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現代のモーツァルト、カミングアウトの物語 映画「ロケットマン」でエルトン・ジョンの魅力に目覚めよ!

文・和田靜香

 8月23日からアーティスト、エルトン・ジョンの波乱に富んだ半生を描いた映画「ロケットマン」が公開される。

 そう言っても「エルトン・ジョンて誰?」というのが、日本に於ける彼の知名度の現状ではなかろうか? 今、私の手元に

「輝き続けるポピュラー音楽のトップスター」

 と、表紙に堂々書かれたバイオグラフィー本「エルトン・ジョン」(偕成社)があるが、この本、何故か世界の作曲家を紹介する子供向けシリーズの一冊だ。彼について詳しく記した本は日本では、これまでこれぐらいしかなかった。音楽系出版社の編集者に「エルトン・ジョンの本は出さないのか?」と尋ねれば、「売れないから会議を通らないんですよ」とため息交じりに言われる。

 しかし、言っておくが、ただ今ちょうどCG版が上映中の映画「ライオン・キング」の主題歌「愛を感じて」や「サークル・オブ・ライフ」を作曲し、歌ったのはエルトンだ。今から22年前のちょうど今ごろ亡くなった(1997年8月31日)イギリスのダイアナ元皇太子妃の葬儀で「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」を歌ったのも、ダイアナ妃の長年の友人だったエルトンだ。そして1970年、ビートルズを解散した直後のジョン・レノンはインタビューで「今、一番新しいサウンドはエルトン・ジョンの“ユア・ソング(僕の歌は君の歌)”」と絶賛し、エルトンがロサンゼルスに到着するのをなんと空港で待ち構え、ひざまずいてエルトンを迎えた逸話は今も語り継がれている。

映画「ロケットマン」から。©2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

 エルトンは真正“ポピュラー音楽のトップスター”だ。映画「ロケットマン」はそんなエルトンの幼少期から、70年にデビューして瞬く間に大スターに駆け上がる姿を描いている。

 幼い頃からピアノのレッスンを受け、ラジオで流れる曲を聞いたその場で弾いてみせる絶対音感を持つ天才児だったエルトンはしかし、家族の愛を満足に受けずに育ち、ゲイである自らのセクシャリティに悩み、作詞家バーニー・トーピンに歌作りのパートナーという以上の気持ちを抱くも受け入れてもらえず(バーニーは無類の女好きだ)、マネージャーでもあった恋人ジョン・リードには利用される。ちなみにリードはクイーンのマネージャーでもあった。

 愛する人に愛されない孤独に苦しみ、孤高の天才は本当に孤高で、恐ろしい孤独にさいなまれるのは大ヒットした映画「ボヘミアン・ラプソディ」で描かれたフレディ・マーキュリーにも通じる。

 エルトンもまたフレディ同様にドラッグとアルコールにはまり、さらには自殺未遂を繰り返すも、それでも絶望の中で曲を編んで歌い、金ピカでド派手な衣装をまとい、大規模なコンサートツアーを繰り返して熱狂的支持を受けて巨万の富を築く。アンバランスでエネルギッシュ、一般の理解を超越したとてつもない天才がエルトン・ジョンだ。

映画「ロケットマン」から。©2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

 そんな彼の魅力を日本で最も書き記してきた音楽評論家・ラジオDJの矢口清治さんはエルトンとの出会いをこう語る。

「ラジオと洋楽を聴きだしたその時、アメリカのヒットチャートで一番勢いがあったのがエルトンだったから好きになったんだと思います。74〜75年頃、僕が中学から高校に上がる時です。それまで知らなかったものみんな魅力的に思える年頃で巡り会ったら、たまたま本当に価値があったらしく、その後45年間くらいずっと好きで変わりません」

 ラジオでアメリカのヒットチャートとエルトン・ジョンに巡り合い、矢口さんは大学時代にラジオ番組の“アシスタントDJコンテスト”に入賞してDJとなり、エルトンの数々のCDアルバムの解説も執筆してきた。その一つ、エルトンが音楽を担当したミュージカル「アイーダ」の解説で、エルトンが70年から30年に渡って毎年欠かさず全米ヒットチャートの上位40曲にシングル曲を送り込み、ヒットさせてきた偉業について書いている。

「エルヴィス・プレスリーやビートルズ、そしてマイケル・ジャクソンも遥かに凌駕する、不滅の大記録である。この信じ難い息の長さは、彼が何らかのブームで創り出された一過性の人気者ではなく、紛れもなく音楽そのものへの不断の評価であり、ポップ・ミュージックに最も興味を抱く世代が順次繰り上がって行っても明確に支持を受け続けた故だろう」

 矢口さんはまた、エルトンを「メロディーの天才」と呼ぶ。その美しさを、「作品の背景や作者のキャラクターなどから一切隔絶されて耳にしたとしても、とてつもない力で多くの心の奥底に届き、すべての優れた表現芸術がそうであるように言葉では描き得ない感情を呼び起こす」(「アイーダ」解説より)と絶賛して書いた。稀代のヒットメイカーであり、ソングライター。エルトンは現代のモーツァルトかもしれない。

 そして、音楽評論家の湯川れい子さんもエルトン・ジョンに魅了された一人で、75年にはわざわざハリウッドの有名なライヴハウス「トルバドール」にまで、彼のコンサートを見に行っている。そのときの様子をこう書いた。

「客席にはリンゴ・スター、ヘレン・レディ、ニール・ダイヤモンド、往年のセックスシンボルのメエ・ウエスト、シェール、トニー・カーティスといった人達の顔が見えた。私もそこに居たが、まさしくそれは“聖林”ハリウッドを絵に描いたような夜であった。トルバドールの前にはカメラがむらがり、警官に追い立てられたやじうまたちが、スターを乗せた車が着く度に歓声を上げる。カメラのフラッシュが、サーチライトのように夜空を赤く染めて光る。
 そしてエルトンはラメ入りのシルクハットをかむり、赤いツナギを着て、ピアノに片足をかけながら1時間50分も歌いまくった。声をからして乗りまくった。
 そんなエルトンを見ながら私はハリウッドの英雄たち、ローレル=ハーディ、アボット=コステロ、バスター・キートン、キング・コングやスーパーマンを思い浮かべていた。眼光するどく、無精ひげを生やしたエルトンの顔と薄い頭は妙にセクシーではあったけど、もはや彼は小さな体の哲学者ではなく、文字通りハリウッドの夜を彩るスーパースターであり、ギンギラギンのピンボール・ウィザードであった」(『湯川れい子のロック50年』より)

 これぞ映画「ロケットマン」で描かれているエルトン! ギンギラギンのスーパースター、エルトンだ。

映画「ロケットマン」から。©2018 Paramount Pictures. All rights reserved.

 日本での知名度はいま一つと言いつつ、実はエルトンを日本で支え続けた人たちもいる。エルトン・ジョン・ファンクラブだ。通常ファンクラブは事務所やレコード会社が運営するものだが、70年代、まだすべてが緩やかだった時代、洋楽スターたちのファンクラブは一般のファンが始め、レコード会社から「公認」という形でお墨付きをもらい、運営していた。会報を手書きで作りガリ版で印刷し、封筒に入れて送る。まだ珍しかったビデオの上映会を開いたり、今でいうオフ会を開いたり。ファンが手弁当で、それこそひたすら大好き!の思いだけでファンクラブをやっていた。

 エルトンのファンクラブも74年、聖心女子大学付属高校に通う一人の女の子がお父さんの力を借りて始め、そこから仲間たちが増えていった。その仲間の一人、石川尚子さんは岡山県の女子中学生だった73年にエルトンのファンになり、できたばかりのファンクラブに入会した。

「当時は洋楽を聞くのがかっこいい!という時代で、私も深夜のラジオ番組でエルトンの“ダニエル”を聞いてファンになりました。75年にファンクラブに入って、送られてくる会報が唯一の情報源。今度の映画のポスターにもなっているロサンゼルス『ドジャースタジアム』でのコンサートは当時、ファンクラブの会報で開催を知り、地球儀をぐるっと回して『ここでやるんだなぁ』と見ていました」

 石川さんはその後、親の転勤で上京。ファンクラブの活動を手伝うようになる。新宿の紀伊国屋書店や銀座のイエナ書店で洋書を買っては熟読して訳し、それをファンクラブの情報にしたり、レコード会社に頼まれて資料を作ったりもした。コンサートにもこれまで40回を超えて行っている。数回しか来日していないエルトンだから、そのほとんどは海外だ。どうしてそこまでエルトンが好きなんですか?

「エルトンの生き方にすごく感銘を受けています。エルトンの同期の人って多くが亡くなっているんですよ。親友も次々亡くなっている。でも、エルトンはハチャメチャな生活をしたり、音楽で落ち目になったり何があってもサバイブしていく。絶対に生き抜ぬいて音楽をやる。やり続ける。そういうところを尊敬しています」

八亀さんたちが作ったファンクラブの会報

 石川さんと同じくファンクラブの活動を手伝っていた八亀絵里子さんは、エルトンから手紙を送られたことがある。少し遅れて80年代末にエルトンのファンになった八亀さんは好きになったらとことん追いかける!人で、これまで80回以上もエルトンのコンサートを見てきた。

「大学生の頃はバイトしてお金貯め、世界中のエルトンのコンサートに通って、ファンクラブの会報にそのレポートを書いていました。エルトンに『いつも前の方にいるよね』なんて言われたこともあります。それで98年にエルトンが来日した際、コンサート会場でエルトンの恋人デヴィッドを見つけました。エルトンへのプレゼント、といってもお寿司のキーホルダーとかですが、それを渡してくれるようにお願いしたんです、手紙を付けて。そうしたら数日後に手書きの封筒にサイン入り写真を入れて送ってくれました。エルトンの筆跡は当然わかりますから、封筒の字もエルトン。写真には『プレゼントをありがとう、いつもサポートしてくれて本当にありがとう』とありました」

 エルトン、なんていい人! 

「そうなんです、エルトン、本当にいい人です。彼は性的マイノリティで辛い思いもしてきた分、人の痛みが分かる慈愛に溢れた人です。76年に彼は自分がバイ・セクシャルだとカミングアウトして、ものすごいバッシングされたんですね。特にアメリカではバッシングがひどくて、レコードが焼かれたりして売り上げもガタ落ちしました」

石川尚子さん(左)と八亀絵里子さん(エルトン・グッズを身にまとい、エルトンから送られた写真を手に)

 八亀さんはエルトンが94年11月にロンドンで開いた「アウト・ザ・クローゼット」というチャリティ目的のショップ・イベントにも行った。

「クローゼットのものを放出する、つまり私物を売り出すというイベントで、エルトンが着た衣装や私物が安価でファンに売り出されたんです。スーツや帽子など、いろいろです」

 「アウト・ザ・クローゼット」という言葉にはもう一つ意味があり、それはカミングアウトする、ということだ。この4年前からエルトンはアルコール、コカイン依存症の治療を重ねて克服、さらにエイズ・チャリティ基金を設立し、現在の配偶者であるデヴィッド・ファーニッシュと生活を共にし始めた。

 エルトンは人生を立て直し、そのイベントはエルトンの2度目のカミングアウトとなった。ここから本当の自分と見つめ合い、人生を生き直したエルトン。

「カミングアウトするということは、クローゼットに閉じこもっていた人が、そこから『外に出る』ということになる。それは、新しい自分が、誰かの前に立ち出会うことでもある。そして、その出会いとは、どちらかと言えば、新しく出会ったばかりの人とではなく、むしろ、これまでお互いをよく知っていた親密な関係の相手との出会い直しなのだ。そこから、関係を作り直す作業が始まる」(『カミングアウト』砂川秀樹著、朝日新聞出版)

 映画「ロケットマン」はエルトン・ジョンという偉大なアーティストのカミングアウトの物語だ。今年72歳。本当の自分を探し求め、必死に生きてきたエルトン・ジョンを知ってください。