「ハーメルンの笛吹き男」の謎を追って
記事:筑摩書房
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130人の子供たちが消えた「ハーメルンの笛吹き男」伝説は、現在でもミステリーであり続けている。日本では、西洋史学者の阿部謹也が同名の本(ちくま文庫)を世に問い、この伝説をクローズアップした。それは50年も前に書かれた名著であるが、阿部は伝説の「笛吹き男」を何重にも包囲しながら、その本丸に突入せず、新資料が見つからないかぎり、この伝説の謎の解明は困難だという結論を示した。筆者も「笛吹き男」伝説が気になりながら、それには深く立ち入らなかった。
さて、2019年5月、NHK・BSプレミアムの「ダークサイドミステリー」という番組で、「ハーメルンの笛吹き男」伝説が取り上げられた。筆者も子供たちの大量失踪の理由に対するコメントを求められた。それは東方移民説がもっとも信憑性があり、さらに事件は「集団妄想」と結びついたものである旨を述べた。その際、同じ番組の中でライプツィヒ大学のウドルフ名誉教授がインタビューを受けていた。そこでウドルフも得意の地名・人名研究のアプローチから、「笛吹き男」がロカトール(植民請負人)であったこと、130人の移住先は、北東ドイツのブランデンブルク辺境伯領周辺だとし、その証拠を示した。
ただしウドルフ説では「笛吹き男」の正体はロカトールであるが、同行したのは大人の東方移民であって、子供たちの犠牲について触れられていない。筆者は当時の子供たちは集団妄想にかかりやすく、とくに夏祭りの際にプロセッション(練り歩き)に関心を示したので、植民グループをリクルートする際に、「笛吹き男」が吹く笛の音に惹かれ、子供たちも大人に合流したと考えた。しかもウドルフは新説を提起したが、それ以上「ハーメルンの笛吹き男」伝説にかかわらず、そのままにしてしまった。テレビ番組をきっかけにして、阿部説とウドルフ説を吟味すれば、もう少し「笛吹き男」伝説のミステリーを追求できるのではないかと考えるようになった。
とくに「北の十字軍」と呼ばれたドイツ騎士修道会が、ミステリーの謎を解くカギのように思えた。かれらは北方の異教徒をキリスト教化させるために派遣されていたが、修道会は領地の開拓のため、植民を必要としたからだ。ウドルフ説では植民先がこのドイツ騎士修道会と深くかかわってくる。そこで何か手がかりになるものがないか、ドイツ騎士修道会の資料を調べた。するとその総長が、ロカトールに東方植民の条件を提示する資料がみつかった。これが「ハーメルンの笛吹き男」伝説を生みだすルーツではなかったか。さらにロカトールや入植者は、最古の法律書『ザクセンシュピーゲル』に絵解きされており、これをみれば当時の北東の入植者の実態が明らかとなる。
ハーメルンの事件はそれだけで完結したわけではない。伝説はその後、ドイツ史のナショナリズムやロマン主義的な「東方への衝動」、さらにナチスの東方植民地政策とも連動していたといえる。とくにドイツ騎士修道会は、ナチスのエリートである親衛隊SSのモデルでもあった。「笛吹き男」伝説は、ナチスのレーベンスボルンという「優秀なアーリア民族創成計画」と深くかかわっていた。
ヒトラーの腹心ヒムラ―は、このプロジェクトを立ち上げ、「アーリア民族」の子供たちを養育する施設を国内に創設した。これはドイツ占領地域へも拡大された。しかしそこでは、親衛隊は時間のかかる子供養育でなく、金髪、碧眼のアーリアモデルに合致する占領地の子供の誘拐・拉致をおこなった。その数は数万から数十万人とも見積もられる。これは「笛吹き伝説」を増幅したプロジェクトであった。こうして完成したのが『「笛吹き男」の正体――東方植民のデモーニッシュな系譜』である。拙著はハーメルンのミステリーが、鬼気迫るナチスのレーベンスボルン計画と連動していたことを、資料にもとづいて実証しようとしたものである。