福島第一原子力発電所の事故とは何だったのか? ひとつの裁判の記録。いかに被災者は闘い、いかに勝利したか?
記事:作品社
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この本は、一人の弁護士を先頭にして、原発事故で被った「心の損害」を諦めずに訴え続けた、私たちの誇りの記録です。
と同時に、私たちにとって涙なくしては語れない闘いの記録です。
2011年3月11日、福島第一原子力発電所事故によって、平穏な私たちの日常は一変しました。汚染された空気・土地・山々、住まいのなかで、どのように生きていったらいいのか途方にくれ、生きる希望を失いました。
私たちは「原発事故による放射能被害はなかった」ことにされないために、原発事故に際して受けた悲しみや苦しみ、不安な気持ちなどを陳述書にしたため、裁判を起こしました。原告の大半が女性で、福島県中通り地域(避難指示区域外)に住んでいます。
(原告・佐藤弘子「はじめに」より)
ウクライナのザポリージャ原発施設が、ロシアからの砲撃を受けた。これを世界は大きな衝撃をもって受けとめ、恐怖におののいた。もし原子炉が破壊されたら、放射性物質がヨーロッパさらには世界全体に拡散し、チェルノブイリ原発事故を上回る甚大な被害が出てしまうおそれがある。これが通常の火力発電所であれば、これほどの関心事にはならない。原子力発電所、欧米では核発電所と呼ばれている施設がもつ危険性を、改めて示すものである。
一方で、ロシアからの原油や天然ガス供給が滞り、エネルギー危機が現実のものになっている中で、核発電所がふたたび脚光を浴びている。地球温暖化が叫ばれ、二酸化炭素を排出しないという側面もメリットとして強調されている。岸田内閣も、最近、原発推進の立場を打ち出した。世界は、「必要悪」としての位置づけを超え、より積極的な地位を与えようとしている。スリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマの事故を経験し、核発電所の危険性を知っているにもかかわらず。いや、私たちは本当に、核発電所の危険性を知っているのであろうか?
本書は、福島第一原子力発電所から約60キロメートル離れた福島県中通り地方に住む住民が原告となって提起した訴訟の記録である。
中通り地方は、政府による避難指示は出なかった。しかし、中通り地方にも放射性物質は降り注ぎ、いわゆる自主避難した住民がいた。この訴訟の原告住民は、大部分が避難もせず中通りで生活せざるを得なかった。その原告住民が抱えた「心の損害」、つまり精神的損害について賠償を求めた事案である。放射性物質拡散、その放射性物質から放たれた放射線による健康被害を立証するためのハードルが極めて高いことから、訴訟においてやむをえず選択した方法である。
放射線による健康被害は、放射線が人の細胞を傷つけるという客観的なメカニズムが明らかにされており、きわめて高い放射線を浴びれば、数時間で死亡に至る場合もあるにもかかわらず、放射線と健康被害の関係性については常に論争がつきまとう。放射線が医療の現場で多用されているということも、放射線の危険性をあいまいにしている一因である。
広島・長崎に落とされた原子爆弾の被害を受け、“唯一の被爆国”と世界に喧伝している一方で、放射線被曝についてはトーンが低くなり、福島の原発事故との共通性について訴える人はほとんどいない。
このように論争的で、簡単には説明の付かない放射線というものが身近にある。しかも、放射線は目に見えないし、音もしない、匂いもしない、人間の五感で判断することができないものである。本書では、原告住民が抱えた「心の損害」が陳述書として表現されている。その一文一文に込められた悲しみ、痛み、苦しさを感じとっていただきたい。ここには52人のドラマがある。
なお本書は、「原発事故による精神的損害賠償請求において、1人の弁護士と52人の住民が、なぜ金メダルを勝ち取ることができたのか」である。この“金メダル”という言葉は、全国で30件ほど訴訟提起された中で、避難指示区域外の福島県住民が原告となって提起した精神的損害賠償請求において、最高額を獲得したという意味で用いられている。この言葉は、中通り訴訟が最高裁で確定した後の報告会で、原告住民の複数が感想として述べた言葉を採用したものである。
“金メダル”を勝ち取ることができた理由については、訴状、陳述書、さらには弁護士の解説が付いているので、それを読み込めば自ずとわかっていただけるのではないだろうか。
本書は訴訟記録である。しかし、それは原告となった52人の1人1人の物語でもある。これをどう読み、受け止めるのかは読者次第である。