英文学者・中野好夫が“素人市民”として憲法を勉強した理由 『私の憲法勉強』
記事:筑摩書房
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憲法関係の書物はいままでにも数多く出ています。そうしたなかにあって、専門外の素人(しろうと)が書いたわたしのこの小著などは、まことにみすぼらしいものであることはよく知っています。だが、そんなものでも出版することに同意しましたについては、わたしなりに三分の理由はあったつもりです。そのことからまず述べておきたいと思います。
わたし自身は、いうまでもなく憲法学者ではありません。法律学者ですらもありません。専門学問的にいえば、憲法や法律に関してはまるでずぶの素人です。したがって、もしこんな書物でも多少の読者が得られるものとすれば、おそらくはわたしが、大多数の読者諸氏と同じような、典型的な一般市民であるという意味からでしょう。では、そんなわたしがなにを勘ちがいして憲法関係の問題をしゃべったり、書いたりしたか。よけいなお世話かもしれません。引っ込んでいろという人もおられるかもしれません。
それについては、戦後やはり社会時評みたいな拙稿を集めて本にしたとき、それについて書いた「まえがき」の一節を引用させていただきます。本書についても、趣意はそのまま同じだからです。
いまふりかえってみても、敗戦前までのわたしは、ほとんどこの種専門外の文章は書いていない。むしろ政治のことは政治家に、外交のことは外交家に、軍事のことは軍人に、つまり、それぞれ専門家にまかせておいて、わたしなど素人がよけいな口出しなどすることはない、というくらいにさえ考えていたように思う。もちろんいいたいことがなかったわけではない。のどから手が出るほど、批判したいこともずいぶんあった。だが、それでもまだ、まあわたしなど専門外のものの発言するまでもあるまい、というような気持ちで、とにかくこの種の文章は書いていなかった。……そうしたわたしの暢気さを、あたかも目からウロコでも落ちるみたいに啓発してくれたのは、なんといっても敗戦の事実だった。
敗戦後、多くの日本人はだまされていた、といった。わたし自身は、だまされていたとはいいたくないが、しかしそれにしても信じたいと思っていた専門家諸氏が、実はすこしも信じるに値しない人たち、いや、それどころか、平気で国民をだましてなんとも思わない、おそるべき人間どもであることを、いやというほど思い知ったことは事実である。
そこでわたしの思ったことは、もう二度とけっしてだまされまいぞ。いや、わたしひとりだけではなく、日本国民全体が、二度とふたたびだまされない国民にならなければウソだ、ということであった。わたしたちの国民生活や社会生活をめぐって、つぎつぎと起こってくる問題を、もはや専門家まかせでその判断を頂戴しているばかりではいけない。とりわけ政府などはいちばん信用がならない。やはりめんどうでも、たいへんでも、問題そのものを自分自身で勉強して、とにかく自分なりに悔いのない、責任のもてる判断をつくるようにしなければだめだ。それがむしろ市民としての義務、責任だというふうに考えるようになった。
以上、引用のなかの時評という言葉を憲法問題とさえ言い変えていただけば、あとわたしの考えはすこしも変わっていません。「私の憲法勉強」と題することにしましたが、つまり、ここに収めたいくつかの文章は、要するにわたし自身の勉強を、そのままお伝えしただけのことで、けっして権威ある専門学者が、あなたがたに上から講習するというようなものではありません。ただし、わたしたちめいめいが、それぞれ孤立して同じ勉強の骨折りをくりかえすよりも、むしろわたしの勉強を公開して、無駄と労力をすこしでもなくそうと思っただけのことで、要するに、いっしょに勉強するつもりで読んでいただければ、そのほうがありがたいのです。
ここに収めた文章の一つが、ある雑誌に載ったときのことですが、たまたまある論壇月評家の俎上(そじょう)にのぼされました。いちおうの評価をいただいたようですが、ただ最後にただし書きが一つありました。――つまり、こんなことはすべてみなすでに知られている事実ばかりで、なに一つ新しいものはない、という趣旨のものでした。これにはまったく一言もありません。まことにそのとおりで、いわゆるとっておきの新事実などというものは、なに一つもちあわせていないのです。わたしのような素人市民でも、すこし注意して新聞や雑誌や、また憲法改正問題研究書や憲法調査会議事録などのいくつかを読み、それを記憶にさえとどめておけば、これはもうすべて既知の事実ばかりなのです。いわゆる秘録とか秘密情報とかいったような資料は、なに一つもちあわせていません。もちろん、いまでは入手困難になったような印刷物も、多少は使っていますが、大部分は見ようと思えばだれにでも手にはいる活字になった材料ばかりを使っているはずです。いわゆる人づてだけに聞いた個人的な談話などは、むしろ意識的に除いたくらいです。たとえどんなにおもしろく、どんなにおもしろそうなものでも、たしかな根拠のないものは絶対に避けたかったからです。
そんなわけで、前にも引いた論壇月評家のような有識者にとっても、まことにその批評どおり、なに一つ新しい事実などないのは当然です。だが、世間は必ずしも論壇月評家のような有識市民ばかりとはかぎりますまい。その証拠には、先にも述べましたように、憲法問題に関する世論調査がなされるたびに、いまもっていわゆるD・K・グループ、つまり、わからないと答える人たちが半分近く─問題によっては実に過半数を占めていることから見てもわかりましょう。しかも忘れてならないことは、かりにひとたび憲法改正が進行するとすれば、そしてそれが憲法第九十六条に規定されている手続きの国民投票にかかるとすれば、この半数を前後するD・K・グループの人も、やはり賛否どちらかの一票を投じなければならないのであり、いわば自分たち将来の運命を決定する力を握っているといってもいいのです。改憲か、護憲か、それは国民の決定することですから、その成否はなんともいえませんが、かりにもしこの大きなD・K・グループが運命を左右することになり、あとで、そんなはずではなかったというのでは、いくらなんでも成仏しきれないものがあるのではありますまいか。いずれにしても、「わからない」「知らない」の票で、この問題の決着がつけられるということだけは、起こらせたくないのです。
それからもう一つ。憲法改正問題といいましても、ここに収めたいくつかの文章は、ひろく憲法問題の全般にわたっているわけではありません。改憲問題の純法律的な側面よりも、政治的な側面を扱ったものばかりが、すべてといっていいと思います。その点は、はなはだつり合いを欠いていることはよくわかっていますが、これはわたし自身が専門外の一般市民であるとか、はじめから案内書として計画的に書いたものではないというような理由のほかに、現在起こっている改憲論は、それが多分に政治的なものであるという理由にもよるものであることを、理解していただきたいと思います。
もともと憲法をつくるとか、憲法を変えるとかいうことは、東西古今、どこの国でも、いつの時代でも、けっして純粋な法律の問題だけではない。多分にそれは政治的な行為であるのが常ですが、とりわけ現在わたしたちの周囲に起こっている改憲論には、そうした政治的要請が強い推進力になっていることが明瞭です。だからこそ、およそ法律論とは縁のない「押しつけ」論、「自主的憲法」論議などが、終始強力に打ち出されていることは、ご存じのとおりです、しかも改憲の問題が、法律学者ならぬ大多数一般市民に訴えかけられるかぎり、こうした政治論がまず雰囲気醸成の手段として、いよいよ前景に押し出されることは当然です。そこでわたしなどの折りにふれて発言したものが、おのずからまた相手方の政治論に対応することになったのは、これまた当然というほかありません。前にもいった構成のアンバランスは、そうしたことからも起こった偏りとして、諒承をねがいたいと思います。
なお、最後の章の「日本人の憲法意識」は、わたし自身が何人かの知人と協力して行なった世論調査をもとにしたものです。しかし、ごらんのとおり、これはまことにささやかな豆調査です。したがって、これから大きな概括的結論を引き出すには、ずいぶん不完全なものであることはよく承知しています。だが、どこからも金の出るわけでありませんので、実はこれもわたしひとりのポケット= マネーでやったわけですが、たったこれだけのことでも十二、三万円はかかったことを覚えています。逆にいえば、これ以上に手をひろげることはとうていできなかったということです。
だが、出たこの結果はとにかく、質問表のつくり方にはかなり苦心を払ったつもりですし、その点ではいまでもいささか自信をもっています。ですから、質問表もそのままついでに出しておきました。もちろん調査を行ないましたのは、いまからいえばもう七年も前、昭和三十三年の秋でしたから、いまではもうこの質問がそのまま妥当だとはけっして思いません。だが、同時に、今日の状況に即して多少の修正を加えてさえいただければ、いまでも十分使用にたえるかとも思うのです。付録として出しました意味は、どんな小さな範囲でもよろしいから、できればこれを修正したものを利用して、どなたでもよろしい、地域なりグループなりの憲法意識の調査を試みてもらいたいと思います。相当信頼のできる意識調査が、五年おきなり十年おきなりにできていれば、変化を見るうえにどんなに役に立つか、そのことを考えたからです。
(中野好夫『私の憲法勉強――嵐の中に立つ日本の基本法』(ちくま学芸文庫)第1章「わたしの憲法勉強」より)