はそっくりそのまま同時代史なのだが、バブルからその崩壊を経て現在に至る日本を考えるにつけ、「なんでこんなになってしまったのだろう?」と途方に暮れている。

バブルという狂乱の象徴の一つ、当時大流行した「ノーパンしゃぶしゃぶ」のチラシ。
笹子氏は夜ごとここで銀行の為替ディーラーらを接待した。
バブルという狂乱の象徴の一つ、当時大流行した「ノーパンしゃぶしゃぶ」のチラシ。 笹子氏は夜ごとここで銀行の為替ディーラーらを接待した。

バブル経済という狂乱が、日本社会を根本的に変えていった

 世代が変わり、90年代はじめに生まれた自分の子どもたちが社会に出て働きだしたころ、「バブル世代」と揶揄されるようになっていた。「無能でクズで使えない」というのがもっぱらの世評で、私自身、これまで何度とはなく、優秀な下の世代から厳しく指摘されたり、からかわれたりしてきた。自分にたいした能力がないのは確かだし、このような時代にした責任の一端は自分たちの世代にあるのかもしれないと、そのたびに申し訳ない気持ちで一杯になりながら、「でも……」となにかを伝えたくともうまく言葉にできずにきた。

 平成の30年のあいだに何があったのだろうと振り返っても、いまひとつ要領を得ずにいた。思い出そうとしても、考えようとしても、電波の感度が悪くてノイズとともに砂嵐が乱れ映るアナログ放送のテレビ画面みたいに像を結ばず、頭が痺れてくる。いかんせん、自分の経験したことさえ、「そんなことはない」などと、否定されてしまうのだから戸惑いは大きい。

 この間、さまざまな価値観が大きく変わり、なかには意味が逆転してしまったものもあるのだから、そう思われるのも無理はない。平成のはじめ、世界の時価総額ランキングのトップ10に日本企業が7社も名を連ねていたにもかかわらず、平成の終わりには見る影もなくなった。

 なかでも13行あった都市銀行が4行にまで減り、銀行員だった人たちがどうなったのか、ずっと気になっていた。その狭間に平成のコアな部分があると感じていたからだが、なかなか取っ掛かりを得られなかった。銀行の広報窓口に問い合わせて聞ける話でもない。知人の銀行員に尋ねたところで、守秘義務の観点からみな口が堅い。それに経済のことはわからないと、ずっと思い込まされてきた。日々の生活や仕事が経済そのものであるはずなのに、専門家に任せておくしかないと、どこか他人事なところがあったのである。

 しかし、そうこうしているうちに「失われた10年」は「失われた20年」になり、「失われた30年」になっていった。2013年に発表された「アベノミクス」で国はその脱却をうたったものの何の効果も実感できず、逆に格差が広がり、生活はますます苦しくなっていった。そんななか、国を挙げて投資やカジノを推進しようとしているのだから訳がわからない。

 私の周囲でも2000年を過ぎたころから、企業や研究所に勤める同世代の何人かが、「投資で生計を立てる」と言って退職した。インターネットで外国為替証拠金取引(FX)や株のデイトレ(デイトレード)をやるのだと熱心に語った。お前もやってみろ、と言うので試してみたものの、お金が溶けていく怖ろしさがあり、すぐにやめた。景気のいい話をしていた人とはいつしか音信不通となり、あるいは突然連絡してきて奇妙な勧誘をした。マルチ商法なのは明らかだった。いつしかネットには「お金を簡単に稼げます」といった言葉があふれだしていた。

為替ブローカーのメイタン・トラディションに転職したばかりのころの笹子氏(中央)。
為替ブローカーのメイタン・トラディションに転職したばかりのころの笹子氏(中央)。

一人の金融マンの生きざまを追い、日本再起動の糸口を探す

 古い知り合いが「香港のアニキ」と呼ぶ男のことを知ったのは、かれこれ十数年前のことで、噂話を面白おかしく聞かされていた。銀座で高級寿司をおごってもらった。ファーストクラスで一緒にイタリア旅行をした。ずいぶん大きなお金を動かしているらしい。なんでも愛車はランボルギーニだという。

 浮き世離れした話ばかりだった。普段から冗談ばかり言っている人なので、作り話だと思って聞き流していた。しかし、あるときその人が「笹子善充」という実在の人物で、都市銀行・為替ブローカーを経てFX会社の立ち上げに関わったのを知った。

 一年ほど、彼のブログやSNSを見て、どういう人なのかを観察した。何をしているのかわからない危なっかしいところがあるうえ、右派寄りの発言が目立ち、下品な話題も多い。普段なら見ているだけで満足し、近づこうとはしなかったかもしれない。だが、平成を考えるうえでキレイ事では片づけられない、社会や人間の薄汚い面も見過ごせないのを、取材者としていろいろな場面で感じてきた。

 何がでてくるかわからないが、ひとりの金融マンの光と影に焦点をあてることで、見えていなかったものが見えてくるのではないか、との思いが次第に募っていった。実際、大部なクロニクルが成り立った昭和とは違い、平成史は個人でまとめる試みが相次いだ。社会の分断が進んで国民共通の歴史を描きにくくなり、個人に焦点をあてたほうが、収拾がつきやすいのかもしれない。

 こうして2016年、香港に出向いてはじめて笹子さんに会って話を聞いて以来、記憶をたぐるように取材を重ね、まとめたのが本書である。まったく違う世界に生きていると思っていた笹子さんに話を聞きながら、私と共通項がいくつかあるのを知った。子どものころに所沢という東京郊外のベッドタウンで過ごし、また同じ2000年代半ばに日本を離れて外国での生活をはじめたことである。そこで彼の生き様と所沢の発展(それは堤義明の率いた西武鉄道グループと、兄・清二のセゾングループの発展とも重なる)を合わせ鏡にしたうえ、そのときどきの社会や政治、文化の動きについての解説を組子細工にしていく同時代史を模索した。

 グローバル経済という“見えない戦争”である「平成30年戦争」を追った本書の発刊と合わせるかのように、ウクライナを舞台に“見える戦争がはじまった。金融のウラ側に興味がある人ばかりではなく、高度経済成長やバブルを知らない世代も本書を手にとり、この時代の新たな転換点を見つめ直し、日本再起動の糸口を探す機会としていただけたら、一記者として望外の喜びである。

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