どこにいても本を開くと少しだけ遠くに行けた 電線愛好家・石山蓮華の初エッセイ集『犬もどき読書日記』
記事:晶文社
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20代前半から後半にかけての6年間、朝の情報番組でレポーターをしていた。
子どもの頃から芸能事務所にいて、そのまま大学生になり、卒業し、週何日か同じ番組の仕事をするのは私にとって就職のようなものだった。ロケで外に出ることも多かったが、それでも定期的にオフィス街のビルに行って、決まった共演者やスタッフと会うのは会社勤めに似ている。
その頃、テレビを見ていると時たま出てくる「街の声」をもらうために、1日かけて見知らぬ人を約束もなく待ち続けていた。渋谷駅前のスクランブル交差点のそばや、お台場のショッピングモールなど、たくさんの人が行き交う場所で何時間も人を待つ。ディレクターさんやADさんが台本にぴったりの誰かを見つけてくれることもあるし、自分で番組のロゴが入ったマイクを持ち、声をかけることもあった。
聞くのは「目玉焼きには何をかけますか?」などの素朴な質問だ。こちらはどうでもいいことを聞いているのに、若い女性には明るく元気に、できるだけ屈託のないような感じで答えてもらい、外国から来た人には日本のいいところを褒めてもらう。こんなに様々な人がいるのに、誰でもいいわけではないし、どんな意見でもいいわけではなかった。
たくさんの人に会い、話を聞いたけれど、いつも他人の身体を通してすでに見たことのあるものを見ている時間も多かった。
話を聞いている私自身も、一人の人間というよりは、「若くて女性で明るく元気」という再生産された記号の一個に見えているんだろうな、と思っていた。
たまたま会った人から想定台本に添う言葉を引き出す仕事は、立ち止まることのできない大きなものを加速させること、そのもののような気がした。その場にいる誰にもぶつけられないやんわりとした疑問は、紡がれる綿のようになって、その日が終わる頃には身体の中がぱんぱんになっていた。
私はどんなロケの時にも、本を持って行っていた。
テレビに映る雑踏の中でも、特に渋谷の街頭は人も音の数も多い。平日でも人の流れは止まらないし、ビルの大型ビジョンやトラックからコマーシャルの音が絶え間なく流れ続ける。マイクを持ってカメラの前に立つ時以外は、駅前広場のできるだけ隅の方で本を読んでいた。
そういう場所にいても本を開くと少しだけ遠くに行ける。文章を目で追うときは誰かのためでなく、自分のために言葉を探すことができた。それが仕事の合間のほんの一瞬でも。本は私を支えるために書かれたものではないけれど、たしかに私は本に支えられていた。
この本は、忘れっぽくて執念深い私が、24歳から28歳までの期間で、その時々に言いたかったけれど言葉にし切れなかったことをぶつぶつと書いてウェブで連載していたエッセイと読書録に、大幅な加筆と修正を加えた一冊だ。この本では私のエッセイと一緒に本が紹介してある。日々に迷ったり立ち止まったりする人に、手を差し伸べられる強さを持った本ばかりだ。どれかを読んで合わなかったら、別のページで紹介している一冊を読んでみて欲しい。
きっと、あなたのことも少しだけ遠くへ連れて行ってくれるはずだ。
(石山蓮華『犬もどき読書日記』まえがきより抜粋)※本記事の小見出しは、担当編集者が追記。