読書の奥義 吉田健一『本が語ってくれること』
記事:平凡社

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弊社平凡社は、東京の神保町にあります。神保町と言えば、古本屋街はもちろん、飲食店では三幸園、揚子江菜館、新世界菜館など、中華料理の名店が多いことで有名ですが、洋食の名店もあります。
本書の著者、吉田健一がこよなく愛したことで知られる「ランチョン」です。このお店で知られたメニューがビーフパイ。このメニュー、店でいつもビールを飲んでいた吉田の、片手で食べられるものを作ってほしいという、サンドウィッチ伯爵ばりの無茶ぶりに応えて作られたものだとか。
ランチョンで四、五杯ビールを飲んでから、吉田は教授をやっていた中央大学に出向いていたそうです。コンプライアンスにうるさい今となっては考えられないエピソードですが、ほろ酔い加減で文学を融通無礙に講じていたに違いありません。
そんな吉田の文学講義の空気が味わえる一冊が『本が語ってくれること』です。
前半には一九七一年と一九七二年の文芸時評が収録されています。文芸時評というと、出たばかりの文芸誌に掲載された作品や、刊行されたばかりの小説を論じるというイメージがありますが、吉田の時評はむろんそこにはとどまらず、文学や読書全体を論じた随想になっています。
たとえば本書冒頭すぐに出てくる次のような一文を読めば、これが月々に出た小説を論じているだけの古びてしまった文章ではないということがわかります。
「本を読むというのは究極には何かの形でいい気持になる為にやることで、これは四書五経からアメリカの探偵小説に至るまで一貫して言えることである」
アメリカの探偵小説はともかく、「いい気持になる為」の読書で、儒教の聖典である四書五経を持ち出せるひとはなかなかいないでしょう。同時代の作家では吉田は石川淳をとくに敬愛していました。わずか二年間の文芸時評で、吉田は石川の本や発言に七箇所も言及していますが、吉田にとって石川の本は「いい気持になる」筆頭だったのでしょう。
本書後半は「本を読む為に」、そして表題作の「本が語ってくれること」という読書論二篇が収められています。「本を読む為に」では、むやみに読書することが戒められています。
「人間にとって何よりも大事なのはその生活であってそれに加えるものを持っているのでなければ本も意味がない」
冒頭に書いたエピソードでもわかるとおり、吉田は無類の酒好きだったことで有名ですが、本篇の「我々が本を読むのはどうもこうして息を整える為にであるという気がする」という一文を読むと、吉田にとって読書と酒はおそらく等しい、人生に喜びを与えてくれるものだったのだろうと感じられます。
東西の作家を往還しながら読書の喜びを描いている表題作を語るスペースがなくなってしまいましたが、そちらはぜひ実際の本でお楽しみください。
この本で一貫して吉田が主張しているのは、「読書というのは喜びである」ということです。読書の本質的な楽しみを思い出させてくれる一冊、秋の夜長に読んでいただければ幸いです。
[文=平凡社編集部・岸本洋和]