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「ユートピア社会主義」の古典が本邦初完訳にて蘇る!(シャルル・フーリエ『産業の新世界』)

記事:作品社

『産業の新世界』(福島知己訳、作品社刊)
『産業の新世界』(福島知己訳、作品社刊)

「ユートピア」と現実との関係

 シャルル・フーリエは、よく「ユートピア社会主義者」という名称で、ロバート・オウエン、アンリ・ド・サン=シモンと一括されている人物です。彼らの信奉者たちは、1820年代から40年代にかけてイギリスやフランスで社会運動を展開しました。やがて19世紀後半になって、社会主義諸流派の中でマルクス主義が抜きん出た地位を獲得しようとしたとき、エンゲルスはマルクス主義を「科学的社会主義」と呼んで、ユートピア社会主義との違いを強調しました。

 その意味で言うと、ユートピアという呼び方は、蔑称ということになります。要するに、科学的でない、ということです。しかし、エンゲルスの理解を別にすれば、フーリエの考え方を「ユートピア」という枠組で捉えるのは、それなりに有益であるように思います。

 もともとユートピアという言葉は、16世紀にイギリスの人文主義者トマス・モアによって、架空の島の名前として案出されました。モアの時代は、ヨーロッパ人がアメリカ大陸の調査を開始した時代でした。世界のどこかにあるとされるユートピアを物語の舞台に設定するということは、それだけで、それがヨーロッパの現実の出来事ではないということを含意していました。

 しかし、ヨーロッパ人の世界進出が進むにつれて、どこか余所の世界、という設定だけでは、現実とかかわりないとは言えなくなりました。その典型的な徴候が18世紀にブーガンヴィルが実際におこなった航海です。ブーガンヴィルは探検先であるタヒチ島から実際に少年をフランスに連れ帰っています。異界のはずの世界から実在の人間がやって来たわけです。

同じく福島氏の訳によるフーリエ『増補新板 愛の新世界』(作品社刊)
同じく福島氏の訳によるフーリエ『増補新板 愛の新世界』(作品社刊)

「ユートピア」と正反対のフーリエの構想

 したがって、ユートピアという概念が、時代が下るにつれ、次第に変遷していったと考えるべきです。焦点になるのは、エンゲルスとは違って、ユートピアと現実との関係です。19世紀にこの問題は、ユートピアと現実とを対立的に捉える考え方として現れたように思います。

 当のフーリエが、『産業の新世界』の以前に書かれた『家政と農業のアソシアシオン概論』という題名の著作において、そのような意味でユートピアという言葉を使っています。そこではユートピアとは「実施する手立ても効果的な方法ももたない善への熱望」と定義され、その実例として経済学、政治学、道徳学といった「哲学諸学」が挙げられています。こういう学問は、聞き心地のよい甘言を弄するが、現実に即していないばかりか、事態の悪化しか招かない、というのです。

 この意味では、フーリエの構想は、ユートピアの正反対です。『産業の新世界』には、産業ファランジュ(性格、年齢、能力を異にする多数の男女が集住し細かく分かれて労働する共同体で、1600人規模まで拡大すれば情念が最も発展できるとされる)の見取り図にせよ、初年度の必要経費の見積もりにせよ、事細かな説明が与えられています。このような仕方で共同体を設立すれば、うまくいくことは間違いない。そして、その財政的成功を見てすぐ誰もが模倣しようと思うようになり、その輪が広がって、たちまち世界中が同様の共同体で埋めつくされ、世界の調和が実現する、とフーリエは考えていました。

 フーリエの弟子たちはこの考えに飛びつきました。『産業の新世界』刊行から3年後の1832年から弟子たちはパリ近郊で共同体の実験を開始します。しかし、1年も経たずに頓挫してしまいました。

フーリエによる詳細な構想の一部(本書163頁より)
フーリエによる詳細な構想の一部(本書163頁より)

 大失敗もいいところです。フーリエ自身は、原因を共同体の建物を設計した建築士に求めていますが、それは責任転嫁というものでしょう。彼の考えもまた、空理空論にすぎなかったのでしょうか。

人間の「情念」に着目したフーリエ

 しかし、フーリエ本人は、別の次元で思考していたようにも思います。実際のところ、彼にとって、自分の考えが現実的である根拠は、人間の「情念」についてのひとつの見方でした。情念という言葉が難しければ、感情とか欲心と言い換えても、あながち間違いではありません。人間は理屈では動かない。つねに情念が勝つ。それが彼の信念でした。

 『産業の新世界』の中でフーリエは、政府高官が巨額の詐欺事件に引っかかって大損したとか、海外投資に失敗した証券仲買人が国外逃亡したといった、当時の公衆の耳目を引いた実際の事件に言及していますし、もっと生活に密着した例では、妻の気持ちを推し量れず嫉妬のあまり常軌を逸した行動に出て家庭生活をぶち壊しにする夫なども描いています。彼によれば、これらはすべて情念の破壊的な働きのせいなのです。ちょっと芝居がかった説明ですが、勢いに任せて走り回り、内奥の衝動そのままに叫び、当たり散らせば、そのあと待っているのは常識的に考えれば、紛れもない破綻です。

 しかし、情念を適切に配置すれば、うまく連繫しあって、物事がうまく転がることがある。すなわち、情念は調和的になりうる。そして、こういう情念の調和的な転換は、われわれの日常生活にも転がっている、と彼は考えていました。たまたま知り合った人とのおしゃべりがきっかけで一生を賭けるに足る天職を見つけるとか、趣味で始めた園芸が評価されその道の第一人者に登りつめるということ(どちらも『産業の新世界』に掲げられている例です)は、例外的かもしれないが、非現実的ではない、というわけです。

ユートピアは現実のあちこちに……

 つまり、ここにあるのは、現実に対するひとつの見方なのです。われわれの現実が失敗続きなのは確かです。しかし、ふとした瞬間にうまくいくことがある。現実の狭間にあるそういう芽吹きに水を遣り、花開かせれば、ちょうどファランジュが世界中に簇生するのと同じように、模倣され、拡大し、われわれの現実が真の意味で幸福になりうる。それが希望だというのです。

 フーリエ自身は否認しているにせよ、現実の狭間にあるものを、ユートピアと呼んで差し支えないように思います。ユートピアと現実は対立するものではなくて、ユートピアは現実のあちこちに芽生えている。ただそれを育てられていないだけだ。一見すると荒唐無稽なフーリエの叙述に思いのほか身につまされるものがあるのは、現実に対するこのような見方のためではないか。

 今日、ユートピアという言葉は、馬鹿にされるか、アミューズメント施設か何かの名称に利用されるか、どちらにしても、現実と縁遠いとみなされているように思います。そうではなく、現実の狭間に芽吹くユートピアは、花開く瞬間を待っている。そう考えることが、現実の閉塞感を打ち破るきっかけになる。本書が現代に読まれ直す理由があるとしたら、そんな可能性を気づかせてくれるからではないか、そう思います。

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