2度の移転と新型コロナ 内沼晋太郎さんと考える街の本屋の未来:本屋B&B
記事:じんぶん堂企画室
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下北沢の本屋B &Bは2020年4月、駅周辺の再開発によって誕生した新しいスタイルの商店街「ボーナストラック」の2階に移転した。飲食店やオープンテラスのほか、「本の読める店 fuzkue」などが立ち並ぶ。
今でこそ週末には若者たちやファミリーで賑わうが、新型コロナウイルスの影響で、移転と同時に緊急事態宣言下で休業を余儀なくされ、B&Bも経営的に大きな打撃を受けた。
「うちは本屋ですけど、業態としてはライブハウスに近いところもあって、その部分で直接的な影響を受けました」
内沼さんはそう語る。以前のB&Bは、イベントに来た人がドリンクをオーダーし、本を買うことで店全体が成り立っていた。イベント集客は本やドリンクの売り上げとも直結する大切な指標だった。
約1年かけて、イベントの収益をオンラインで取り戻しつつある。著者のサイン本も事前にチケットを販売し、郵送する仕組みを取り入れた。それでも、イベント配信や郵送の手間やコストは増え、ドリンクの売り上げが戻るメドは立っていない。
内沼さんは、「このままの状態では続けていくのが難しいですけど、アイデアはあるので何とか乗り切りたいと思っています」と淡々と話してくれた。
現在のB&Bは2階のワンフロアにゆったりと本や雑貨が並ぶ。地下にあった前の店舗から現在の開放的な空間に移転してからは、若い世代やファミリーの来店が増えたという。
入口の新刊書コーナーを左に進むと、壁一面の本棚に人文書が目に入る。哲学や、科学書などが並び、中央にはフェミニズムの関連書籍も充実している。ジャンルや著者によって文庫と単行本が同じ棚に並ぶ。
B&Bで人文書とイベントを担当する三木浩平さんは、「イベントをやっている本屋だからこその棚づくりは意識している」と話す。トークで挙がった本を著者の本の隣に並べる工夫もそのひとつだ。
また人文書の棚づくりは他のスタッフも関わっており、「棚を介して会話している」という。三木さんの造詣が深い数学書が充実しているのも特徴だ。
内沼さんのインタビューに話を戻そう。内沼さんが、「出版業界を変えたい」と考えるようになったのは大学生の頃。雑誌を作るなかで、書店や流通の世界を知ったことがきっかけだった。
「仲間と雑誌を作ろうとしていました。色々あって、結果的には一号も出せずに挫折したんですが、書店さんに話を聞きに行ったりはしていたんですよ。そのとき初めて、本屋に持っていけば必ず売ってもらえるわけじゃない、流通があるんだって気づいた。本を手渡す側、届ける側のほうに関心が移っていったのは、そのあたりからです」
また1980年生まれの内沼さんは、「僕らの世代が『若者の活字離れ』とニュース番組で言われるようになった最初の世代だと思います」と語った。1990年代後半から2000年代前半にかけて、出版業界の売上がピークを過ぎる一方で、ポケットベルやPHS、携帯電話が普及。内沼さんの青春時代は、人々の本や文章との接し方が大きく変わっていった時期と重なる。
「自分は紙の本が好きだったけど、周りを見渡してみると本屋が好きな人は思っているほどいないし、売るのが簡単じゃないこともわかった。廃れていくといわれるのが単純に嫌だし、自分たちの世代で届ける側をやるほうが面白そうだと思ったんです」
その頃、ベストセラーになった佐野眞一さんの『だれが「本」を殺すのか』を読み、流通にも関心が向いた。大学では商学部でブランド論を学んだことで、「本自体にもブランディングが必要なんじゃないか」とも感じていたという。
内沼さんは大学卒業後、新卒で国際見本市を主催する外資系企業に入社するが、2カ月で退社。古本を扱う「ブックピックオーケストラ」の活動を仲間と始め、古本市のお客さんとの縁で、ブックコーディネーターとしての仕事をするようになった。
「パルコのギャラリーで開催された本のイベントに参加して古本を売っていたら、お客さんとしてアパレルの会社の方が来たんですよね。『古本を卸してほしい』と相談があったので話を聞くと、かなり大きい本棚が計画されていて、コンセプトもはっきりしていたので『古本だけじゃ埋められないし、新刊や洋書にも入れるべき本がたくさんあるんじゃないですか』みたいなことを生意気に言ったわけですよ。そしたら『やってくれ』と言われて」
「それがTOKYO HIPSTERS CLUB(THC)というお店です。2005年から2010年まで、本の売り場の選書と仕入を5年間担当しました。2006年あたりから、売り場を見た同じ会社の他ブランドや別の会社から、ちょっとずつ本の売り場やライブラリの立ち上げに関する依頼がくるようになりました」
本屋ではないところに本棚を作る意義について、内沼さんは「人格が示せる」と話す。
「そこに本棚があると、お店や会社など、その空間やサービスをひとつの人格と捉えたときに、その人がどんな人で、何をしたいか、どんな考えやこだわりを持っているかが伝えられるんです。THCの場合はブランドとして、ビート・ジェネレーションを起点とするカウンター・カルチャーの思想が中心にあったのですが、そうした本を一緒に並べて売ることで、売っている洋服や雑貨に対して、なぜそれを売っているのか、背景にどういう文化があるのかを含めて伝えることができるんだと気づきました」
また内沼さんは、2013年の自著『本の逆襲』では「カレーも本である」と独自の表現をした。三省堂書店が本棚でレトルトカレーの販売していたことを見て、「本の定義が拡張できる」と感じたのだという。
「レトルトカレーに限らず、四角くて、本くらいのサイズで、側面に商品名が書いてあるものだったら、なんでも本棚にさせるということに気がついたんです。ならば『本』の定義を一度『本棚にさして売れるもの』と拡張してみると、本屋で売れるものが他にも思いつくのではないかと考えました。もう8年前の本なので事例は古くなっている部分もありますが、自分でもたまに読み返します」
2012年、内沼さんは嶋浩一郎(博報堂ケトル取締役)さんと、下北沢に本屋B&Bをオープン。内沼さんがリアルな本屋をやると決めたのは、2011年3月に起きた「東日本大震災が大きかった」とふり返る。
「嶋さんと一緒に、(雑誌)『BRUTUS』の本屋特集の編集をお手伝いさせてもらって。みんな節電をしているような時期で、あらためて本屋という店が、その町のなかにあることの重要性とか、震災直後に、本を求めに来る人がすごく多かったエピソードとか、いろいろ聞いたり考えたりしたときだったんです」
「そういう背景もあって、嶋さんに『内沼くん、本屋やらないか』と言われて。僕も断る理由がなかった。『やりましょう』と言っただけなんです」
本屋の経営を考える上で、「本だけを売ってやっていくのは簡単ではない」と考えた二人は、お酒が好きだったこともあり、ビールをはじめとするドリンクを販売することに決めた。
毎日有料のイベントをやることにもこだわった。内沼さんには、原宿のカフェで約1カ月間に渡ってUstreamでトークイベントを企画・配信を続けた経験があり、リアリティがあったという。
「半端に週2〜3日やるくらいだったら毎日やったほうが、現場にとっては日常になるので、組み立てやすいんです。ライブハウスだって毎日ライブやっているし、寄席に行けば毎日落語をやっている。本屋が毎日トークをしてもよいだろうと」
「本は年間8万点、1日200〜300タイトル出ているだけだから、ネタがなくなることはない。たまに開催するくらいだと大した収益にはならないけれど、月30本、40本とやれば売り上げの柱になると考えました」
2021年に9年目を迎えたB&B。内沼さんは、「それなりに安定していると思われがちなんですけど、いつも必死です」と実感を込める。家賃が安い定期借家の物件を選んだことで2回の移転を経験。その費用が予想以上にかかったという。
「最初の4、5年と、その後の2年半は、それぞれ次の移転のためのお金を貯めるのがやっとで、儲かってはいないんです。今の場所は長くやれるので、やっと腰を落ち着けてやっていけるぞと思ったら、いきなり新型コロナウイルスで、この1年が一番大変でした」
いまB&Bでは、オンラインイベントを積極的に開催している。これまで東京の夜のイベントに来られなかった、地方在住者や子育て世代からの反響もあるという。
「オンラインのよいところは色々あるのですが、運営面ではお客さんをいくらでも入れられるというのがやはり大きいです。前の店では最大でも100人が限度だったんですけど、いまは実際に300人とか500人入るイベントもできているので。僕らがいま力を入れているのは、イベントのアーカイブ動画を販売すること。月額のサブスクリプションみたいなこともできないかと、いま検討をすすめています」
そんな内沼さんに、人生を変えた一冊を尋ねると、フランスの作家アルベール・カミュの『太陽の讃歌 カミュの手帖——1』『反抗の論理 カミュの手帖——2』(新潮文庫)を挙げた。高校生の頃、古本屋の100円均一で買ったという。
「たとえばカミュの『異邦人』に、『きょう、ママンが死んだ』というすごく有名な書き出しがありますが、『太陽の讃歌』には実際にお母さんが死んだときのことや、作品の構成に関するメモが詳細に記されていたりして。小説が創作される背後で、作家がこれだけ悩んだり、考えたりしていることを知ったのは、自分の読書にとって大きい変化だったと思います」
「完璧だと思っていた作家も、人間だと気づいた。あらゆる生きている人たち、歴史に名前を残している人とか、遠い世界にいるような偉人、有名人が、全部人間だということを知ったんです」
この本で日記に関心を持つようになり、それが後に、(B&Bと同じボーナストラック内の)日記の専門店「日記屋 月日」の立ち上げにつながったという。
そして、内沼さんが今向き合いたい人文書として選んだのは、『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』(白澤社)。フェミニストの政治学者ジョアン・C・トロントが、民主主義の定義を「ケア責任の配分に関わるもの」として民主主義の再編の必要性を語る一冊だ。
内沼さんは、資本主義や民主主義の歪みや限界が見えてきた今、ケアの領域に目を向ける。
「誰かが誰かをケアすることが、政治や経済のシステムにうまく組み込まれていないし、認識されてこなかった。けれどこの1年間は奇しくも、世の中で見えないことにされてきた領域に多くの人の意識が向くようになった時期だったとも思います」
さらに内沼さんは、「大げさかもしれないけど、本屋もケアの文脈で考えている」と語った。たしかに、日常や街の中に本棚があることをケアの領域で捉えるのは、存在意義としての本屋の拡張につながるように感じられる。
内沼さんは、「インターネット上で個人にパーソナライズされた情報ばかり浴びていることに無意識のうちにやられてしまった人にとって、たまたま目の前の本棚に並んでいる本を手に取る時間が、何らかの助けになるはずだと考えています」と力を込めた。
内沼さんは、B&Bの経営も厳しい局面を迎えていた2020年春に、全国の書店・古書店を支援する有志のプロジェクト「ブックストア・エイド」の発起人としても活動した。
もともとあったネット書店の台頭に加え、新型コロナウイルスの影響で、全国の本屋をめぐる現実は厳しさを増している。
「本屋だけでなくどんなお店でも、お客さんにわざわざ来てもらうことの意味、リアルで存在する意義を考えざるを得なくなった1年だったと思います。ちゃんと考えて見出せた人は意地でもお店を残すと思いますが、一方、そこまでたどり着かなかった人は続けられなくなる世界に、少しずつ変わっていくかもしれません」
内沼さんは、これからの本屋の未来は「答えは、もちろん僕にも分かりません」と口にした。それでも、「簡単でないことは間違いないけど、これからもやろうという意思を持っている人たちと一緒に、どうやったらやっていけるかを考えることはできる。結局は、意思の問題だと思う」と前を向く。
目の前の日々こそが、未来を形づくると知っているから。