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楽器は社会を映す 『鍵盤ハーモニカの本』が導く新たな視座

記事:春秋社

南川朱生(ピアノニマス)著『鍵盤ハーモニカの本』(春秋社)
南川朱生(ピアノニマス)著『鍵盤ハーモニカの本』(春秋社)

 われわれは程度の差こそあれ、誰もが楽器を奏したことがあるはずだ。リコーダー、太鼓、そして鍵盤ハーモニカ。たとえまったく覚えていなかったとしても、「自らの操作によって音色を奏でる機械」に、誰もが少なからず対面している。楽器によっては高度な技術が必要なため、それが煩わしかったりするかもしれない。とはいえ、寺院の鐘でも、カラオケのタンバリンでも、「音が鳴る何かは」すべからく、どこか楽しい。それはもしかしたら、自分の気分の高まりを――本人はまったく恥ずかしげもなく――楽器たちが代替してくれるからかもしれない。

 それはかつての大作曲家たちも同様であり、彼らもまた楽器に執着した。とりわけベートーヴェンが顕著で、彼は自らの美学に沿うよう、ウィーンのピアノをもっと頑丈で、大きな音が出るよう改良しようと働きかけた*1 。楽器は、ともすれば単なる嗜好品のひとつとして思われがちだが、このようにひとつの産業をもうごかす、いわば「社会を映す」存在である。

 冒頭に挙げた「鍵盤ハーモニカ」も例に漏れない。いやむしろ鍵盤ハーモニカは、誰もがその名を知っていて・・・・・・・・・・・・多くの人間の手に触れた可能性が高い楽器・・・・・・・・・・・・・・・・・・・であるゆえに、本邦における「社会の結びつきを映し出す楽器」としては極めて格好のサンプルのひとつである。

東海楽器製 ピアニカPC-1
東海楽器製 ピアニカPC-1

楽器×ビジネス

 19世紀以降は、それ以前の職人叩き上げの楽器製造者に変わり、ピアノ製造業をひとつのビジネスとして展開する経営者が台頭した*2 。ちょうどそれに追従するように、鍵盤ハーモニカもまた、「ある職人の特許」から次第に「企業展開」へと関心領域が移り変わっていく。ここに共通するのは、それぞれの技術者たちが「需要」を見込んだ上で、楽器産業に乗り出している点である。

 鍵盤ハーモニカの場合、開発された背景のひとつに、19世紀ヨーロッパの地方オーケストラのオーボエ奏者不足があった*3 。日本国内の器楽教育にここまで鍵盤ハーモニカが普及した背後には、それまで「一人一台制楽器」の王座に君臨していた楽器「ハーモニカ」の弱点、および各種楽器メーカーの「一定の売り上げ見込み」が期待されていたことが関係していた*4 。このように、常に楽器産業は社会構造と表裏一体であった。

楽器×美学

 では彼らは単に利益ばかりを求めて楽器開発をしていたのだろうか? 実はそうではない。鍵盤ハーモニカに携わった楽器開発者・メーカーの多くは、「自らの音楽への想い」をセットにして自らの製品をPRしている。諸開発者たちは、鍵盤ハーモニカが何よりも「簡易に演奏できること」、そして、「それによって音楽がより身近なものになる・・・・・・・・・・こと」を高らかに謳う。もちろんそれは実務的な面が先立った上での「後付け」である可能性も否めない。しかし楽器に関する人々の発言というものは、その当時「どういった音楽(シーン)を求めていたのか」ということをも浮き彫りにする。つまり、楽器は「美学」すら映し出す。

 とりわけその操作性が評価されがちな鍵盤ハーモニカであるが、実は「言語化されにくい」もうひとつの利点があったと考えられる。それは「音程の可視化」である。「鍵盤」という装置は、ある音とある音の関係(オクターヴ、半音、完全5度、エトセトラ)を「見た目の距離」として把握するのに適している(管楽器や弦楽器ではやや難しい)。鍵盤ハーモニカは「小学年を経て、リコーダー等に移り変わるため忘れ去られる」 *5と思いきや、実は中等教育以降われわれが受ける楽典・音楽理論への理解に十分貢献している楽器なのかもしれない。

鍵盤ハーモニカの内部(一例)
鍵盤ハーモニカの内部(一例)

楽器×理工学

 以上見てきたビジネス戦略や美学を、いかに目の前の素材や仕組みでもって実際の形にするか――これも楽器製作に携わる人々にとっての重要な課題である。とくに、広い流通を狙った鍵盤ハーモニカは、殊更に高価なものにするわけにもいかず、また同時に子どもが演奏するのに適した構造や工夫が必要となる。また鍵盤ハーモニカに限らず、息を吹き込み音を鳴らず楽器は、とりわけ空気の流れや制御に気をかけなくてはならない。つまり楽器製作には、物理学の知識や、使用される素材・材質に対する理解、そして緻密な計算能力も必然的に求められる。

 『鍵盤ハーモニカの本』が取り扱っている対象である「楽器」は、それこそ「モノ」や「キカイ」であり、言わずもがなテクストや文献ではない。とくに第Ⅱ部「内部構造篇」は、物理学の視点から仕組みや音について語る、「いわゆる」理系の要素で充たされている。しかし全体を通して、その研究の手法は「いわゆる」文系の、しかもかなり伝統的なそれに則っている。網羅的に過去の資料を収集し、実直に読み解いてゆく。各関係者や、楽器愛に満ちた専門家から、話を聞き出しつつ、まとめる。しかも、誰もの・・・美学・・を聞き落とさないように・・・・・・・・・・・――である。こうした学問領域を超えた世界の広がりを本書が有していることが、「楽器学の基礎文献」以上の、幅広い層の読者を惹きつけている成果につながっているのではなかろうか。

――

 『鍵盤ハーモニカの本』は、いわずもがな「楽器の本」である。誰もが知っている楽器の見知らぬ世界を紹介する本――これは全くもって正しい。しかし、これまでに見てきたように、楽器は広義の「産業」「美学」「理工学」など……さまざまなものを映し出している。つまり鍵盤ハーモニカとは、われわれがよく知らないようで・・・・・・・・・、実のところ多くの人々がすでに関心を寄せている世界につながっている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・窓口のような存在でもある。『鍵盤ハーモニカの本』を通して、多くの人々の知への喜びが、震え立つはずだ。それは幼いころに一緒に震えて音を出してくれた機械への思い出と重なっているかもしれない。

ボタン式メロディカをはじめとするホーナー社製メロディカのパンフレット類(organ69氏提供)
ボタン式メロディカをはじめとするホーナー社製メロディカのパンフレット類(organ69氏提供)

追記

 ところで、『鍵盤ハーモニカの本』はとあるひとりの著者・・・・・・の、その溢れんばかりの楽器愛によって完成した。しかも著者はひとりの奏者・・・・・・であり、できることも限られていたはずだ……しかし真摯な態度と、行動力でもって、多くの「人」と「文」を動かし続け、愛を向け続けたことで、『鍵盤ハーモニカの本』が結実した――それはまるでベートーヴェンの想いが、楽器を、社会そのものを変貌させたかのようだ。そんなことを、著者である南川朱生(ピアノニマス)氏は達成した。彼女は新しく、そして希望に満ちた「人文社会科学」の視座を切り開いてくれたに違いない。



*1 Tia DeNora, Beethoven and the Construction of Genius: Musical Politics in Vienna, 1792-1803 (University of California Press, 1995), p. 170.

*2 日本チェンバロ大事典編『チェンバロ大事典』(春秋社、2022年)「XII 楽器製造者」より「プレイエル〔プライエル〕、イニャス〔イグナツ〕」(執筆:太田垣至)、382頁。なお、ここで言及されている経営者とはプレイエルと、イギリスのクレメンティを指す。

*3 南川朱生(ピアノニマス)『鍵盤ハーモニカの本』(春秋社、2023年)、228-229頁。

*4 前掲書、第I部。

*5 前掲書、3頁。

(文・春秋社編集部)

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