ビートルズをめぐる記念碑的超大作! クレイグ・ブラウン『ワン、ツー、スリー、フォー ビートルズの時代』
記事:白水社
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原著One Two Three Four : The Beatles in Time by Craig Brown(4th Estate, London, 2020)は毎年1点、英国で出版された英語のノンフィクションの秀作を顕彰する権威あるベイリー・ギフォード賞(サミュエル・ジョンソン賞を2015年に改称)の2020年度受賞作。ビートルズと同時代のさまざまな人々、出来事、時代との関わりを既刊の伝記、回想録はもとより日記、ファンレター、インタビュー、噂話、新語、ヒットチャートなど多種多様な素材に求め、独自の視点から選りすぐった150章を自在に編んでビートルズの足跡をたどり、類書と一味違う読み物に仕立てたのが評価された。
著者のクレイグ・ブラウンは1957年5月23日生まれ、イートン校を経てブリストル大学を卒業したのち、フリーランスのジャーナリストとして幅広いテーマの記事を「タイムズ」紙から「デイリー・メール」紙まで英国の主要紙誌に寄稿してきた。1990年頃からは硬軟とりまぜ時事問題を諷刺するいっぽう、公人のスキャンダルの暴露でも知られ、英国最大の発行部数を誇る隔週刊誌「プライヴェート・アイ」のコラムニストとして活躍中。諷刺とユーモアに長け、本書を含めて18冊の著書がある。One on One(アメリカ版のタイトルはHello Goodbye Hello)(2010年)は「ニューヨーク・タイムズ」紙のベストセラーにランクインし、10か国語に翻訳された。前作のMa’am Darling(アメリカ版のタイトルは99 Glimpses of Princess Margaret)(2017年)は、エリザベス女王の妹ながら奔放に生きたマーガレット王女の華麗で悲劇的な生涯を綴った伝記。多様な素材を複眼的、あるいはキュビスム的に組み立てる手法は本作に通じる。[略]
【著者動画:Craig Brown | The Slippery Art of Biography | Edinburgh International Book Festival】
『ワン・ツー・リー・フォー』の書名を見ると、年季の入ったビートルズ・ファンならポールが若々しい声で「あの子はまだ17歳」と歌うのが聞こえてくるだろう。これはポール贔屓の著者らしい選択かもしれないが、全体を通じて著者の4人のビートルの扱いは公平で好感がもてる。ヨークシャーでレコーディングを終えロンドンに戻る道すがら、たまたま立ち寄った田舎の村の住民との心暖まる交流を紹介する章のあるポールと比べて、戦場に身を置いた経験のあるジャーナリストに、生半可と言われても仕方のない反戦運動について問われて憤るジョンはいささか分が悪い。しかしどちらも事実ではあったろうし、ふたりの扱いに偏りがあるとは思えない。
多くの伝記、回想録を読み比べれば、同じ出来事でもその場に居合わせたひとにより見方はさまざま、また同じ人物でもひとにより評価は大きく異なる。回想録を2度書けば、その間に心変わりもするだろう。1963年のポール21歳の誕生日パーティーでジョンがふるった暴力については、10人の証言と、ジョン自身の4通りの形容の異同を一目で見渡せるようページ組に工夫が見られる。
【The Beatles Live in BUDOKAN】
翻訳中に読んだ本のなかに思いがけずビートルズの名を発見して、こんなところにもと感じ入った。1つ目は
「2011年3月23日
昨夜おそくまでテレビを見て、かつてビートルズが日本に来たときの熱狂にはじめて接した。一群となって涙を流す少女たち。日本(東京)が世界になった」
(鶴見俊輔『「もうろく帖」後篇』編集グループSURE、2017年)
我を忘れて手を振り、嬌声をあげる少女たちの姿がそれまでの日本人像とは異質、世界と同質に見えたのだろうか。1922年生まれの鶴見俊輔さんが「ベトナムに平和を! 市民連合(べ平連)」を結成した1965年は『ヘルプ!』と『ラバー・ソウル』が発売された年。
2つ目は
「書き終えたら何してるのかな。たいてい夕方近いから、夕御飯の支度かしら。クラシックやビートルズなんか聴きながら」(佐藤愛子『気がつけば、終着駅』中央公論新社、2019年)
本の刊行は2019年末、1923年生まれの佐藤さんはこのとき96歳。「クラシックやビートルズなんか」の二分法に思わず目を瞠る。それにしても、クラシックの向こうを張ってこの役割を果たせる歌手、グループは、ビートルズ以外にないだろう。兄サトウハチローの書いた「悲しくてやりきれない」をザ・フォーク・クルセダーズが歌った1968年は『ホワイト・アルバム』の発表年。『戦いすんで日が暮れて』でご本人が直木賞を受賞した翌69年には『イエロー・サブマリン』、そして『アビイ・ロード』が世に出た。大学に入学して間もないぼくは1回生という耳慣れぬ呼び名に戸惑いながら、京都の下宿でひとり、買ったばかりの『アビイ・ロード』をターンテーブルに載せ、リンゴの印象的なドラムに続いてくっきり響くジョンの歌声を聴いた。
3つ目は
「スバルおじさんは、大のビートルズファンだった。スバルおじさんによると、そのくらいの年代の人達は、スバルおじさんに限らず皆がそれぞれ自分とビートルズの一対一の関係を築いていたらしい」(小川糸『ファミリーツリー』ポプラ社、2009)
「ビートルズは、神様に祝福されていたとしか思えないよ」が口癖のスバルおじさんは、高校3年生の夏休み前に学校をさぼってビートルズのコンサートを見に行ったから、ぼくよりひとつ年上にあたる。
好きな曲を選ぼうとすると、初期の曲の数々がすぐに頭に浮かぶ。「プリーズ・プリーズ・ミー」、「シー・ラヴズ・ユー」、「抱きしめたい」の3曲は外せない。それに「フロム・ミー・トゥ・ユー」と「リトル・チャイルド」。共通点は、コーラスが効いているところ。最初からジョンとポールが声を合わせて勢いよく歌い出すものもあれば、歌い出しはどちらかひとりでサビを合唱するのもあり、どちらにしてもジョンとポール、ときにジョージも加わるコーラスで盛り上がる。「プリーズ・プリーズ・ミー」を除いてこれらはどれもジョンとポールがツアーバスのなかで、コンサートのあとホテルの部屋でベッドに腰掛け、向かい合って書いた。
サルやヒトなどの霊長類の脳にはミラーニューロンと呼ばれる神経細胞があり、他者の行動を見て自分が行動しているのと同じ反応を起こす。そのため「まるで自分の中に他人がいるのではないか、自分の脳に他人が住んでいるのではないかと思わせるほど」(マルコ・イアコボーニ『ミラーニューロンの発見』ハヤカワ文庫、2011年)という。他人でそうなら、長年向かい合い、隣り合わせで曲作りに励み、相手の演奏、歌唱を間近で見聞きしてきたジョンとポールならなおさらではないか。しかもポールの言うように、利き手が逆のために向かい合えば相手が鏡に映った自分にも見える。相手の弾こうとするコード、歌おうとするメロディが自分の指先から、口から出ても少しも不思議はない。このときのふたりこそレノン/マッカートニーだった。この時期はほんのわずかしか続かず、まもなくふたりは別々に曲を書くようになる。それでもそれぞれに1曲ずつ、相棒がそこにいる気になって書いたように感じる曲がある。ジョンの「テル・ミー・ホワイ」とポールの「エイト・デイズ・ア・ウィーク」。どちらも最初からふたりが声を合わせて歌う。その声はほんの少し前まで当たり前だったのにいつの間にか過去になってしまった楽しい共作の一時を懐かしむようにも、そんなことはお構いなし、一緒に歌うのが嬉しくて仕方がないようにも聞こえる。
木下哲夫
【クレイグ・ブラウン『ワン、ツー、スリー、フォー ビートルズの時代』(白水社)所収「訳者あとがき」より】