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役者と写真家と詩人が語る、劇作家・唐十郎の世界

記事:幻戯書房

『唐十郎のせりふ』で第32回吉田秀和賞を受賞の新井高子さん(中央)。左は首藤幹夫さん、右は稲荷卓央さん :(撮影/石田宗一郎)
『唐十郎のせりふ』で第32回吉田秀和賞を受賞の新井高子さん(中央)。左は首藤幹夫さん、右は稲荷卓央さん :(撮影/石田宗一郎)

唐十郎さん近影(受賞の挨拶に訪れた新井高子さんと)
唐十郎さん近影(受賞の挨拶に訪れた新井高子さんと)

2022年3月に行われたトークイベント
2022年3月に行われたトークイベント

唐十郎との出会い

新井高子:唐十郎さんは1940年生まれ、いま82歳。これまで100作ほど戯曲を書いている大劇作家で、演出家で、役者でもあります。1960年代に状況劇場という独自の劇団を立ち上げ、肉体と演劇の関係を見つめながら「特権的肉体」というテーゼを打ち立てました。60~70年代に演劇界の旋風となり、『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』『唐版 風の又三郎』などの名作を生みました。そして80年代の終わりに状況劇場を解散、「劇団唐組」という、唐さんにとって親子ほど年の離れた若者たちと一緒に芝居をつくる新しい劇団を立ち上げます。『唐十郎のせりふ』という今回の本は「二〇〇〇年代戯曲をひらく」というサブタイトルにあるように、2000年代の戯曲を15本扱ったものです。移動しながら演劇をテントでするという、日本の芸能の古い根っこと現代をそのまま繋げてしまう活動をしていることでも、唐さんは本当に独自です。では、それぞれの唐さんとの出会いを、最初に聞いていきましょうか。

新宿花園神社での紅テント(撮影/首藤幹夫)
新宿花園神社での紅テント(撮影/首藤幹夫)

稲荷卓央:僕は北海道の網走の出身で、いわゆる演劇は学校回りの演劇会くらいしか見たことがありませんでした。NHKの劇場中継が好きだった兄の影響で、中学生の時に『ジャガーの眼』を見た。それが初めて見た唐さんです。その後、小林薫さん(元状況劇場)出演の映画『それから』を見てすごくすてきな俳優さんだなと思い、僕もこういう世界に入りたいと思いながら東京に出まして。1990年に『セルロイドの乳首』という芝居を新宿の花園神社に見に行き、そこでの唐さんと大久保鷹さんがもう、衝撃的でした。「どうしてもここに入りたい」と思い、試験を受けて入ったんです。

稲荷卓央さん
稲荷卓央さん

首藤幹夫:僕は唐さんと出会う前に、石橋蓮司さん、緑魔子さんがいらっしゃる『劇団第七病棟』の書籍を作る仕事に携わりまして。その公演の戯曲を書いた唐十郎さんがちょうど芝居をやっているということで、唐組の最初は『ビンローの封印』という作品を拝見しました。92年です。最初に撮影させていただいたのが95年。

首藤幹夫さん
首藤幹夫さん

新井:私が見始めたのは2004年の『津波』です。でもよく考えたら、1983年、高校一年生のときにその頃の芥川賞受賞小説『佐川君からの手紙』を読んでいるんです。当時、過食ぎみになって、半年で10キロぐらい太っちゃった。自分の体を持て余していたその時期に、妙にこの本が読みたくて。なかなか難しい小説ですよね。物語的に単線で展開しているわけじゃなく、人肉を食べた佐川君へ唐さんが手紙をやりとりして……という展開で。ただ、すごく真剣に読んで、そこで唐十郎という人の名前を確かに知った。でも、田舎の町工場の娘だから、東京へ演劇を見に行く発想もなく、唐十郎という著者名と、こたつで一心不乱に読んだ記憶が刻まれました。

新井高子さん
新井高子さん

首藤:唐組を見始めた当初は、僕も似たような感じでした。駆け出しだし、貧乏だし、何も持っていなかった。自分がこれから何者になるかもわからないときに唐組の芝居を見て、ものすごく救いを感じた。物語をちゃんと理解できたかと言われたら、できてないんですよ。なのに、なぜかここには救いがあると思って。

(『夕坂童子』での唐十郎)撮影:首藤幹夫
(『夕坂童子』での唐十郎)撮影:首藤幹夫

唐組芝居の作り方

新井:芝居ができてくるとき、唐さんはどんな感じから始めているんですか?

稲荷:すごく取材に行きますね。そのたびに小さいノートにメモして。稽古が終わってお酒を飲んだりするとき、「いまこういうところに取材に行ってるんだよ」と聞きます。唐さんは一年中そういうことを考えていますから、何かアンテナに引っかかるとその町へ行ってみる。僕も追体験するように行きましたね。2000年代はしばしば行かれていました。東京下町が多かったですけど、九州にも行かれていました。たとえば諫早を舞台にした『泥人魚』は、最初は福井の原発に取材に行き、でもあまりいい感触がなかったらしく、「だめだったよ」なんて帰ってきた。そしたら久保井研さんが「唐さん、諫早のギロチン堤防はどうですか」と言ったんです。「え? それ面白いな」と言って行かれて。帰ってきたときは、すごく興奮していましたね。今うちのヒロインをやっている藤井由紀に、「キャラクター見つけたよ。『やすみ』って役、見つけたよ」と嬉しそうでした。

(『泥人魚』2003年)撮影:首藤幹夫
(『泥人魚』2003年)撮影:首藤幹夫

新井:唐さんは、自分の劇団の役者さんにあてて、その人にこう言わせたら面白いだろうなと想像力を働かせる「あて書き」という手法が特徴の一つでもあります。そのあて書きをされている側としては、どんなものだと考えています?

稲荷:大げさに言うと1年のうち350日ぐらい、ずっと一緒にいるんです。本当に家族みたいな感じ。そういうところで、唐さんは常に劇団員を見ている。僕が劇団に入った時は劇団員が30~40人いて、新人が入っても、それこそ唐さんと話す機会はない。たぶん声も名前も覚えてくれないだろうと思ったんですけど、3カ月ぐらいすると「お前、ダンボールを拾ってくるの、うまかったな」と言われて(笑)。いつ見てたんだ、と思うんですよね。それがうれしくて。劇団員のことはよく見ていると思います。困ったらこういうことするんだなとか、すごくテンパッちゃって面白いなとか。

新井:写真家の立場からすると、唐組の特徴って何でしょうか?

首藤:「劇の本番中に写真を撮ってくれ」と言われることですね。普通、演劇はリハーサルの時に撮りますよね。カメラはシャッター音もしますし、できれば動きながら撮りたい。だけど、本番中に撮ってくれと。お客さんがぎゅうぎゅう詰めですから、その中で撮れと言われるのは、衝撃的でしたね(笑)。役者と目が合うんですよ。それまで、そういうことはやっちゃいかんと教わっていたので、上手(かみて)、下手(しもて)のとにかく一番端から撮ることを目指して撮ったんです。端から見ると、唐さんの芝居は、あるシーンで役者が必ず客に向かってしゃべるじゃないですか。その場面がものすごく映えるんです。

(『西陽荘』2011年) 撮影:首藤幹夫
(『西陽荘』2011年) 撮影:首藤幹夫

新井:稲荷さんは唐組以外にもいろいろなところで芝居をされていますが、演出家として「唐さんはこういうところが面白いな」というのはありますか?

稲荷:唐さんは役者ですから、自分でやって見せてくれる。「こうだぞ」という演出を。なかなか真似できないんですけど。僕が若いときは全部手取り足取りという感じで、ものすごくいいときは、「いいねー、今いいよ」などと言ってくれましたね。普通ならこうだけど、変えてみる、という意味では唐さんの演出はすごく面白い。 たとえば『闇の左手』という作品で、「あんた、そんな腕(技量)を持ってたんだ」と感心するせりふがあるんです。普通だったらリアルな演じ方をするんですけど、そうじゃない。「あアんた、そオーんなウデ持ってたのオー?」というような、ちょっと飛躍するような言い方を、割とします。「そんなまじめに言うんじゃない、もっとぐじゃぐじゃに、エイッと言っちゃえ」「高音で言っちゃえ」とか。

(『黒手帳に頬紅を』2009年)撮影:首藤幹夫
(『黒手帳に頬紅を』2009年)撮影:首藤幹夫

新井:普通のフラットな言い方だと届かないジャンプみたいなものが、唐さんの演劇にはたくさんありますよね。そこでは、せりふの言い方が飛躍するからこそ、次の劇展開も飛翔できる。そういう感じがよく伝わってくる気がします。

「等身大」の殻を破るポリフォニー

新井:愉快で面白おかしいんだけど、実はそこにたいへん深いテーマが隠れていたりする。結局最後は劇が波打ち、大泣きする観客もでる。自分のコンプレックスで悩んでいたような人が奇想天外で複雑怪奇な劇を見て、「ここに僕もいる」「私もいる」と、何か扉を開いてくれる。だから私も唐さんの戯曲にほれ込んで、こういう本を書いたわけです。「あアんた、そオーんなウデ持ってたのオー?」もそうですけど、唐さんの芝居は演じようによっては、ちょっとクサイところに行ってしまう可能性がないわけではない。演じるのに大変な戯曲だと思うんですが、稲荷さんはそのあたりがもちろん絶妙ですよね。ここにいらっしゃるような自然な雰囲気の稲荷さんが、劇空間の中にもいますもん。

稲荷:そうですかね(笑)。それはやっぱり、僕のどこかの一端を唐さんが見て、あて書きしているからかもしれませんね。

(『黒手帳に頬紅を』2009年)撮影:首藤幹夫
(『黒手帳に頬紅を』2009年)撮影:首藤幹夫

首藤:新井さんの本の中で、ポリフォニーの話が出てきます。ポリフォニーは多層的に音楽がある、ということでしょうけど、音だけじゃなくて、モノのポリフォニーだったり、人と人とのポリフォニーだったり。多層的になっている感覚が、とにかく唐さんの本(脚本)にはすごくある。どこか一部を捕まえても違うところで共鳴をしていて、逃れていってしまうというか、なかなか捕まえられない感じ。多重化している。たとえば、単なる恋愛の話にならないでしょう。どちらかと言うと、「あなたのその瞳の中の、そのレンズが好きなんです」というような(笑)、妙なところに興味と感心を持つ人の話になる。たとえば同じ役者さんが一人二役で出てきて、どんどんまやかしていく。特に後期の戯曲になればなるほど、ものすごく多重的で、どうまやかすのか、人をわからなくさせていくことに興味があったんじゃないかなと感じるんですけどね。

新井:一つのモノが一つに収まらない。モノも人も一つの意味で安定していない。それでも十分説得されてしまう。せりふのジャンプがあるのと同じように、モノ自体にもジャンプをさせちゃうんですよね。なぜ、そういうことができるのか。せりふのかけ合いも独特で、唐組の芝居って、たとえ不幸な展開であっても、役者さん自身はまさに生き生きと会話している。ことばの息吹がわくわく取りかわされている感じがある。

(『夕坂童子』2008年) 撮影:首藤幹夫
(『夕坂童子』2008年) 撮影:首藤幹夫

(『ジャガーの眼』2008年)撮影:首藤幹夫
(『ジャガーの眼』2008年)撮影:首藤幹夫

首藤:モチーフが小さいことも多いですね。ビー玉を落とす芝居があるんですけど、そんな小さいもの、ふつうはお客さんには見えない。大劇場だったら、ほぼわからない。テントのサイズだから見える。かと思うと、小さいものがえらくでかくなったりして、大きさのバランスがすごくチグハグ。舞台美術のつくり方も、テントの芝居は奥行きがすごく狭い。写真を撮っていて気付いたんですが、端っこをかなり小さくつくっているんです。

新井:実はサイズの魔術があるんですね。

首藤:ちょっと歪んでいるんです。狭い舞台をすごく広く見せるための工夫がされている。見ているお客さんは気付かないところだけれども。

新井:唐さんが横浜国立大学の教授になった時の初講義では、かなり「等身大」というものを憎んでいて、いかにそれを壊すか、みたいな話をされています。実は人間の体の大きさも不安定だと唐さんは感じているんでしょう。だから、唐演劇では、最後に必ず殻破りのようなことが起こる。現実的にはそれほど変っていないのかもしれないけれど、可能性の夢としては何かを突き抜けて、人間存在がぐっと大きくなっていく。それを芝居で見せるわけです。観客としてはものすごくときめきます。あの手この手を使って、体の大きさや意味の殻、存在の殻みたいなものを疑って、そこに夢を見させる装置をつくっているんじゃないでしょうか。

首藤:いちばん最後に必ずバーンと屋台崩しが起きて。

新井:舞台うしろの背景が崩れて、演劇空間と巷の町が繫がるんですね。そこで主役の稲荷さんやほかの役者さんが、劇空間から町のほうに走って行ったりする。

首藤:屋台崩しの向こうで通行人が、びっくりして歩いている(笑)。僕は『夕坂童子』という作品が好きなんです。公演前から書籍化の話があって、唐さんが取材された場所を僕も丁寧に回った作品です。商店街の人たちが哲学を語っていたり、度を越して変なことにこだわっていたりして、「普通の人」が普通の人に収まっていない感じがものすごくある。うちのすぐ近くにもさびれた商店街があるんですけど、「妙な手袋の展示会をやりたいんだ」なんて、実際にそういうことを言い始める人が出てくると面白い。いや、本当にいるんじゃないか、と思えてくるんですよ。そういうところがやっぱり、唐組芝居の魅力ですね。

(『夕坂童子』2008年)撮影:首藤幹夫
(『夕坂童子』2008年)撮影:首藤幹夫

役者が芝居を育てる

新井:長く唐組にいらっしゃる稲荷さんにとって、とくに印象的な芝居は何でしょうか?

稲荷:『虹屋敷』や『透明人間』は何回か再演したので思い出深いですし、役としても転機になったかもしれません。

新井:数多くの唐戯曲の中でも、『透明人間』のあのレトリックはほかにはないぐらい飛び抜けたことやっているなと感じます。

(『透明人間』2006年)撮影:首藤幹夫
(『透明人間』2006年)撮影:首藤幹夫

稲荷:僕は客として初演を見ているんですが、その後、自分が主役の辻をやるとは思ってもいませんでした。それまではヒロインを慕うとか、お人好しの役が多かったんですけど、『透明人間』の辻はちょっと色悪な感じで、まったくいままでやったことがない役でした。新しい自分を発見させてもらった作品でした。

(撮影/石田宗一郎)
(撮影/石田宗一郎)

新井:再演のたびに戯曲が書き直されているから、私も読み比べるわけですが、唐さんは明らかに稲荷さんの成長に合わせて書き換えていますね。最後の2006年版は、稲荷卓央演じる辻が、最初から最後まで柱になって突っ走っていく。あて書きが戯曲を育てる。役者が芝居を育てる。唐演劇のそういう特徴をありありと教えてくれた作品だとも思います。それでは本日は皆さん、どうもありがとうございました。

(文字起こし/幻戯書房)

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