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石山蓮華さん『電線の恋人』刊行記念トーク&電線鑑賞会イベントレポート 【前編】――「電線のある風景」の魅力って?

記事:平凡社

右手前が電線愛好家の石山蓮華さん。聞き手はREBEL BOOKS店主の荻原貴男さん。当日は石山さん撮影の電線写真をスライドで紹介しつつのトークとなった。
右手前が電線愛好家の石山蓮華さん。聞き手はREBEL BOOKS店主の荻原貴男さん。当日は石山さん撮影の電線写真をスライドで紹介しつつのトークとなった。

アマチュアとして電線を愛でる

石山蓮華:電線って日常の景色の中に存在しているものですが、大多数の人にとっては視界に入っていても目に留まらないものだと思います。今日のトークや、『電線の恋人』を読んでいただいたみなさんのなかで電線の解像度が上がって、それまで背景として溶け込んでいた電線がぐっと手前に迫ってくる、そんな楽しさを味わう機会になればうれしいです。

荻原貴男:僕はもともと「電柱、地中化したしちゃったほうがいいんじゃない?」派だったんです。でも石山さんの『電線の恋人』を読んで、自分でもいろいろ考えて。まず気がついたのは、風景を構成しているのは電線だけではない、ということ。風景がごちゃついてスッキリしないなという時、電線よりも実は派手な看板が原因じゃないの? とか、いろいろと考えるようになりましたね。あとは写真が好きで自分でもよく撮るんですが、望遠レンズと電線って親和性が高いということにも気がつきました。

石山:そうなんですよ!

荻原:望遠レンズって圧縮効果があるので、電線のある風景がすごく面白く撮れるなって思い始めて。なので僕の立場を先に表明しておくと、ちょっとずつ「電線いいかも」派に変わりつつある人という感じです(笑)。

石山:わあ、本を書いた甲斐があった~!(笑)。まず、そもそも「電線愛好家」ってなに? という方もいらっしゃるかと思うのですが、文字通り「電線を愛好している者」です。専門家や学者というわけではなく、あくまでアマチュアの立場で電線を愛でていて、「どう見ると電線は面白いのか」をただただ語っています。

荻原:プロフィールでは「電線愛好家/俳優/文筆家」と、「電線愛好家」の肩書きが先頭なんですね。

石山:俳優と文筆のお仕事ってどうしても受注側なんですけど、電線愛好家は自分が好きであるだけで成立するので、やったもん勝ちなんです。それは私にとって、すごく自由をくれることなんですね。

荻原:なるほど。

石山:じゃあ電線の魅力ってなんなのかという話ですが、皆さんもご存じの通り、電線は電気の通り道です。発電所から送電鉄塔、変電所を通じて、ビルや家、工場などいろいろなところに繫がり、街を動かす電気を運んでいます。電柱の一番上に架かっている高圧線には6600Vというかなり強い電圧が流れていますが、電柱の上にあるバケツのような形の「変圧器」によって、一般的な住宅でも使用できる100Vや200Vまで電圧を下げています。たとえば街をひとつの生き物と仮定すると、電線や通信ケーブルって血管、神経みたいだなと。人間が社会生活を営む上での生命線になっている。電気は、どこからどういう経路で来ているのか眼で追って確認できる唯一のインフラという点が面白いなと思っています。

荻原:たしかにガスや水道管は、基本的に地中にあって見えないですからね。その面白さはありますね。

石山:自分がどうやって呼吸しているのかをあまり意識しないように、なぜ電気が使えるのかって、普段はあまり考えないと思うんです。電線がこうして見えるっていうのは、すごく大きいポイントなんじゃないかなと。目に見えないと、存在していることもつい忘れてしまいますから。電気について考えることのできるヒントが街中にたくさんあるっていうのは、大事なことなんじゃないかなと思っています。

電線との出会いは一期一会

石山:これは手前にある三本の電線と、奥のくるっとした資材がついている通信線、それぞれの電線の接点が背景の建物の角とちょうどピシっと合って気持ちいいなあっていう写真です。街の建物も電線も新しく生まれたり撤去されたりするなかで、100年くらいのスパンで考えたら、これは今しか見られない景色なんじゃないかと。

電線のよい表情を見つけるため、動き回ってよいアングルを探すという石山さん。電線と背景の建物の辺や角がピタっと揃った一期一会の風景。 *記事中の電線写真はすべて石山さん撮影
電線のよい表情を見つけるため、動き回ってよいアングルを探すという石山さん。電線と背景の建物の辺や角がピタっと揃った一期一会の風景。 *記事中の電線写真はすべて石山さん撮影

荻原:なるほど。電線との組み合わせによって、あらゆる場所が一期一会になるわけですね。

石山:ヨーロッパとかだと建物が石造りだったり、古いものを受け継いで景観を守っていこうという感覚が強くあると思うんですけど、日本はとにかく速く建てては壊して、また別のものを建てて、という街づくりをしてきました。無電柱化も進んでいますし、いい電線の風景を見つけたらすぐ撮る、というのは心がけています。電線のいい表情を見つけられると、脳から汁が出る感じ。「トゥンク!」ってときめきます。

荻原:あはは(笑)。石山さんのそういう目線って、「見立て」の感覚に近いんですかね。

石山:ああ、そうかもしれません。いまは電線のことだと私に声をかけてくださることが多いですが、私のやっている見方ってすごく簡単なことなので、「誰でも電線の愛好家になれるんですよ」ってことを声を大にして伝えたいですね。こちらは桜と電線を一緒に愛でている写真です。

日本の風景の代名詞でもある「桜」と「電線」。そこには以外な共通点が?
日本の風景の代名詞でもある「桜」と「電線」。そこには以外な共通点が?

荻原:この写真、いいですね。電線が入ることで全体の構図が面白くなっていると思います。

石山:最近考えたことなんですけど、桜のソメイヨシノって接ぎ木によって種を残してきたので、全ての樹が同じ遺伝子をもっているんですよね。電線もJISとかPSEとか規格がいくつかあるなかで、きょうだいのようによく似た見た目をしている。桜並木っていわば桜のクローンがずっと並んでいる状態なわけですけど、電柱に架かった電線もほぼクローンみたいなものじゃないかって。そういう意味で、日本の景色の代名詞である「桜」と「電線」って、かなり近い存在なんじゃない⁉ って思ったんです。

荻原:……言われてみればそんな気がしてきました(笑)

石山:「言われてみればこれ一緒じゃない?」シリーズで言うと、星座と電線もそうです。星座って明るい星々を線で繫いだものですが、電線も家々の灯りを線で繫いでいる。上空から見たら「電線って星座じゃない?」って。もし世界から建物がすべて消えても、電線と電柱さえあれば、そこにどんな街があったか、地図を見るようにわかるんじゃないかとか。すみません、私の持論を展開しまくって(笑)。

 『電線の恋人』では「電線分類考」と題して、私がどうやって電線を自分なりに分類して楽しんでいるかも解説しています。「ツタ系」は植物が電線に絡んでいるタイプの電線なんですが、これがより進んだ形が「空中木立」です。

レア度が高いという「空中木立」。樹が電線を取り込んでしまった状態。(『電線の恋人』所収)
レア度が高いという「空中木立」。樹が電線を取り込んでしまった状態。(『電線の恋人』所収)

荻原:これはかなりレアですよね、見たことないと思います。

石山:けっこう本気で探さないと見つからないと思います。もともと樹が生えていたところに電線が架けられると、樹が次第に電線を取り込んでしまうことがあるんですね。その後、樹が伐採されて、電線とくっついた部分だけ空中に残っているっていう状態です。これは前に住んでいたマンションから見えたものなんですけど、ある日突然、樹が切られることによって出現したんです。でもしばらくしたら無くなっていて、あらためて電線って一期一会だなあと。

荻原:僕は「シルエットとしての電線」がけっこう好きですね。この店の前にある通りが、夕暮れ時になると電線と電灯がシルエットになって、すごく絵になるんですよ。侘びさび感があっていいなあと。

石山:侘びさびで思い出したんですけど、和風とスカンディ(北欧風)を混ぜ合わせた「ジャパンディ」というインテリアのスタイルがあるらしいんです。侘びさび感を取り入れるために枯れたすすきを飾ったりするらしく。すすきの代わりに電線を取り入れてもいいんじゃないでしょうか(笑)。

荻原:たしかに僕が写真を撮るときに電線を入れる感覚は、すすきを飾る感覚に近いかも。ただ夕焼けの空だけ撮ってもつまらないですし。

石山:空だけ撮るのって意外と難易度が高いですよね。なぜなんでしょう。

荻原:空だけだと、何かぼやっとしちゃうんですよね。そこに電線や電柱がポイントとして入ることによって画面が引き締まるんだと思います。

《後編に続く》

*後編では、石山さんの考える「電線の表情」や、無電柱化に対する思いを語ります。

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