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哲学者デリダが「生き物の論理」を脱構築! 『ジャック・デリダ講義録 生死』

記事:白水社

生命科学について考える、差延の論理! 『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社刊)は、ジャコブ、ニーチェ、フロイトを脱構築的に読解することで、再生産や新陳代謝のメカニズムを哲学する。「生死」をともにする全14回の講義。[装丁=刈谷悠三+角田奈央/neucitora]
生命科学について考える、差延の論理! 『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社刊)は、ジャコブ、ニーチェ、フロイトを脱構築的に読解することで、再生産や新陳代謝のメカニズムを哲学する。「生死」をともにする全14回の講義。[装丁=刈谷悠三+角田奈央/neucitora]

 編者による覚書

 セミネール『生死』は1975年秋から1976年の5月もしくは6月にかけてジャック・デリダが、パリのユルム街の高等師範学校での哲学講師としての職務の枠組みで行なったセミネールである。セミネールのいずれの回も草稿中に日付が記されていないが、何箇所かあるカレンダーへの参照──「クリスマス休暇の前には」(第3回)、「イースター以後に残された何回かのうちに」(第10回)──から、セミネールの経過が推察される。このセミネールは全体で14回にわたり、デリダが高等師範学校で行なった年次講義の大半よりも長いものである。

『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社)目次
『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社)目次

 このセミネールの文脈を理解するには、この講義の前年度の1974年4月に、後に哲学教育についての研究グループ(GREPH)──ジャック・デリダはこのグループの主宰者であり、このグループはその後1979年6月に哲学三部会を開催することになる──となるグループの最初の一歩が踏み出されたということを知っておくことが重要である。つまり、『生死』講義が行なわれる数か月前の1975年1月にGREPH[Groupe de Recherches sur l’Enseignement PHilosophique]が正式に組織されたのである。おそらくこの時期にデリダは、彼の講義とセミネールのカタログに「GREPH(フランスのイデオローグにおけるイデオロギー概念)」というタイトルで記載されている、10回にわたる講義の第2シリーズを始めたのである。このシリーズの初回の、公刊された遺稿のなかで、デリダは当のシリーズを「ある種の対抗セミネール」と形容している。この言い回しから、『生死』はアグレガシオンの準備セミネールとして、このようにして反抗しなければならないものの例を挙げているとも考えられる。

 そして、一方で、このことは完全に誤っているというわけでもない。というのも、高等師範学校の「カイマン」として、デリダは自らの教育の主題やテーマを設定するにあたって、完全に自由ではなかったからである。反対に、彼は「プログラムに沿う」必要があった。プログラムとはこの場合、当該年度のアグレガシオンでの哲学のプログラムのことである。選抜試験を見据えた哲学教育におけるこのプログラム作成は、GREPHによる批判と分析の対象にされた主要な目標の1つであった。それゆえ、1976年の選抜試験では、告知されていたテーマは「生と死〔La vie et la mort〕」であったのだが、デリダはそれを変更し、等位接続詞の「と〔et〕」を捨て去ることでようやくタイトルを採用したのである。この変更について彼は〔このセミネールの〕第1回で詳細に説明している。

 しかし他方で、より広範には、このセミネールはGREPHの精神における「対抗セミネール」とも目される。なぜなら、ジャック・デリダは『生死』の初回の冒頭で以下のように書いていて、この点についていかなる疑念をも残していないからだ。

知っている方もおられるでしょうが、私は、数年前から毎年、各セミネールの冒頭で、この仕事において、ここで、アグレガシオンのプログラムに合わせるという不快感〔malaise〕について説明しています。他所でもここでも、アグレガシオン制度に対抗しているにもかかわらず、所与の条件においてこの制度と交渉するという私が行なう戦略的決定です。私がすでに述べたことを繰り返すつもりはありませんし、同じ図式を無限に再生産するつもりもありません。私はむしろ、アグレガシオンのプログラムという表題を分析することによって、それに順応するのではなく、それをこのセミネールの──脱構築されるべき──対象としたいのです。

 それゆえに、まさに「他所でもここでも」、哲学教育においてなおもプログラムされすぎていて、予定されすぎているものに反抗する、むしろそうしたものを脱構築する必要がある。この詳細が後に手書きで追記されたものであっても、初回のタイトルを「諸々のプログラム〔programmes〕」と複数形の語にすることで、デリダは明らかにこのことを念頭に置いていたのである。

 教育者としてのキャリアのほとんど最初期からしていたように、デリダはセミネール『生死』のテクストを完全に書き上げており、聴衆を前にしてそれを読み上げ、註釈をつけていた。当然のことながら、週に1度書くというこの実践は通常、他の刊行計画や講演計画と同時並行的に続けられていた。しかし時折、さらにはごく頻繁に、彼の知的活動の多様な側面はいわば、後に出版したり講演したりするにあたって、デリダがセミネールのために事前に書いていた原稿を繰り返す際にそうであったように、重なりあっていく。この点からすると、セミネール『生死』は範例的なセミネールである。なぜなら、このセミネールはデリダの筆になる2冊の大著で刊行されたテクストと、複数の講演で発表されたテクストの最初の草案を提供してくれているからである。

 たとえば、第2回は大きな修正を施されることもなく、『耳伝──ニーチェの教えと固有名の政治』に再録された。このテクストは初めに、1976年に英訳された講演として発表され、1979年にフランス語で講演原稿として再度発表されたものである。第8回および第9回の一部は、1981年にハンス=ゲオルグ・ガダマーの出席のもと、パリのゲーテ・インスティテュートでの講演でも再度読み上げられ、その後ドイツ語と英語に翻訳された。しかし、最も重要なことは紛れもなく、最後の4回が1980年に『絵葉書──ソクラテスからフロイトへ、そして彼岸』に再録されたことだ。「思弁する/投機する──フロイトについて」と題されたこの著作の第2部で、デリダは大筋において、この4回で辿った道筋に沿って論を進めているが、さまざまな仕方でこの道筋を練り上げ、複雑にしていることも事実である。『絵葉書』のこの章の導入部の註において、デリダはこの章の来歴を明示しつつ、実際に「三つの環〔boucles〕」が多種多様に交錯していくセミネールの回〔本書〕における野心的な道行きを強調している。

本論は、あるテクストの余白に自らを繋ぎ止めようとしている。そのテクストとは、フロイトの『快原理の彼岸』である。実際、私は本論を、三つの環からなる行程をたどるセミネールから抜粋している。このセミネールはニーチェのしかじかのテクストの註解〔explication〕から出発し、生物学、遺伝学、エピステモロジー、生命諸科学の歴史の「現代的」な問題系(ジャコブやカンギレムらの読解)のなかに入り込んでいった。第二の環は、ニーチェへの回帰、次いでハイデガーによるニーチェ読解との論争〔explication〕であった。そしてここで論じるのが、第三にして最後の環である。

 今日このセミネールを読む者にとって、これらのテクストの最初の状態──口頭で発表するために書かれたテクスト──と、出版されたバージョンとを比較することは非常に興味深いことである。私たちはこの比較の作業を体系的に行なったのだが、それによって私たちはジャック・デリダが自らの書いたものを読み返すときの入念さを見て取ることができただけではなかった。それに加えて私たちは、読解していく際に生じた問い──たいていはタイプ原稿に数多く残る手書きの加筆によるものである──を解決することもできた。デリダの筆跡が解読しがたいということは周知の通りだが、本書のように、他者に読まれるということを夢にも思わず、自分のためだけに書いたときほど解読が難しいことはない。私たちは最善の努力を尽くしたが、時折「読解不可能」なままの語を前にした私たちの当惑を、註のなかで指摘するに甘んじざるを得ないことがあった。

『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社)P.14-15より
『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社)P.14-15より

 しかし、セミネール『生死』への関心は、作品の「発生論的〔génétique〕」な考察において尽きせぬばかりか、ますます深まるばかりである。というのも、これらの原稿の大部分は今日にいたるまで、セミネール終了後一切出版されなかったからである。それは特に、「生命科学」を、とりわけ遺伝学〔la génétique〕──今度は文学的な意味ではなく生物学的な意味で──を扱う4回(第3回から第6回)に当てはまることである。ジョルジュ・カンギレムの書いたものや、特にフランスの高名な生物学者フランソワ・ジャコブの『生き物の論理』に対する粘り強くも辛辣な分析によって、ジャック・デリダは、いかにしてこれらの科学的な言説がその概念的な基盤にいたるまで脱構築されるのかを示している。そこでは、カンギレムやジャコブが、あまり多く自問することもなく、テクストやプログラム、痕跡、コード、代補、言語、隠喩、類比などの概念──言い換えるなら、かねてからデリダによって完全に編み直された概念──を展開している。生物学と遺伝学についての密度の濃い議論によって、セミネール『生死』が、生もしくは生き物、そして死──あるいは、セミネールでデリダがしているように、語と語のあいだの接続詞とスペースとを消し去って、生死〔lavielamort〕──についての問いをはじめとした、現代の科学における重要問題を扱うデリダの思考の整合性を打ち立てたことに異論はないように、私たちには思われる。

パスカル=アンヌ・ブロー
ペギー・カムフ

 

【『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社)所収「編者による覚書」より】

 

 

『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社)P.16-17より
『ジャック・デリダ講義録 生死』(白水社)P.16-17より

 

【関連動画:Derrida Seminars Translation Project Roundtable】

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