果てなき“文芸の共和国”を目指す〈ルリユール叢書〉とはーーひとり編集部で30冊刊行できたわけ
記事:幻戯書房
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〈ルリユール叢書〉30冊目のジョルジュ・シムノン『運河の家 人殺し』(森井良=訳/瀬名秀明=解説)の見本が出来上がった。発刊から丸2年と9カ月、あっという間の歳月であったが、〈ルリユール叢書〉編集部をどうにかひとりで運営してきた。ぼくはいい大人(おっさん)であり、周囲もいい大人なので、誰も褒めてはくれない。『よくやったよな』と自分で自分をとりあえず褒めておこうかと思う。
30冊を33カ月で刊行しているということは、毎月一冊いくかどうかのペースで制作進行をこなしてきた計算になる。小社はあくまでも小社であるから、大手出版社の、資本もマンパワーも余裕ありそうな立派な会社組織とはまるで環境が違う。企画から編集、組版・修正などのDTPなどの制作(印刷・製本はさすがにできません)、校正・校閲にいたるまでを一手に引き受けて、一冊ごと、時に数冊をリリースし、営業・販売担当に引き継ぐというかたちである。売れ線の書籍に支えられて、年間4、5冊でいいですというわけにはいかない。ハイペースに毎月何かを出し続けなくてはならない。企画も自分でほとんど決定を下し、原稿整理から何からやっているので、編集長にして編集部員という、“ひとり編集部”状態である。
そんな“ひとり編集部”の自分は、どのように、このルリユール叢書を編集してきたか――個人的な苦労話を書きつけても苦労は減らないが、あれやこれやとひとりでこなそうとする不器用さをご笑覧いただければ、と思う。
〈叢書〉と謳うからには、一冊や二冊では全然足りず、数十冊など、複数冊を刊行し続けなければならない。まずは叢書のコンセプトをしっかと固め、企画の立案にはじまり、著訳者に向けて翻訳依頼や相談をひたすら行っていった。参加いただけることになった外国文学研究者の方々にはさらに、志高き翻訳者がいればお声がけ、推薦などをいただき、さらに翻訳企画を方々からかき集めていく――初めはその繰り返しであった。
そうこうしているうちに、はじめは手指で数えられた翻訳企画も、みるみるうちに中々の数の企画が集まってきた(企画はこちらが翻訳してもらいたい作家・作品を提案することもあれば、翻訳者の方からご提案いただくものもある)。
編集者なら誰もがそうだろうが、企画というのは実現前の構想段階の頃が最も楽しいものである。実現し、いざスタートを切ったが最後、仕事をまわし続けることに日々、四苦八苦するばかりだ。自分が播いて成長したものはみずからの手で収穫しなければならない。そのように播いたルリユール叢書企画は次々と集まってきて、やがて原稿ができてくる。原稿を読んで、整理してゲラを自分で拵えて訳者に送付する。訳者から著者校(訳者校)が届き、届いた赤字を直していたら、また別の原稿が、ゲラが戻ってきてという……ちぎっては投げの円環である。他の人に預けておいて進めてもらうということがかなわない。これは中々しんどいものがあるが、ちぎっては投げのサイクルを果たせるのも、自分が習得したDTPの能力あってのことだ。
最初に就職したフランス語の教科書会社では、「InDesign CS2」というDTPソフトを自分で使うことから自分の編集者生活はスタートした。マニュアル本を見ながら実地で組版をやって覚えていく。そうしてインデザインの使い方をマスターし、DTP技術も身につけた。エディタースクールで学んではいたものの、原稿やゲラに赤字指定する機会があまりないままに、ここまできてしまったのである。他の出版社に所属している頃は、ゲラに赤字を入れてインデザイナーから修正ゲラをあげてもらうということを経験したが、出来上がってくるのが待ち遠しいほどに遅かった! 著訳者の赤字の入ったゲラを、インデザインで自分で修正してしまったほうが早く出せるではないかということに気づいてしまう。
今のように、ひとり編集部体制に落ち着くまで、いろいろな出版社に片足を突っ込み、もう片足でフリーランスをやっていたりという、どんなふうに転がっていくかわからない編集稼業をやってきた。そんな危なっかしい綱渡りをやってこられたのは、タッグを組める編集仲間(出版社所属の編集者ら)の協力あってのことだ。とりわけ、優れたブックデザイナーの存在なしに、自分の書籍編集稼業は成り立たなかった。組版も、本文設計も、それなりにできるようになっていたが、エディトリアルデザイナーの設計した本文版面は惚れ惚れするほど美しく機能的なものだ。プロフェッショナルなものとそうでないものの違いは、編集歴を重ねていくと(DTPを経験する者だから一層だが)、やはり身に染みてよくわかるように思う。
ここで〈ルリユール叢書〉の話に戻すが、叢書のグランドデザイン、一冊一冊の本の装丁や造本設計、各種の本文版面設計などは、長年、ともに仕事をしてきたブックデザイナー・小沼宏之氏に一任している(www.gibbon-gibbon.jp)。
小沼氏の仕事はつねに迅速かつ的確で、さらに緻密なデザイン設計(シャープで合理的でつねに美しい!)をしてくれる。自分の方で、DTPを進めるにあたってのフォーマット提供(文字組、送りやスタイルのきめ細やかな設定がされている!)がなければ、はっきりいって、月一冊のペースで刊行することも、月に10冊以上のDTPをひとりで丸抱えして組版・修正など、ゲラを作ることもかなわなかったのは間違いない。ハイペースでこちらから注文を出すにもかかわらず、何時でもそれに応えてくれるこの強力なデザイナーなくして、〈ルリユール叢書〉も、これまでの自分の編集企画の多くも成立しえなかった。
また、ルリユール叢書の〈叢書ロゴ〉と各作家のプロフィールイラストを担当してくれる、丸山有美氏のも、自分の注文イメージをすぐにくみ取ってくれてイラストを完成させてくれる。そうしたわけで、ひとり編集部でも、心強い協力者の力を借りて、本叢書は成り立っているわけである。
3年前の今頃、〈ルリユール叢書〉創刊準備に追われていた。とりわけ、発刊告知のチラシに記す[本叢書の特色]のひとつ、「世界文学史・文化史が見えてくる「作家年譜」が付きます」と謳った年表づくりと、〈ルリユール叢書〉の刊行意義にあたる「発刊の言」をどうまとめるか思案中であった。
このように、〈ルリユール叢書〉では、作家年譜(大文字)と並行して同時代のできごとを、政治・社会・経済・技術等の歴史事象、文学史・文化史を織り交ぜて掲載している。同時代のできごとは叢書の共通年表ともなっているのが特色といえる。それは、叢書で扱う作家・作品の時代性を探り、世界文学史のなかに位置づける試みだ。またルリユール叢書の既刊書、刊行予定書目を太字で忍ばせた。作家年譜を眺める読者が、既刊書、刊行予定書を楽しく発見してもらえたら、というねらいである。
この年譜も、文学史年表、各種歴史年表などを参考に、独自にブレンドして仕上げたものである。当然ながら完璧なものではなく、翻訳者にして文学研究者というスペシャリストの力を借りながら、更新や改良し続けているものである。〈ルリユール叢書〉の既刊書や予定書など関連書を組み込む方針を決定してしまったため、叢書の既刊書が増えるたびに、作家・作品の関連書もおのずと増えていく運命にあり、自分で自分の首を絞めることにつながってしまった。どんな文学書にもそれなりの作家年譜や年表がふされていたりするが、これだけ年譜と睨めっこしながら作成・修正を行い、校正・校閲で苦しまなければならなくなるとは……。端的に見通しが甘かっただけのことであるが。
記事冒頭に掲載した、背の並んだ30冊の叢書はご覧のとおり、1冊ごとに異なる3色のカバー・帯・表紙から成っている。この3色は、作品内容に関連する色合い、作風のイメージから選ばれた特色で構成されている。叢書のなかには関連作品や同作家の二タイトルなどがある。いわば同士であることを示すために、同色を表紙・カバー・帯のどこかに忍ばせ、関連することをデザインしている。文芸書には、絵画や写真などの芸術作品を装丁に採用し、本の顔にすることは珍しくない。はじめはそういったデザインも思案していたが、考案、選定の時間と、作品内容に必ずしも合致しないケースも見越し、採用しなかった。「カバー・帯・表紙3段重ねで見せる」という小沼氏のナイスアイデアをうけ、恣意的な選択ではなく、「作品を3色の色味で表現するとしたら?」という問いをみずからに課した。「この本はこの3色だ」と色彩で作品内容を批評すべく、『どんな色味にするか』を念頭に、ゲラを読んでいる次第である。
こうして、ルリユール叢書の装丁はカラフルにして統一感を兼ね備えたものとなり、一目見て、ルリユール叢書だと認知してもらえることに結びついたと考えている。
多彩なのは、カバー・帯・表紙の色紙ばかりではない。扱う作品の作風もジャンルも多種多様であることが本叢書の大きな特色だ。発刊を知らせるチラシに記した「発刊の言」(既刊書の巻末にも掲載)は、だいぶ背伸びをした宣言だが、ルリユール叢書のラインナップの多彩さを謳うものとして以下のように記した。
〈ルリユール叢書〉は、どこかの書棚でよき隣人として一所に集う――私たち人間が希望しながらも容易に実現しえない、異文化・異言語・異人同士が寛容と友愛で結びあうユートピアのような――〈文芸の共和国〉を目指します。
はたしてこの宣言通りになっているかどうか。ルリユール叢書では、小説、詩、戯曲、評論、エッセイなど、文学の形式もいろいろだが、刊行した30冊の既刊書を内容・ジャンルで眺めてみると、「寛容と友愛で結びあうユートピア」がどうかはともかく、なかなかの混在郷(ヘテロトピア)の観を呈していることがわかるだろう。
[内容・ジャンル別]
リベルタン小説(『フェリシア、私の愚行録』、『修繕屋マルゴ』)/模範小説(『アベル・サンチェス』)/朗読小説(『ドクター・マリゴールド』)/幻滅小説(『ニルス・リューネ』)/郷土文学(『従弟クリスティアンの家で』)/独裁者小説(『独裁者ティラノ・バンデラス』)/政治小説(『ボスの影』)/ノワール(『マクティーグ』、『ミルドレッド・ピアース』)/都市小説(『マクティーグ』、『ミルドレッド・ピアース』、『ボスの影』)/扇情小説(『仮面の陰に あるいは女の力』)/歴史小説(『放浪者 あるいは海賊ペロル』)/海洋小説(『放浪者 あるいは海賊ペロル』)/教養小説(『ヘンリヒ・シュティリング自伝』)/伝記小説(『フラッシュ ある犬の伝記』)/反自伝小説(『子供時代』)/蟄居文学(『部屋をめぐる旅』)/紀行文学(『修繕屋マルゴ』収録)/幻想小説(『復讐の女/招かれた女たち』)/ロマン・デュール(※「硬い小説」の意。『運河の家 人殺し』)/マニエリスム小説(『ルツィンデ』)/戯曲(『アルフィエーリ悲劇選 フィリッポ・サウル』/『颱風(タイフーン)』/『シラー戯曲傑作選 ヴィルヘルム・テル』)/叙事詩(『山の花環 小宇宙の光』)/詩(『アムール・ジョーヌ』、『魂の不滅なる白い砂漠』、『フラッシュ ある犬の伝記』収録)/散文詩(『イェレナ、いない女』収録)、詩論(『呪われた人たち』『魂の不滅なる白い砂漠』)/評論(『ルツィンデ』)、エッセイ・散文集(『イェレナ、いない女』収録、『断想集』、『フラッシュ ある犬の伝記』収録)、哲学断想(『ルツィンデ』、『断想集』)……
こうした多彩な〈ルリユール叢書〉が現代の読者の期待に添うものかどうかまだ測り知れないが、大ヒットこそ生まれないものの、重版を重ねる本、注目を浴びる本も出てきており、ますます注目を浴びるタイトルを世に送り出したいと思う。
ルリユール叢書がこうして多種多様に編まれていることは、ひとえに世界文学そのものの多彩さに拠っている。ルリユール叢書が〈全集〉でなく〈叢書〉にすぎないのは、世界文学にははじまりも終わりもないと考えるからだ。時代に応じて、人々が眼差す世界文学のかたちも変容を蒙る。世界文学の正典(キャノン)となる古典作品もまた然りだろう。
ルリユール叢書は、たまたま目についた本、気になった本を紐解いてみてもらうことを目指している。気になる装丁の本から気軽に手に取ってもらい、知らない作家・作品と出会ってもらいたい。未知との遭遇を通じて「これぞ文学だ」と思う出会いが、世界文学を読む面白さの一つだろう。その面白さこそが、ルリユール叢書の最大の特色であり、外国文学研究者を中心とした訳者陣による翻訳と註釈、「訳者解題」が保証してくれる。一冊を手にすれば、その作家のことがおおよそ知れる充実した「訳者解題」と「年譜」が理解の後押しをしてくれるはずだ。
ルリユール叢書が〈文芸の共和国〉を目指すのは、世界各国の文学を扱うだけでなく、文学の内実を下手に限定したくないという思いからでもある(続刊ラインナップの中には、歴史書、地理学、芸術評論に属すような書物も存在している)。「散文と詩は区分することが可能か」「文学と哲学の違いは」「小説は批評ではないのか」等々。截然と、容易に白黒をつけて済ませたがる現代にあって、文学はなぜ曖昧な言語芸術であり続けるのか――これからも続くであろうひとり編集部の体制に備え、健康管理に気をつけながら、今後も文学を考える場としての〈文芸の共和国〉を目指し、面白い文学の世界を発掘してお届けできるよう努めていきたい。
(幻戯書房編集部・中村健太郎)
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