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デンマーク詩人が紡いだプレパラートの中の言葉 ――ふたたび世界に出逢うまで

2021年5月に〈ルリユール叢書〉から刊行した、J・P・ヤコブセン『ニルス・リューネ』(奥山裕介訳、幻戯書房)に出てくる「朱いヴァーベナ」。植物学者である作者は作中に多種多様な植物を登場させ、独特な色彩感覚で情景を叙述した
2021年5月に〈ルリユール叢書〉から刊行した、J・P・ヤコブセン『ニルス・リューネ』(奥山裕介訳、幻戯書房)に出てくる「朱いヴァーベナ」。植物学者である作者は作中に多種多様な植物を登場させ、独特な色彩感覚で情景を叙述した

生の準備期のために

 昔から私は、人生の準備期というものへの興味が人一倍強かったように思う。幼少期に出会う親や友や師、環境から細大の印象を受けとりながら、人間の内面では何が起こっているのか。またそれが数年後の生き方にどのような陰翳を落とすのか。また、それらの陰翳を拾いあげて観察し、その分析の跡を言葉にとどめることができれば、それはどんな物語になるだろう。茫漠とした謎を追うように、若年の自分がどこへ向かおうとしているのかという不安や期待にも駆られながら、国内外の文学書を多読した時期もあった。

 先ごろ翻訳したデンマークの詩人J・P・ヤコブセンの『ニルス・リューネ』(1880年)は、ロマンティックな詩世界に心奪われる夢想家肌の母と、凡庸な農園経営者である父の間に生まれた少年の成長と孤立、そして死に至る過程をたどった小説である。詳しくは訳書を読んでいただきたいが、伝統宗教や観念の世界を脱して世界のありのままの姿を詩に歌おうと願う男が、恋に破れ、旧社会の慣習にも屈し、いつまでも足踏みしたまま生涯を終える物語といっていい。

 かつて山室静の旧訳には、『ニイルス・リイネ』の題が掲げられた。高校時代、この先達の概説書『北欧文学ノート』(東海大学出版会、1980年)でヤコブセンの小説を知って、はや20年になる。北欧の詩人の細密きわまる心理解剖の書は、自己の生を生きる機会を得ず準備期間のまま終わった男の物語といってよく、上述の問いをぶつけるには絶好の作品であった。このたび、不完全な訳ではあるがともかく自分の鑿(のみ)で訳文を彫琢し、上梓に至ったことを喜んでいる。

顕微鏡を覗く詩人

 人生の準備期間といえば、『ニルス・リューネ』を書いたヤコブセンが詩人の道を選びとるまでの模索時代ほど、豊饒な予感に満ちた年月はあるまい。訳書に付した作家年譜を読み返すにつけ、1870年前後の青春時代の濃密さには溜め息が出る。植物学の徒としてデンマーク各地の湖沼に踏み入り塵藻(ちりも)を採集するかたわら、青春の心の疼きを抒情詩に定着させる多忙な生活である。コペンハーゲンの下宿は、試料を封じたプレパラートと詩稿で埋め尽くされていたという。

ヤコブセン『ニルス・リューネ』と原書版。今回の翻訳ではドイツ語訳、英語訳にもあたり、それらの不備も補いながら訳文を練った
ヤコブセン『ニルス・リューネ』と原書版。今回の翻訳ではドイツ語訳、英語訳にもあたり、それらの不備も補いながら訳文を練った

 『ニルス・リューネ』に出てくる花や樹についても、訳者としては形象のひとつひとつに静物画のような実在感を与えることを願った。ヤコブセンのように沼地に身を浸すまではいかないが、訳稿を起こしてしばらく経ったころ、交野(かたの)の大阪市立大学附属植物園を久々に歩いてみた。ときに葉や花の触感を掌に確かめながら、自分の言葉に真実の質量が宿ることを密かに念じた。

 これは単に写実性を追求するという意味ではない。たとえば、「蔓から蔓を伸ばすその轟音が、薔薇やそれにもまして見事な花叢(はなむら)を絡みつかせ、ひと束ねにして、小さな葉をはらはら落とし、花を一輪ずつ散らした」(214頁)以下の描写など、詩人みずから〈アラベスク〉と称したように、リアリズムの形象性を犠牲にしつつ生の深奥を覗かせる。彼の詩や散文は、人間の情想をガラス板に固定して押し潰し、その成分を顕微鏡にかけて眺めるような小宇宙的ヴィジョンを開示する。世界から採取した謎めいた印象がこのような言語の彩文に定着されるまでに、どれほど沈黙と凝滞を要したことだろう。さながら自分を世界から切断し、プレパラートに閉じ込めて眺めるかのような、豊饒で孤独な自己探究がそこにあったのではないか。

「蔓から蔓を伸ばすその轟音が、薔薇やそれにもまして見事な花叢を絡みつかせ、ひと束ねにして、小さな葉をはらはら落とし、花を一輪ずつ散らしたあとには、しなやかな剥き出しの柳枝が解きがたい絆で蔓を結び合わせているのみであった。…」ヤコブセンがみずから〈アラベスク〉と呼んだ詩言語の、生命の躍動感に溢れる描写の一節
「蔓から蔓を伸ばすその轟音が、薔薇やそれにもまして見事な花叢を絡みつかせ、ひと束ねにして、小さな葉をはらはら落とし、花を一輪ずつ散らしたあとには、しなやかな剥き出しの柳枝が解きがたい絆で蔓を結び合わせているのみであった。…」ヤコブセンがみずから〈アラベスク〉と呼んだ詩言語の、生命の躍動感に溢れる描写の一節

世界と隔てられた生の虚しさ

 世界的な疫禍で社会関係が断たれがちな今、学校に通うこともできず沈鬱な日々を送る若者は、ニルスに似て世界から孤絶した状態にあるとはいえないか。感染防止の必要上仕方のない隔離措置だが、大学教員の中には「絵に描いたような青春の夢想は捨てろ」とにべなく公言する者もいる。いかに青春期の内面生活というものが、世界的災厄の到来以前からこの社会で粗雑に扱われてきたことかと思いやられる。

 若い人が訴える沈鬱とは実のところ、世界と触れ合っているという生々(いきいき)した手応えを奪われた者の飢餓感ではないのか。これを幼稚な感傷と斥けるのは容易だが、若者とて前途に甘美な享楽ばかりを期待しているわけではあるまい。未知の世界との際会から生まれる歓びも悲しみも引き受けるべき生の段階を予感してこれからという矢先、他者との関係に至る道が余儀なく塞がれて、無限の空虚に窒息しているのではないだろうか。

 世界の姿が遮られた場にあって、この虚しさに形を与えようと言葉を捜している人々は、私たちが思うより多かろう。少なくとも文学の専門家は、この危機に瀕した青春の擁護者であっていいはずだ。果ての見えない準備期の寂しさも豊かさも北欧の詩人と確かめ合った私としては、世界との出逢いを待ちながら索漠たる日月を噛みしめる不安な人たちに、一粒でも多く糧を供したいと願っている。

『ニルス・リューネ』に収載しています、翻訳者・奥山裕介さんによる「訳者解題」の一部は、幻戯書房編集部のnoteで公開しています。併せてお読みください。

〈ルリユール叢書〉のInstagramアカウント公式アカウントでは、本書および他巻の紹介をしています。ぜひご覧ください。

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