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すでに“あるもの”を、“あるべきもの”に変える実践的随筆 宮崎智之『モヤモヤの日々』(晶文社)刊行記念インタビュー

記事:晶文社

『モヤモヤの日々』を上梓したばかりの宮崎智之さん
『モヤモヤの日々』を上梓したばかりの宮崎智之さん

平日毎日、ほぼリアタイ更新で駆け抜けた「モヤモヤの日々」

――「モヤモヤの日々」の連載がスタートしたのは、宮崎さんが『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版した直後でした。

宮崎:コロナ禍の真っ只中で、新しい生活様式の開始に社会がまだ混乱していた時期でした。開始時こそ3〜4本のストック原稿があったのですけど、すぐに消化されてしまいました。連載は13時締め切りの17時更新でしたが、13時に間に合わなかったこともたびたびあり、結果、その日やその前日にあったことや考えた事柄をリアルタイムで書いていきました。

――このクオリティのエッセイを、平日毎日ほぼリアルタイム1年以上、計251回も続けたことに驚きを感じるのですが、「もう書けない」と思ったことはなかったのですか?

宮崎:一切ありませんでした。商業ライターとして活動していた時期が長く、筆のはやさには自信があった。なんなら朝刊も書けるとさえ思っていましたから(笑)。ただ、コロナ禍で外に出られず書く内容に困ること、人気がなくて心が折れることだけが心配でした。

文学史における随筆の立ち位置

――「モヤモヤの日々」の連載は、過去の新聞コラムを意識したとうかがいました。

宮崎:もともとは、薄田泣菫の『茶話』(冨山房百科文庫)や吉田健一が西日本新聞で連載していた『乞食王子』(講談社)をヒントに、「こんなものを書きたい」と担当編集である吉川浩満さんに出した企画です。その2冊は、連載を続けるうえでも手本になった本ですね。

最初に読んだ大人向けの本は、小学生の頃に手にしたさくらももこさんの『もものかんづめ』(集英社)でした。それまでは物語のある児童文学を読んでいたのですが、「物語がなくてもこんなに面白いんだ!」と、随筆の魅力に衝撃を受けたのを今でも覚えています。

――幼い頃から、随筆の素晴らしさに触れていたのですね。

宮崎:気になっていたのは、随筆は大きなジャンルなのに、文学史レベルになると少し扱いが小さくなることです。日本三大随筆といえば『枕草子』『方丈記』『徒然草』の3つ。『徒然草』は中世に書かれたもので、以来、「日本三大」が更新されていないことになります。

僕は中学の頃から「国語要覧」や「国語便覧」を見るのが好きでした。そこでは、詩歌や和歌、小説、評論がより大きく載っている。ただ、薄田泣菫は、僕が持っている古いバージョンでは詩人として紹介されています。詩人の業績も素晴らしいのですけど、生前は随筆家としても大衆に人気があった。吉田健一のいわゆる「食味随筆」も、よく読まれていました。

共著の評論集『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)に初期随筆論を書いたとき、随筆の功績をもっと後世に残していかなければいけないと思ったし、実際に今でも吉田の随筆は人気があり、中公文庫などで復刊されています。今の時代に、身辺雑記、文芸作品としての随筆に挑戦するのは冒険でしたけど、やってみたいという思いは常にありました。

――宮崎さんが考える随筆の面白さはどこにありますか?

宮崎:随筆には創作や評論とは違った、独自の“文”の“芸”が必要だと感じます。もしかしたらそれは落語家さんにとっての話芸のようなもので、書かれている内容の珍しさや過激さではなく、文や面白さ、視点の切り替えなどの芸によって読書に没入させるものなのではないかと考えています。創作や評論とは異なる、随筆にしかない味と言えるかもしれません。

僕は特別に有名なわけではないし、新刊『モヤモヤの日々』では日常生活を描いているので、刺激的なことが起こるわけではない。「○○してみました」といった、随筆のためのネタづくりをするのも嫌でした。なので、文章自体が面白いかどうかが連載時から最も重視していたことです。『モヤモヤの日々』は、自分が考える随筆の枠組みのなかで、どれだけ面白い文章が書けるか。文章だけで楽しんでもらえるか。随筆の持つ文学作品としての魅力を、今の時代にどう表現し、更新していくか。そんなことを考えながら書いた作品になります。

それと、随筆の大きな役割のひとつに「記録」というものがあると思っています。実際、『方丈記』には災害の記録が書かれていますよね。『モヤモヤの日々』でも、緊急事態宣言やワクチン接種について書いていて、大袈裟だけど後世の人が読んでくれるとしたら、記録文学としての価値も出せると思っています。もちろん、統計的な記録や、大きな歴史的視座に立った記述も大切です。でも、随筆は個人の生活が残せます。「混沌とした状況のなか、草花や犬を慈しみ、モヤモヤと考え続けいる人もいた」と感じてくれる一冊になればと思います。

眉間に皺を寄せてやる文学ではない文学

――宮崎さんが『モヤモヤの日々』で心がけたこと、あえてやらなかったことは何ですか?

宮崎:『モヤモヤの日々』では、たくさんの文芸作品を引用、紹介しています。随筆のなかに文芸作品を登場させるうえで意識したのは、幼い頃、亡き父に教わった文学的な態度です。父は理系の会社員で文学を専門にしていたわけではないのですが、文学を深く愛していました。眉間に皺を寄せてやる文学ではなく、生活の中に自然とある文学を愛していました。

僕は、仕事で書評や評論をするようになった今でも、「文学とは何か?」と問われたら、「父との楽しい思い出」と第一義的には答えると思う。父はとくに詩を愛し、母曰く、産後退院したその日から僕に中原中也を読み聞かせていたそうです。読み聞かせは小学6年生まで続き、夏目漱石を読んでもらった記憶もあります。僕はとにかく学校の勉強しない子どもだったのですが、詩の朗読と暗誦だけは父と一緒に楽しくしていました。だから、今回の『モヤモヤの日々』では、生活の一部であり、草木を見ると万葉集を思い出すような、日々の思考や雑念の中に文学を見出すような、幼い頃から馴染みのある文学を実践してみたかった。

一方、文章はあらゆるメディアの中で一番嘘をつけるものだと思っています。フィクションを書けるし、編集だって自由にできる。だからこそ、連載では「その時その時の素直な気持ちを書くこと」を心がけました。連載を1年間続けると、考えが変わってくることもある。その結果、言っていることが変わってしまうのですが、それもそのまま書こうと思いました。整合性を合わせると、嘘になるから。自分の心の揺れさえも正直に書いたのが本書です。

最近、「Dream」などのお絵かきAIアプリが流行っていて、AIが小説を書く取り組みも行われています。でも、随筆だけはAIには書けないのではないかと思うのです。随筆には身体的な感覚も重要で、AIにはそれがないですからね。たとえば、僕は連載初期から「腰が痛い」と言っていて、途中でぎっくり腰のような症状になっています。その変化は、人間だからこそ書けること。それも随筆の魅力です。読み返すと、「この時から痛かったのに、なんで放置するかな」と、自分の馬鹿さ加減を感じてしまう部分でもあるのですけれど。

――連載では、写真やイラストを一切使っていませんね。

宮崎:文章だけでつくられた世界を目指したので、写真は使っていません。『モヤモヤの日々』内の人気シリーズに「朝顔観察日記」があるのですが、そこでも朝顔の画像は一切出していない。文章だけでどう魅力を伝えるかを考えたときに、文学者が書いている朝顔の随筆や詩歌を引くことで想像力を膨らませることができるのではないかと思い、芽が出たり、咲いたりする画は出てこない一方で、さまざまな文献を引用しイメージが湧くように心がけました。

「凪を生きる」「下北沢」 至極の随筆の数々

――251回に及ぶ連載の中で、一番の核になる回はやはり「凪を生きる」だと感じます。

宮崎:「凪を生きる」は、PV(ページビュー)も圧倒的に良かったそうです。父の実家が愛媛県で、子どもの頃、夏休みに遊びに行きました。そこで頻繁に「凪」という言葉を耳にするんです。「凪」とは、瀬戸内などで起こる無風状態の自然現象を指します。朝凪、夕凪があって、陸風から海風、海風から陸風に切り替わる瞬間をいうのですが、凪の状態では、蝉の鳴き声や高校野球の声援、ともすれば猫のあくびまで聞こえそうな静寂に包まれる。

つまり、凪とはただの無風状態ではなく、ある種の創造的な瞬間だと僕は感じました。身の回りにすでに“あるもの”が、“あるべきもの”に変わる。誰もが気づいてはいるのだけど、意識の俎上にのせていないものを、生活の中に見出していきたい。僕の文章を読むことで、みなさんの周囲でも同じようなことが起こってほしい。僕は、言葉を獲得することは、世界に対して親しみを獲得することだと思っていて、『モヤモヤの日々』がそういう一冊であってほしいと思う一方、ただ何も考えずに読んでゲラゲラ笑ってほしいとも思っています。

――個人的には、「第101回 怪談タクシー」と「第172回 下北沢」が好きです。前者はお釣りに確証が持てず「100円ではなぜいけないのでしょうか」と懇願するように教えを乞う過程が面白い。後者では工事の資材が早朝の自宅に突入してきた出来事が描かれていますが、不動産屋にクレームを入れてもおかしくない、人によっては退去だってあり得ます(笑)

宮崎:僕は、自分に対しての信頼がまったくない。これまでの人生、ことあるごとに間違えてきたので、何かあったときにまずは「どこが間違っているのだろう」と考えてしまう。そういう視点が、文章に出ているのかもしれません。40年生きてわかったのは自分の馬鹿さ加減で、愚鈍だし、意志が弱いし、理性で了解していてもそうは出来ないことばかりです。

平日17時毎日更新で人気を博した連載エッセイ全251回分を完全収録。
平日17時毎日更新で人気を博した連載エッセイ全251回分を完全収録。

母の友人に教えられた「僕が好きだったもの」

――すでに書店に書籍が並んでいますが、読者の方からの反響はいかがでしょう。

宮崎:ありがたいことに、とても好評をいただいています。読み方としては、開いたところを読んでくれている人もいるし、最初から読むことで積み重ねを楽しんでくれる人もいる。なかには、読む当日の日付のから1日ひとつずつ読んでくださる人もいて、「日記ってその日あったことじゃなくて、その日思ったことを書いてもいいんだ」という声もありました

――本書を読んで「自分も書きたい」と感じられたというのは、非常に共感します。あと私は、高みを目指して貪欲に活動したいタイプだったのですけど、少し考え方が変わりました。

宮崎: もともとは、僕もそういう性格でした。アルコールをガソリンのようにして飲み、体と心に鞭打って文章を書いていた時期もありました。でも、『モヤモヤの日々』でも書きましたが、アルコール依存症になり、急性膵炎で2度の入院をした。離婚も経験しました。

今は、「この世界は素晴らしいものとまでは言えないけど、あながち悪いものでもないかも」と思っています。「第244回 僕が好きだったもの」という随筆では、雲の話を書きました。母の友人からいただいた前著への感想メールに、感慨深く僕のことを「小さい頃、雲のたなびく空を飽きもせずに眺めていたあの男の子」と書いてくれていて、それを読んで初めて「そういえば雲を見るのが好きだったな」と思い出したんです。そういう側面って、大人になると忘れてしまいますよね。SNSで発信して、自己表現して、ガンガンいこう、みたいな自分は今もいつつも、「そういえば幼い頃は飽きもせずに毎日、空ばっかり見ていた」と。

でも、『モヤモヤの日々』を書籍にする過程で最初から読み直していたら、「朝顔観察日記」シリーズの中ですでに、あだち充先生の描く夏空の雲が好きだと書いていたのを発見しました。まさに、すでに“あるもの”が、“あるべきもの”に変わった瞬間です。それ以来、また雲を見るようになりました。そうすると、やっぱり飽きない。ずっと見ていても飽きない。ひとつとして同じ形のものはないし、ときどき「あの雲は犬の形に見える」なんて思ったりする。

編集の吉川浩満さんが、「そういえば、私は天井の木目を見るのが好きでした」と感想をくれました。きっと誰もが思い出せる何かがあるはずです。本書をとおしてすでに“あるもの”が、“あるべきもの”に変わる瞬間に触れ、自分にとっての凪を感じてほしいと願っています。

随筆が読まれる時代をつくりたい

――各ページの上部に、内容に関連した一言がついている本の構造もユニークです。

宮崎:これは小見出し的に気になったところから読めるよう、J・P・サルトルの『実存主義とは何か』を参考に、ブックデザイナーの寄藤文平さんが提案してくれたものです。随筆のよさは、何度でも読めることにあると思います。そのため、手元に置いて暇なときに好きな箇所から読めるよう「この小見出しはこの行の上に」などと、細かく場所も指定しました。

――細かい目次がないのも珍しいです。

宮崎:それぞれの回のタイトルは、ウェブ連載のタイトルとしてはあり得ないほどあえて素っ気ないものにしています。だから、目次として入れても意味をなさないのかなと、個人的には思いました。実際にブックデザインを考えたのは僕ではないですが、目次からではなく、小見出しや日付、巻末の引用文献から読んでもらったほうが楽しめるのではと思います。

――本書は、文学好きの読者はもちろんのこと、本が好きだったけど今では日々の暮らしに忙殺されて、1日の終わりに難しい本なんて読めないと感じている人も手に取りやすい一冊だと感じています。今後、宮崎さんが挑戦していきたいことをお聞かせください。

宮崎:新刊が出た直後から、東京・江古田にある「百年の二度寝」という書店さんが「随筆復興」というコーナーをつくって、特集の棚を組んでくれました。新刊『モヤモヤの日々』を、吉田健一や庄野潤三などと一緒に並べてくださっていて大変恐縮していたのですが、実際にそういうことにも挑戦していきたいという意気込みと野心はあります。僕は本を読み、文章を書く生活を送っています。専業にしているプロだけではなく、自主制作の雑誌や書籍を読んでいても、嫉妬するほど才能があるすごい随筆の書き手がたくさんいる。まずは自分の随筆をしっかりと売り、随筆がもっと読まれる時代の流れをつくっていきたいですね。

[聞き手=山本莉会

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